5. 家住期 ~哀別~


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 厳しい冬を越え、巡って来た次の夏、老いた黒猫が死んだ。

 女は栗鼠りすだの鳥だの、森で傷ついた生き物を見つければ拾って世話をし、元気になればまた森に放つ。

 そのときも丁度、怪我をした野うさぎを引き取っていた。おまけに後ろ脚を引きった捨て犬を保護したばかりだし、二週間前には村で猫を一匹、都合よく押し付けられて帰って来たところだ。


 悲しむ暇もあるまい。そう踏んでいたが、夜ごとしくしくと泣くので難儀した。涙を抑える魔術など知る由もないのだ。

 盛大に溜息ためいきを吐くと、部屋の反対側から泣き声が止む。だが暫くすると、枕でくぐもった嗚咽おえつが漏れてきた。


「泣いてどうなる」


「うえっく。分かってるよ。分かってるんだけど」


「分かっているなら泣くな」


 風の膜を寝台に張り、音を塞いだ。最初からこれを思い付くべきだった。寝る前にすればいいのに、何故かいつも忘れてしまう。

 いや、覚えているときもあるのだが、魔術を掛けるのが面倒になり、結局こうして起こされるハメになる。


「……寝ろ」


 膜を薄め、それだけ言い放つと布団を頭から被った。




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 何度目かの冬を越え、アルリーネと自分は姉と弟のような暮らしを依然として続けていた。

 かつての復讐ふくしゅう心も薄らいだが、魔術の研究以外は何も取り組む気にならない。不審がられないよう、質の悪い魔石だけを時たま街で売って小銭を稼いだりもしたが、養ってくれていたのはアルリーネだ。


 秋も深まり、初霜が降りた朝、脚の不自由な老犬が暖炉の前で冷たくなっていた。またアルリーネが泣く。そう思ったら、何故か苛々した。


「メイが……お月様に帰って行っちゃった……」


 何度言ったら分かるのだ。汚れた床にしゃがみ込むな。椅子に腰掛けろ。


「メイが、メイが」


 犬の亡骸を抱き抱え、しゃくり上げて泣いている。


「動物の寿命は短い。先に逝くのは当然だろう」


 死ぬのを見たくなければ、飼わなければよいのだ。なまじ情けを掛けるからこうなる。その場の思い付きで行動する女の頭が理解出来ない。


「分かってるよぉ……」


 それを『分かっていない』と形容するのだ。少しは学習しろ。


 こういうときは気落ちして、暫く使い物にならない。仕方ないので、自分で朝食を用意することにした。

 アルリーネの好きな薬草茶を煮詰め、枝葉をして、分厚い陶器に注ぐ。無言で差し出すと、床にすわったまま手を伸ばしてきた。


「ありがとう、グウェン」


 村人の前で逃げた夫の名を使うようになってから、いつの間にかこの女もそう呼ぶようになっていた。正式には『グウェンフォール』なのだが、長過ぎると勝手に縮めてくるのがまたしゃくに障った。


「グウェンフォール、だ」


「長いよ」


 また言うか。誰かににらみ付けられたときの条件反射となっているのか、へらへら笑って誤魔化そうとする。から元気だろうと、涙が止まればそれでいい。


「メイはどの月に戻ったのだと思う?」


「知らん」


「でもグウェンは魔法が使えるだろ、頭いいじゃないか」


「ただの『魔法』じゃない、きちんと習得した『魔術』だ。『月に戻る』は壁の向こうの言い回しを踏襲した婉曲えんきょく語法で、『死ぬ』という以外の意味はない」


 『壁』とはこの大陸を南北に分断する高山の連なりだ。南側の国々では本気で死んだ魂が月に戻ると信じているようだが、説明が面倒になりそうなので北の解釈に限定することにした。


「じゃあどこに戻るの?」


「どこにも戻らん。消えるだけだ」


 命なんてそんなものだろう。生まれ変わって再生利用という可能性を、神殿の魔導士だった頃のように無邪気に信じる気は失せていた。

 何度も生まれ変わって修羅場を潜り抜けたのなら、こんなに簡単にだまされるものか。カドックたちを疑いもしなかった御目出度い自分を、時間を遡って殴ってやりたかった。


「そうかなぁ……アタシ、月に帰るのがいいな」


「だったら勝手に帰れ」


「えー、ひどい」


 ぷうっとほおを膨らませるが、元々肥えた顔なので余り違いが出ない。

 そういう仕草は若く可愛らしい娘がやってこそ似合うのだ。せめて上品に椅子に腰掛ける素養を培ってからにしろ。




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 老犬を庭の土に埋めて数日。猫と共に山一つ向こうの大きな街へ今年最後の薬草を売って来ると出掛けた女は、いつまで経っても戻らなかった。

 どうせまたどこかで怪我をした小動物にでも出くわしたのだろう。そう高を括って、再び数日待った。


 一週間近くが過ぎ、いくらなんでも遅すぎると思って山道を登ると、途中で猫の鳴き声が聞こえる。


「ディラヌー?!」


 灰色の猫が小走りで山道を下りて来た。しゃがんでやると、腕の中にすっぽり収まる。


 長い立派な毛並みは、いかにも貴族好みの高級猫だが、耳が片方だけ折れていたせいで捨てられたのだ。母猫は、この辺り一帯を統べる貴族の娘が溺愛して贅沢ぜいたく三昧らしい。

 領主館で生を受け、奇形だからと村長に下げ渡され、最終的にアルリーネに押し付けられた。


 出来損ないは容赦なく間引き、無理な交配を強引に繰り返す。血統にしがみつく貴族社会の縮図のような猫ではないか。

 にぁああ、と弱々しげに鳴いては、目を細める様子に、初めてアルリーネが連れて帰って来た夜のことを思い出した。


『グウェン~』


 何度注意しても、妙に間延びした呼び方をする。


『あのねぇ、この子の名前、何がいい?』


『自分で考えろ。お前が押し付けられたのだろう』


『でもさぁ、この子の母親って領主様の猫なんだよ。貴族の名前なんて分からないよ。グウェンは賢いでしょ、なにかいい名前知らない?』


 貴族の猫だから貴族の名前を付ける、という帰結が理解の範疇はんちゅうを越えている。

 ねぇねぇ、としつこく付きまとわれて、咄嗟とっさに口を出たのが『ディラヌー』という名前だった。


『ディラヌー! やっぱりグウェンは凄いね、カッコいい名前をもらえて良かったね』


 アルリーネがうれしそうに猫をあやし、その場でくるくると回っていた。


 別に貴族特有の名前ではない。自分では適当な思い付きで言ったつもりだったが、その名前をアルリーネが盛んに呼ぶのを聴かされ続けて数週間後、やっと記憶がよみがえった。

 聖女様のヒキガエルの名前だ。老婆は膝に載せ、時折『ディラヌー』と優しく呼んでは、でていらしたではないか。


 カドックの執務室に初めて出向いたとき、『聖女があのかえるを見つけたのはどこだか知っているか?』と真剣な顔で質問されてしまい、随分焦ったものだ。

 そんなことは学校で教わらなかった。新米魔導士たちは難題にこぞって頭を抱えた。


 『北のな、名もなき村の名もなき池なんだとよ』と口の端をゆがめながら解答を発表され、漸く自分たちが揶揄からかわれていたのだと気が付いたのだが、その池は確かシャンレイ様が開闢かいびゃくされた修験場の近くではなかったか。




 幾重にも交叉こうさする思い出にふけっていると、腕の中の猫がひときわ大きく鳴いて暴れた。


「どうした? お前、主人はどこだ」


 身をじり、ひょんっと地面に着地する。歩くのも覚束なかった猫は、すっかり大人になっていた。

 家の中で欠伸を繰り返す姿は、一度たりとも知性の片鱗へんりんうかがわせなかった。なのに今、まるで後ろを附いて来い、と言わんばかりに何度も振り返っては先導役を務めようとしている。

 黙って後を附けると、道を曲がったずっと先に人が横たわっていた。


「アルリーネ!」


 足元しか見えなくても、誰かすぐに分かった。走って近寄り、ぽっちゃりしたほおを軽くたたく。まるで呑気のんきに眠っているようだ。なのに口や鼻に手を当てても、息をしている気配がない。手の脈がない。心臓音が聴こえない。


「アルリーネ!」


 そうだ、回復魔術だ。何を回復させればいい? こうなった原因を特定せねば。

 魔杖まじょうを握り締め、辺りを見渡す。売り物の薬草を詰めた大きな籠が木の傍らに置いてある。こんな道端で休憩でもしようとしたのだろうか。


 せめて旧野営地でも探すなり――――あれは、野生のガウバ?

 すっかり熟れて黄色というよりもだいだい色をした、野生にしては偉く立派な果実が樹の枝に数個残っていた。


『グウェンはガウバが好きなんだねぇ』


 へらへらと笑う顔が脳裏を過ぎる。いや、あのときは単に甘味が欲しかっただけで、別に好物じゃない。だが今思い返してみれば、その後からアルリーネは事あるごとにガウバを持って帰って来た。


『お父ちゃんが言ってたよ、グウェンフォールってガウバを作った人の名前なんだって。それがなまってガウバってなったらしいのだけど、そんなに似てないよねぇ』


 歴史にそれなりに精通している自分でも初耳だった。アルリーネのおしゃべりは珍妙な情報が時折飛び出す。


『逃げた旦那さんは、なのにガウバが大嫌いでさ。変だよね、グウェンフォールなのに』


 だから名前で全てを決めるな。開発した農夫と同じ名前の人間が、全員ガウバ好きなら逆に奇跡だ。


『俺はお前の旦那じゃない』


『そうだね、グウェンはグウェンだもの』


 あはは、と大きく口を開けると、不揃ふぞろいな歯が見えた。


 ――まさか果実を採ろうとして、こんな低い木に登って落ちたのではあるまいな。いや、それならどこかに打撲痕があるだろう。頭にも血痕やこぶがない。こんな簡単に人が死んでいいはずがない。


「アルリーネ! 起きろっ」


 思わず乱暴に揺さぶった。頼む、目を開けてくれ。とりとめのないおしゃべりなんか、いくらでも聞いてやる。どこにしゃがみ込もうが構わない。口を大きく開けて、バカみたいに笑ってくれ。


 思い付く限りの回復魔術を片っ端から掛けた。骨か? 筋肉か? 血流か? どの内臓だ? 最後にはかなりの副作用があるものまで、知っているものは全て施した。


「アルリーネ……」


 昼が過ぎ、夕闇が迫っていた。こんなところで寝ていては治るものも治らない。冷たくなったアルリーネを肩に背負い、山を下りた。

 魔術で空中を移動させるということは何故かしたくなかった。アルリーネは自分で運ぶ。小太りの身体は思った以上に軽くて、何度も体形を揶揄やゆしたことを悔やんだ。

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