シティー・ポップ

春雷

シティー・ポップ

 イカしたシャツを着て、イカしたズボンを履き、夜はバーを巡り、酒や煙草を嗜む。口数は少なく、立ち振る舞いはクール。洒落た文庫本をポケットに入れて、オープンカーを乗り回し、街から街へ……

「つまり、お前はハードボイルドな人になりたいということか。マーロウみたいな」

「うーん。どうだろう。近い気はする」

 彼はよくシティーボーイになりたいと口にしていた。僕はあまりよくわからないが、とりあえずそうなんだ、と適当に相槌を打っていたのだが、近頃その疑念が膨らみ、その真意を問いただそうと、スターバックスコーヒーに呼び出した。もちろん僕の趣味ではない。彼が好んでいるかどうかも不明だ。

 一応、大竹まことやきたろうになりたいと言うわけではないよね、と訊いた。どういう意味、と問い返されたので、そのギャグは失敗に終わった。おそらく冴羽リョウ路線でもないだろう。海坊主は論外として。

「一体お前の言うシティーボーイとは何なのだろう」

「洒脱な人という感じかな。程よいシティー感というか」

「山下達郎? 大瀧詠一?」

「えっと」

「無視してくれて構わない」

「クールでお洒落な人かな」

「洗練された」

「そうだね。洗練されている」

「洗練を極めるとしたら、スティーブ・ジョブズになるんじゃないか」

「嫌だよ、毎日同じ格好なのは」

「でもスタイリッシュだよ。ゼンって感じで」

「うーん」

「まあこれから方向性が定まっていくんだろう。よくわからないが」

「そうかなあ」

「そもそも、お前は都会生まれの都会育ちなんだから、別に何か特別な努力をしなくとも、シティーボーイじゃないか。掲示板にxyzが書かれていないか、見る必要もない」

「まあ、それもそうだけど」

「年齢を重ねることで真の洗練されたシティー感が身に付いてくるんじゃないか」

「なるほど」

 僕は一体何の講義をしているんだ。自分で言っていて、意味がわからない。とりあえずチルアウトして、そこからリカバリーして彼とのコンセンサス―じゃなくてアグリーメントか―を得ることだ。その際、イニシアチブがどちらにあるかは重要じゃない。所詮僕らはワナビー。他人をディスる権利なんてないのだ。

 とか何とか。

「とりあえずフラペ何とかを飲み終えたら行こうか」

「フラペチーノ」

「ブラッド・ピット?」

「フラペチーノだよ」

「アル・パチーノか。ダスティン・ホフマンと顔が似ていると思っているのは僕だけかな」

「何の話?」

 僕はノリで話すぎる。そのせいで脱線が多いし、話の意味もよくわからなくなってくる。

 あと人の名前を出しすぎている。

「酒は飲める?」

 違う角度からシティーボーイとは何か、考えることにした。

「多少は。でも強くない」

「酒が強いかどうかは重要じゃないか。嗜むってのがポイントで」

「潰れるのはクールじゃないし」

「ゲロなんて最悪な部類だろう。クールにゲロを吐くのは難しい」

「確かに」

「僕は酒が全く飲めないからな。そのせいで毎回送り迎えを任される。ほとんどタクシー状態だよ。メーターを付けようかな」

「それは辛いね」

「夜中に呼び出されるのが嫌だね。夜中はよくわからない深夜番組と深夜アニメを観たいから」

「へえ」

 それにしてもこいつの相槌、かなり適当だ。

 まあ、いいけど。

「じゃあ、今日はシティーボーイになるための訓練をしようか」

「訓練?」

「ああ。『ポリスアカデミー』的訓練だ。かなりのスパルタ式」

「どんな訓練をするの?」

「それは訊くな。今から考えるから」

 かなりの見切り発車だ。要するに、僕は遊びたいのだ。彼を使って。

「とりあえずビデオ屋へ行こう。このフラ何とかを飲んだら」

「フラペチーノ」

「フ何とか」

「何で一文字ずつ忘れていくの」

「『幽遊白書』の海藤と戦っているんだよ」

 僕らはスターバックスを出て、彼が運転する車に乗り込んだ。

「それにしても見るたびにボロくなるな、お前の車」

「うるさいなあ」

「いつかハンドルだけになって、お前がハンドルを真剣な顔で握りしめて中腰で公道を走ってたら嬉しいけどな」

「さすがに気付くよ」

「ウインカー出せないからな」

「手で出せるよ」

「あ、そうか」

 目についたビデオ屋に入った。

「よし。ここで三つ、ビデオを選べ。僕がセンスを見極めて、お前がシティーボーイに相応しいかどうか、判断する」

「何か嫌だな」

「制限時間はなし。可及的速やかに選んでくれ。ASAPかつなるはやで」

「うるさいなあ」

「では始め!」

 彼は渋々ビデオを選び始めた。僕も一応選んでみる。

 十五分後。

「選んだか」

「偉そうだなあ」

「見せてみろ」

「はい」

 彼が選んだのは、クールな英国スパイアクション、感動的な脱獄系ヒューマンドラマ、韓国のバイオレンス映画の三本。

「うーん。まだまだ、だな」

「そうなの? 模範解答は?」

「アダルト三部作だ」

 僕が差し出したのは大人のビデオだ。

「価値観が幼い」

「的確だな」

「本当に選んだのは?」

「コメディアニメ三本」

「そっちの方が素直でいいなあ」

「コメディアニメでたまにある感動的な回が好きなんだよなあ」

 単純に楽しんでしまったので、次の訓練施設へ向かう。

「今、何時だ?」

「自分で時計見てよ。運転しているんだから」

 彼の車で移動しているので、彼がずっと運転してくれている。窓を少し開ける。風が心地いい。都会の空気は少し埃っぽいけど。

「股間時計を使おう」

「え?」

「7時だな」

「右曲がりなんだ」

「七曲がりだよ」

「ちなみに今は午後三時」

「ちょっと時差があるな」

 細かいことは気にしない主義だ。

 次に訪れたのは、服屋だ。

「ファッションは大事だ。ここでファッションセンスを試す」

「うーん、お前は審査する立場にないと思うんだけど」

「審査員批判をするな」

「面倒だからもう何にも言わないよ」

 彼はすぐに服とズボンを持ってきた。でも僕はファッションに関する知識を全く持っておらず、彼のセンスを判断することはできなかった。

「まあ、いいんじゃない」

「やっぱり審査できてないよ」

「何でも審査は早く通った方がいいでしょう」

「それはそうだけど、ちゃんと審査してほしいな」

「基本外では服を着ること。これがファッションの第一」

「これは酷い」

 これ以上居ても仕方がないので、服屋を後にした。

「もうゲームセンターでも行くか」

「全然シティーボーイじゃないよ、それは」

「もういいだろう、どうせただの憧れにすぎないんだから」

「そんなあ」

「結局誰もがワナビーなんだよ」

「お前は何のワナビーなの?」

「知るか。作者に訊いてくれ」

 車が路肩に止まった。

「おい、どうしたんだ」

「いや、ちょっとトイレ行こうと思って。この路地を抜けたら公園があるから、そこのトイレに行くよ」

「OK」

 僕は助手席を後ろに倒し、空を眺めていた。

「おい」

 すると、誰かが話しかけてきた。見ると、拳銃を僕に突きつけていた。

「手をあげろ、金を出せ」

「同時にやるのは無理だろう」

「手をあげろ」

「もうちょっと捻った方がいいと思うけどな。幸せなら手をあげようとか」

「うるさい」

「銃ももっと重厚感のあるものにしろよ。おもちゃ感が凄いよ」

「撃たれたいのか」

「撃ってみろよ。それを聞きつけた誰かが通報して、逃げるのが困難になるぞ」

「くそ」

「誰に憧れてるんだ?」

「あ?」

「拳銃を突きつけて金を出せ、手を上げろ。テンプレート的だ。誰をイメージしている? どの映画の影響だ? 漫画か?」

「おい、喋るな」

「喋らねえと暇だろう、お前も」

「暇ではない」

「暇だから犯罪行為をするんだ」

「それだけが原因ではない」

「冷静になってきたな」

「うるせえ、殺すぞ」

「殺すなんて冗談でも言うなよ」

「冗談じゃねえよ」

「お前がマイケル・ジョーダンじゃないことくらいわかっているよ」

 彼が引き金に手をかけた。

「本当に撃つぞ」

「撃ってみろよ。お前にその覚悟があるか? 僕にはあるぜ。どうする? お前の選択次第で僕の今後の人生が決定される。生殺与奪の権は完全にお前に握られている」

「く……」

「どうする? どっちでもいいぜ」

 彼の額から汗が流れ、顎へと伝う。彼はそれを拭おうとしない。

「人生ってのは難しい。選択を一度誤ればすぐさま転落する。まあ、僕は説教する立場にないが、誰かの影響を受けて、それを鵜呑みにして、何の考えもなしにその選択をしようとしているのなら、その選択にはそれなりの責任が伴うのだということをもう一度冷静になって考えた方がいい。自分がもし今死ぬとして、その選択は最善か? 死は発明だ。どこかのおっさんがそう言ってたぜ」

「ぐ……」

 彼は顔を顰め、苦痛に似た表情を浮かべた後、銃を下ろした。

「もっとポップに生きろ。ワナビーで終わるな」

「何なんだ、お前は」

「知るか」

 彼は僕の顔をもう一度眺め、どこかへ走っていった。

「フラフープ何とかって飲み物、美味しかったな」

 空を眺めながら呟く。

 あいつが戻ってくる。

「ちゃんと全部出し切ったか」

「まあ。何かあったの?」

「人生相談だよ」

「人生相談?」

「無料のな。そんなことより、フラダンス何とかをもう一度飲みに行こうぜ。あれを飲むことがシティーボーイになる第一歩だ」

「フラペチーノ、ね。二杯飲む人いないよ」

「酒飲めねえんだからいいだろう」

 車が発進し、Uターンする。逆再生的に景色が流れ始め、僕は午後の心地よい空気の中、うとうとと眠り始めていた。フラミンゴの夢を見ながら。

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