40.お嬢さんと最後のデート

 十二月十日、雛乃との恋人契約の最終日。

 清々しく晴れ渡った薄青の空に、ぽつぽつと白い雲が浮かんでいる。真冬とは思えないほど温かい陽気で、柔らかな日差しが惜しみなく注いでいた。

 やたらとメルヘンなデザインをした門の前で、俊介は一人、雇用主こいびとのことを待っていた。開園前だというのにチケット売り場には長蛇の列ができており、耳付きのカチューシャをつけて写真を撮る学生グループやカップルも多く見られる。

 雛乃との初めてのデートのときも思ったが、どうして自分以外の人間たちは、こんなにも幸せそうに見えるのだろうか。


 俊介が最後のデートの場所に選んだのは、遊園地だった。海のそばにある、有名なテーマパークである。初心に返り、デートの参考書の2ページ目に載っていそうなチョイスである。

 午前九時五十分。向こうから、運転手を傍に従えた雛乃が歩いてくるのが見える。ベージュのチェスターコートに、カシミヤのニットとロングスカート。いつもの高いヒールのパンプスではなく、踵の低いローファーを履いている。俊介が「結構歩くから、疲れない靴の方がいいですよ」とアドバイスしたためだろう。ハーフアップの髪には、先日俊介がプレゼントしたバレッタが飾られていた。


「俊介、ごきげんよう」

「はい、ごきげんようお嬢さん」

「本日が最後の業務ですね。よろしくお願いします」


 俊介の前で足を止めた雛乃は、どこか硬い表情でお辞儀をした。俊介も「こちらこそ、よろしくお願いします」と頭を下げた。


「それでは石田。本日は十八時に迎えに来てください」

「かしこまりました、雛乃様。どうぞお気をつけて」

「……」


 先ほどから雛乃は、頑なに石田の方を見ようとしない。もしかすると喧嘩をしているのかもしれない。俊介をパーティー会場に連れてきたことが、尾を引いているのだろうか。石田の自業自得ではあるのだが、なんだか申し訳ない気もしてくる。


 そのとき、軽快なメロディとともに、開園のアナウンスが流れてきた。午前十時、契約彼氏としての最後の業務が始まる。


「それじゃ行きましょうか、雛乃さん」

「……はい」


 俊介が伸ばした手を、雛乃はぎゅっと握りしめてくれる。雛乃の恋人でいられる、最後の八時間。それが終われば、上手に笑ってさよならをしなければならない。


「俊介、チケットを購入しなくてよろしいのですか?」

「んなもん、前売り買ってるに決まってるでしょ。時短ですよ時短。まずはファストパス取りに行きますよ。乗りたいアトラクション教えてください」

「まあ、頼りになりますね。加点して差し上げます」

「まだその点数システム生きてたんですか? ちなみに今何点?」

「百億点です」

「いきなり小学生みたいな数字出すのやめてください」


 俊介が言うと、雛乃はまるで子どものように、肩を揺らして無邪気に笑う。

 そして俊介と雛乃は、二人の最後の休日を締めくくるに相応しい夢の国へと歩き出していった。




 ファストパスを入手したあと、俊介と雛乃はライド型のシューティングアトラクションに乗ることにした。コースターに乗り、次々に出てくる標的を撃ち落として総得点を競うのだ。

 最初こそ慌てふためいていたようだったが、意外なことに、雛乃の射撃の腕はなかなかのものだった。


「……俊介に負けてしまいました」


 最終スコアを見つめる雛乃は、唇を尖らせて悔しがっている。そういえばこのお嬢様は、なかなかの負けず嫌いなのだった。俊介はお世辞ではなく「雛乃さんも上手かったすよ」と言った。


「ちなみに雛乃さんって、遊園地来たことあるんですか」


 俊介が問いかけると、雛乃は記憶を辿るように遠い目をしてから、言った。


「……小学生の頃。石田と二人で、フロリダにあるテーマパークに行ったことがあります」


 俊介の言葉に、雛乃は目を細めて柔らかく微笑んだ。大切な思い出を懐かしむような、優しい表情だった。


「当時、私は英語の勉強のため三ヶ月ほどアメリカに来ていたのですが……毎日勉強ずくめで。遊ぶ暇などほぼない私を不憫に思ったのか、石田が一日だけ連れ出してくれたのです。本当に楽しかった……」

「へー。石田さん、優しいですね」

「……でも、もう知りません。石田のことなんて」


 雛乃はそう言って、拗ねたように頬を膨らませる。石田に腹を立てていることを、にわかに思い出したのだろうか。父親に反抗する思春期の娘のようで、少し微笑ましい。


「石田さんは、雛乃さんのことほんとに大事に思ってるんですね」

「……だったら、どうしてあんなことをしたのかしら」

「それは……」


 それは、雛乃の幸せを心の底から願っているからだろう。雛乃のことを思うならば、俊介のような男と結ばれることを良しとするはずがない。

 しかし俊介は、石田の本意を雛乃に伝えなかった。彼女の質問には答えず、園内マップを広げてみせる。


「次何乗ります? ファストパスの時間までまだありますし、雛乃さんが好きなやつ行きましょう」

「そうですね……では、こちらに乗りたいです」


 雛乃が指差したのは、トロッコに乗って猛スピードで敵から逃げるという設定の、木製ジェットコースターだった。お嬢様らしからぬチョイスに、俊介は目を丸くする。


「え。雛乃さん、絶叫系イケるんですか?」

「以前石田と行ったときは、危険だからとジェットコースターに乗せてもらえなかったのです。ねえ俊介、今日はいいですよね?」


 雛乃はまるで少女に戻ったかのように、瞳を輝かせて甘えてくる。俊介は「もちろん」と笑って彼女の手を取る。心配性な運転手には、心の中でこっそりと謝っておいた。


 


「……雛乃さん。なんっで、そんな絶叫系ばっかり乗りたがるんですかね……」


 デートが始まってから二時間。立て続けに絶叫マシンに乗せられた俊介は、早くもぐったりと疲弊していた。

 雛乃は平然とした様子で、俊介の背中を優しく撫でている。髪ひとつ乱れていないが、形状記憶システムでも搭載されているのだろうか。


「とっても楽しいです。スリルがあって良いですね」

「それは何より……でも、次はもーちょいメルヘンなやつに乗りましょう」


 俊介の言葉に、雛乃は「仕方ないですね」と笑う。箸より重いものを持ったことがなさそうなご令嬢は、俊介が思っているよりもずっとタフらしい。

 そのとき雛乃が、通りかかったカップルをついと目で追いかけた。お揃いのカチューシャをつけた若い男女は、長いチュロスを分け合って食べている。そういえば、そろそろ昼どきだ。


「もしかして腹減ってます? そろそろメシ食いましょうか」

「そうですね……でもこの時間ですと、どこも混雑しているのではないですか?」

「お、雛乃さんもだんだんわかってきましたね。軽食でも買って、ベンチで食べましょうか。あそこで売ってる肉まんが美味いらしいですよ」

「採用します」

「じゃ、ここで待っててください」


 俊介はそう言い残し、近くにある売店へと走った。ウサギの形をした肉まんをふたつと、飲み物を購入する。肉まんひとつが四百円とは、まさしくテーマパーク価格である。

 そういえば、こういった場所では領収書が発行されない。チケット代は雛乃持ちだし、このぐらいならまあいいか。半年前の自分ならば、信じられないようなことを考える。


 雛乃のところに戻ると、肉まんと飲み物を手渡す。彼女は物珍しいのか、道行く人たちのことをキョロキョロと眺めていた。


「……あの。どうして皆さん、動物の耳がついたカチューシャをつけているのでしょうか」


 雛乃が不思議そうに首を傾げる。彼女の言う通り、耳付きのカチューシャをつけている人は多い。この遊園地のイメージキャラクターは、ウサギとオオカミのカップルなのだ。


「この遊園地のキャラクターですよ。ガキの頃、日曜朝にアニメやってませんでした?」

「……見たことは、ありませんが……そういえば小学生の頃、友人のゆりちゃんがペンケースを持っていた気がします。とても可愛らしいですね」


 雛乃の瞳が、にわかにキラキラと輝き出す。俊介はなんとなく嫌な予感がしてきた。


「ねえ俊介。のちほど、私たちもカチューシャを買いに参りましょう」

「……やっぱ、そうなりますか」


 俊介は溜息をついた。文化祭で猫耳をつけておいてなんだが、恋人とテーマパークで耳付きカチューシャをつけるのは、また別の気恥ずかしさがある。

 気乗りしない様子の俊介に気付いたのか、雛乃は悲しそうに眉を下げて、「ダメ、ですか?」などと尋ねてくる。可愛らしい上目遣いで、そんな訊き方をするのは卑怯だ。ダメとは言えなくなるではないか。


「……構いませんよ。可愛い恋人のお願いは、死ぬ気で叶えるものですからね」

「素晴らしい心がけです」

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