空の棺を満たすもの
砥石 莞次
第1話
空の棺を満たすのは、きっと花だ。きっと、というより絶対。
「カウォル、そろそろ準備できた?」
「はい」
階下からの呼びかけに答えながら、床に置かれた棺を見る。大きさは90センチほど。コフィン型のそれには名前が刻印されている。親愛なる姉の名、『ジレース・アチェリー』と。彼女が亡くなったのはもう一月も前で、だというのに、僕は未だに気持ちの整理がついていない。
「……姉さん」
どんなに小さな声で呼んでも、どんなに離れていても、すぐに駆けつけてくれる人だった。隣町のおもちゃ屋で迷子になった、あのときから。
「テレポニスタなのよ、私」
大きくなった今なら分かる。テレポーテーションの使い手をテレポニスタとは言わないし、姉に特殊な能力は備わっていない。それでもすぐに駆けつけることができたのは、いつも僕を見守ってくれていたからだ。少し離れたところからじっと……。
「カウォル?」
なかなか下りてこない僕に痺れを切らしたのか、母が顔をのぞかせた。脳裏に浮かんでいた姉の姿がパッと消える。
「まだ背負ってなかったのね」
母はゆっくりと歩を進め、棺のそばに跪いた。顔の前で両の手のひらを合わせると、「失礼いたします」と他人行儀に言った。それは家族である姉のものなのに、まるでお偉いさんでも相手にしているみたいだった。
「ほら、カウォルも。ちゃんと膝をついて、今日のことお願いしておきなさい」
今日のこと。母が指しているのは、僕が参加する、村のならわしのことだ。亡くなった者の親族、もしくは友人、恋人。はてには、挨拶を交わす程度の知り合いまで。浅かろうが深かろうが、関係があれば誰でもいい。どんな縁でもいい。死者を知り、寄り添い、あの世へ送り出すための儀式を行う。なんてことはない。空の棺を背負い、村を一周する。その間、共に過ごした村人たちから花を入れてもらうのだ。感謝の気持ちがこもった花は、底から静かに重なっていく。棺が満たされたとき、死者の魂はようやく旅立てる。
「儀式用とはいえ、ちゃんとしているのね」
棺をテーブルの脚に立てかけ、表面をなぞる。母の短い指が、姉の名に触れて止まった。
「平気よね、きっと」
誰にともなく呟かれる言葉。それを合図に、堰を切ったように叫ぶ。
「神様、神様! どうかお願いです。花だけでありますように、花だけでありますように、花だけでありますように」
床に頭をこすりつけて、何度も何度も繰り返す。
「花だけがいいの。花だけなの。あの子にふさわしいのは」
分かってるでしょう? 母はそう問うかのように、顔を上げて僕を見た。
「あんな冷たくて、重たくて、怖いもの、ジレースには似合わないわよね。棺に入ったりしたら、」
「入らないよ、母さん」
続きを遮って、僕は強く言った。姉を憎む人なんて、存在しない。誰もが彼女の死を悼み、あの世での幸せを祈っているはずだ。
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