平凡攻め短編集

のず

知らぬ間に

「ただいま」


「おかえり。ごはん、もうすぐだから先にお風呂に入ってきて。タオルと着替えは出してるから」


トントントン。台所に立ち、夕飯を作っている光村の背中。俺は思い切って話を切り出した。


「あのな。俺、ここを出て行こうと思ってる」


トントントン、の音が止まった。

光村がどんな反応をするか怖いところではあったが、俺は光村から離れなければならぬのだ。ドキドキソワソワして光村の返事を待つ。

くるりと振り返った光村は、わなわなと震え、手には包丁。

それを俺に向ける。


え?ええ?


「どういうこと?誰か好きな人でもできた?俺と別れるってんなら、お前を殺して俺も死ぬ」


ちょっと待て。俺はルームシェアを止めようと言っただけだ。

なに?別れる?どゆこと?


俺に向けられた包丁の先から視線は動かせないまま、今までのことを振り返ってみる。



出会いは高校1年の春。

通学に二時間以上かかる生徒のために寮があり、俺と光村はルームメイトになった。

光村は世話焼きだった。

朝、起こしてくれる。

俺の洗濯物もランドリー室に持って行って洗濯して干してくれてしかも畳んでくれた。シャツのボタンが取れたらつけてくれた。

俺がどうしても食べることができないピーマンを代わりに食べてくれた。デザートのプリンは俺にくれた。

テストでとんでもない点を取って落ち込んでる俺をハグして励ましてくれた。

俺は弱小陸上部だったけど、競技会には毎回応援に来てくれた。


という高校生活を送り、お互いに大学内部進学が決まったころ。


「大学生になっても、一緒に住まないか?」


そう光村に誘われた。だから俺は返事した。


「そうだな。光村と離れて暮らすなんて、考えられないよ」



そして始まった大学生活。

当然のものとして享受する光村との生活。光村はイケメンだけど浮ついたところもなく、モテてるはずなのに俺にそれを見せない。もしかしたら、俺の世話を焼くことで手がいっぱいで女の子まで手が回らないのかもしれない。

そう思ったものの、光村との生活は心地よくて俺はズルいと理解しつつ何の遠慮も自立もしなかった。


高校時代は寮では食堂、学校では学食か購買という食生活だったので自炊とは縁がなかったが、実家を離れている大学生はそうもいかない。

そのはずだったが、俺は料理を免除された。光村が一手に引き受けてくれた。もちろんそれではいけないと俺は思い、当番制を提案した。

しかし。


「俺のほうが手際がいいから、効率的で合理的なんだよ」


と、断られた。

高校時代は料理などしたことなかったはずだが、光村は料理が上手だった。そして年を追うごとにますます腕が上がり、料理においての俺の存在価値は無に近いものになった。


光村は何でもやってくれた。

掃除も洗濯も。俺の靴下がどこにあるのか、俺よりも光村のほうが詳しい。

俺がするのはゴミ出しくらいだ。しかも、それも忘れることがある始末。だけど、光村は文句の一つも言わない。

俺に女っ気がないのはただ単にモテないだけだけど、自分から彼女作りたいという欲も特になかった。光村と一緒にいるのが楽だからだ。


…っていう話を何かの折に友人に話した。すると友人は俺の肩をポンと叩き、心配そうに言った。


「お前、光村がいなくなったらどーすんの?」


どーすんの?

どーすんのって言われても、どーすんの?


俺はここで初めて、自らが置かれている環境に疑問を覚えた。いや、違う。己のアホさに気付いたというべきか。

俺は、朝、自分一人で起きることができるのか?食事の支度をできるのか?ゴミ捨てできるのか?掃除できるのか?自分を律して生活することができるのか?


光村が世話焼きだからといって、俺は光村のことを便利だとか役に立つとか、そういう打算的な目で見たことない。それは本当だ。

だからこそ、今ここで光村から離れなければいけない。


そう思うと、自分の気持ちに変化が起きた。

光村を愛おしく感じるのだ。

俺の好きな肉味噌を作ってくれてありがとう。

俺のパンツ洗ってくれてありがとう。

朝起こしてくれてありがとう。


という感謝の気持ちに加え、なんだかムラムラするのだ。


風呂上がりに半裸でウロウロする光村を見ては内心ニヤニヤ。

俺の寝起きが悪いとき、光村は俺をくすぐってくる。

それを期待して目覚めはパッチリだけど、眠いフリをしてくすぐってもらう。

ソファで並んで座ってるとき。本当は眠くないけど眠いフリして光村の肩にもたれかかる。


などという行いの数々を自分でもヤバいと思い、光村と離れることを決心した。


頼り切りではいけない。友人の光村にムラムラしてはいけない。


そういうことで、俺は光村とのルームシェアを解消しようと思ったのだ。



そして冒頭に戻る。



光村は険しい顔をして包丁を俺に向ける。これは冗談ではない。冗談でこういうことするヤツではない。


「本気だからな。別れるっていうなら」


じりじり、一歩ずつ近づいてくる。手には包丁。切っ先は俺にまっすぐ。


ええと。付き合ってると?俺たちは付き合ってると??

『いつから?』なんて聞こうものなら、絶対刺される。そんな気がする。


ごくり。生唾を飲み、俺は覚悟を決めた。


「別れない!ただ、俺は、何もかも光村に頼り切りだから。だから、あの、このままじゃ…。俺はダメ人間まっしぐらだ」


光村は切っ先を下げた。だけど視線はまだ厳しい。


「俺がいないと生きていけないようになればいいのにって、常日頃から思ってるよ?」


ひえっ。そんなこと思ってたの?


「あと、それに。最近すごく…光村に触りたい。それは今まであの、しなかったから。だから光村に嫌な思いをさせる前に少し離れたほうがいいかなって」


取ってつけたような理由を言ってしまった。

光村は俺と付き合ってると思っていた。しかし、今まで何もエロいことを仕掛けてこられたことはない。それはエロいことが嫌いだからではないか。咄嗟にそう思ったのだ。


「それは、お前が高校時代に言ってたからだよ。『体の関係はいらない。精神的なつながりがあればそれでいい』って」


ん?そんなこと言ったっけか。あー、言った気もする。

だけどそれは彼女自慢してる友人がいて、それがすごい悔しくて強がっただけだ。


俺の回想をよそに、光村はニッコリと微笑む。とっても慈愛に満ちた笑みだった。


「考えが変わったんだね。嬉しいよ。俺はいつでも準備万端だよ」


光村は包丁を持ったまま、器用に俺にハグ。俺も背中に手を回す。ムラムラよりもヒヤヒヤが勝る。


いやもう本当、俺たちっていつから付き合ってたの?これはルームシェアじゃなくて、同棲だったの?


疑問はいろいろと渦巻いたけど、光村と離れる必要がなくてホッとしたのもまた事実だった。

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