鈴川桔梗

第1話

あと数分で、私はまた一つ、歳をとる。

結婚せず子供も産まず、44才、一般事務の仕事をただ漫然と25年続けている。

包(つつ)井(い)容子(ようこ)。私の名前を短くすると「包容」になる。他人に優しくあることを強要しているかのような、この名前。40才を過ぎ、名前が指し示す意味を思うと、どうしようもない居心地の悪さを感じる。せめて苗字だけでも変えることができれば、つまり結婚できれば、狭量であることを、常に意識しなければいけない居た堪れなさから逃れられるかもしれない。でも、私が結婚できる可能性は極めて低い。

結婚の意義を生殖だとするならば、私には最早その資格がない。間もなく45才になるこの身体は、子を孕み、産むという機能が無くなっている。気まぐれにやってくる月経の、トイレットペーパーにこびりつく薄い血は、女の終わりが迫りつつあることを告げている。

生殖が目的でない結婚があるとするなら、私はその相手に選ばれるだけの価値が、きっと無い。


日本がバブル景気に浮足立つ只中で思春期を迎えた私は、個性の追求こそが最も意味のあることだと信じた。自分のために生きること、欲しいものを手に入れることが、正しさなのだと思っていた。私にとっての個性とは、私自身が主体となって物事を決めることを意味する。受け取るのではなく、選び取る生き方をしたい。誰にも左右されず、私が満足するための選択が出来るということが、生きる価値であり、私に許された個性だと思っていた。それが如実に現れたのは、私の場合、恋愛だった。 

私が一番個性的にふるまうことが出来たのは、私を満足させられる男たちと共にいる時だった。私はキラキラと輝き、生きる喜びにあふれていた。

言い寄ってきた男と何となく付き合う女や、条件と婚約する女たちと違い、妥協しない私を、私自身が誰よりもコケティッシュだと感じていたし、そんな自分でありたいと思っていた。

二十代後半になると、知り合いが次々と結婚していった。結婚式で嬉しそうにしている新郎新婦に社交辞令を言って、新婦がかつて付き合っていた夢追い人の男と、好条件の新郎を比べた。

結婚の報告が重なると、あからさまに男の趣味が変わる知り合いが何人もいた。ひたすらに条件の良い男をあさり、目当ての男の妻の座になることに必死になっている。結婚というのが、女のすべてであるかのように振る舞う彼女たちを浅ましいとさえ感じていた。  

条件などではなく、子宮の欲求に忠実でいるべきだと思っていたのだ。それこそが私の個性であった。小賢しい女たちと私は違う、という自尊心もあった。人は誰しも生き方を選ぶ自由があり、だからこそ、結婚など、単なる生き方の選択肢の一つなのだと高をくくっていたのだ。でもそれは勘違いなのだと、今はわかる。

45才の誕生日が、数分でやってくる。

時から逃げたい。あの時のような、自尊心など、とうに失せた。

私のような特別な何かをもっていない平凡な女にとって、結婚していないことは齢を重ねるごとに、濃い汚点となってゆく。平凡な女は平凡な結婚をすることで一人前として認められるのだ、ということを日々痛感している。若かったあの頃の私は、彼女たちが必死になる意義をわかっていなかった。

私の個性は年々削がれてゆき、年を重ねる毎に個性的であること自体が頑固だと受け取られ、生きる喜びが薄らいでいった。結婚していないというだけで、誰にも選ばれなかったという欠陥品であることを、他人にも自分にも知らしめているのだ。

鏡を見る。

ブラウンに染めた鎖骨までの髪は、艶を失って細く雑にうねり、乾いて、毛先が広がっている。肌にも張りが無くなって、くぼんだ目の下はくすみ、疲れが取れていないことがわかる。眉の形を整えるため毛を抜きすぎたせいか、まばらになった眉毛は奇妙に薄く、夕方になると眉尻の化粧が取れて間抜けに見える。深い二重と丸い目は、目尻の皺と目の下のたるみを際立たせ、痛々しい加齢を感じさせる。真っすぐ過ぎる鼻梁の横から伸びる長いほうれい線、薄い唇。顔だけ見れば痩せ型なのに、肩と下半身に集中してつく脂肪で、いつのまにかアンバランスな体型になっていた。

包容──。誰も包容せず、誰からも包容されなくなった私は毎日、女を失いつつある。

個性は頑なさに変わり、その境界線があいまいになって、今では自分で認識できてしまうほどの狭量になっている。

私が信じた個性は足かせとなり、私は今日も独りだ。

鏡に写るのは、あと数分でまた一つ歳をとってしまう孤独に倦んだ女だった。


私は私をチヤホヤしてくれる男が好みだった。私に与えられるものがある男としか付き合ってこなかった。既婚者でも構わない。ダサい、何もない男と寝るくらいなら、私の欲しいものを与えてくれる男が良い。愛だったり物だったり時間だったりルックスだったりで、私を満足させてくれる男と一緒にいたかったのだ。

私の中で特に重要な位置を占めるのは、ルックスだった。背が高く、手足が長くて、首の太い人でないと、本能的に無理だった。そうやって私はその時々を、私を上機嫌にさせてくれる男たちと過ごしていた。凄いステイタスの男も言い寄ってきたが、私が良いと思えなければダメだ。子宮の欲求を刺激する男、つまりは「本能が認める男」といることこそが、私が選び取る生き方なのだから。そこそこで手を打つなんて事はできなかった。私は周囲の意見に流されず、奔放に恋をすることが個性的だと思っていた。

子宮の欲求=本能に従い、妥協せず、「本能が認める男」と共にあることが何よりも大切だ。その信念に基づく振る舞いを、男たちは歓迎していたと思う。他の女よりも手がかかる私と付き合うことそのものが、男たちの喜びになっていたはずだからだ。

男たちが困り顔をしながらも私を可愛がるのは、私が他の女と圧倒的に違っているからだ。それは本能に忠実であるという、私の個性的なところだと感じていた。

上機嫌の毎日。私と男たちの笑い声が絶える日は無い。

ずっと、そんなふうに生きていゆけると思っていた。

きっと私は、この中から一等の男を選び、その男と共に生きるのだろうと思っていた。


男たちの欲するものが、私の若さであるかもしれないと思い始めたのは、30才を過ぎた頃だった。そのあたりから私の機嫌を取っていた男たちが、減っていった。

私が30才だとわかると、男たちは腰が引けたような態度を示す。でも、私はまだ充分な美しさがあると思っていた。そんな私のことを周囲の人々が、冷ややかな物腰でたしなめることもあった。

女としての価値が徐々に落ち始めているかもしれないと薄々感づいてはいたものの、老いなど私には関係ないことのようにも思えていた。身体にも心にも、充分に水分を保つことができていたからだ。時々は本能が認める男と付き合うこともあった。

この時はまだ、子宮の欲求に忠実であることが、私だけに許された個性だと信じていた。

個性というのは、生きる価値だと、疑っていなかったのだ。二十代の頃と比べて、格段に減っていった「本能が認める男」たち。でも私の周りにはそういう男も多少はいたし、私も二十代頃と比べて変わったところなど無かったから、私はもっと私を上機嫌にすることを彼らに求め続けた。どう考えても、男たちの私に対する情熱が少なくなっていると感じたからだ。私の物言いは激しくなって、それが頑なさと捉えられたのかもしれないと気付いたのは、フェードアウトしてゆく男たちの曖昧な笑顔だった。大概、男たちは「仕事が忙しく」なってゆき、連絡が途絶えていったのだ。


35才を過ぎると、私に声をかける男たちは、以前付き合っていた人や、ほんの僅かの間、肉体関係を持った人が、酔った時だけ、寂しくなった時だけ、簡単に言えばセックスをしたくなった時だけになっていた。私と会うために以前のような工夫を凝らすことは無くなって、あからさまな欲望を隠しもしない誘い方を、その男たちは、した。手を凝らし時間をかけてくれていたのに、とも思ったが、誘い出してくれる男、特に「本能が認める男」は、あいまいな笑顔と共に消えていたので、私はそんな男たちの期待に応えていた。そうしていればいつかは誰かの一番になれると、この時でさえ思っていたのだ。

上機嫌になる機会が顕著に少なくなってから、「本能が認める男」が、何故あいまいな笑顔と共に消えたのかと考えを巡らせた。男たちにとって、私の態度は少し押しつけがましいかもしれない、と、ふと思う。

ひょっとしたら、私には個性と言えるほどのものが初めから無かったかもしれない、という思いが頭を過って、すぐに考えるのをやめる。私の身なりや来し方を振り返ってみても、今ならばまだ、誰かの一番として過不足ないはずだし、「本能が認める男」とめぐり会えるチャンスが、まだあると思えたからだ。私は二十代の頃と、何ら変わっていなかった。

誰からも選ばれない女が背負う孤独の影が、静かに近づいていた。

忘れたころに、「本能が認める男」だった男から連絡が来る。

行為が終わって、次に合う約束をしても、また「仕事が忙しく」なる。誰からも選ばれない女になりたくなくて、私と会うために工夫を凝らすことは無くなったおざなりな男に、些細なことを何度も約束させるような口調になる。私と寝た後の人生を、分かちあってほしかったのだ。

セックスが終わったあとの男たちの態度を見ると、「今だけ」という考えが、心の底にべったりとへばり付くようになった。次に会う約束と、私の人生をともに分かち合う確約を取り付けたかった。でもそれは叶わなかった。


私は頑ななだけだろうか、と思い始める。

個性を追求することが生きる意味だと信じた私を、困り顔で可愛がってくれていたのに。

個性の中身を問うことを見過ごし、個性の追求と頑なさの境界がどろどろに溶け、なんとなく、イヤな女になっていた。

その頃から、田舎に暮らす私とソリの合わない母は事あるごとに、

「そろそろ結婚を考えたら」

と、電話越しに焦燥と遠慮の混じった声音で話した。

「適当に、結婚しちゃえばいいじゃん」

友人も適当にそうアドバイスをした。その都度私は、

「本能が認める男としか、ダメだもん」

と言って、自分の個性にこだわり、世間の足並みに合わせるためだけに結婚したような、母や友人を心の中で軽蔑した。

若さを失いつつあることを、充分に感じ取れなかった私に、両親や友人はいろいろな男性を紹介した。私はそんな両親や友人との関係性が壊れない程度に彼らを侮り、話に合わせるようなふりをして、お見合いまがいの事を数回した。

パンを手でちぎらずに食べる男、貧乏ゆすりをする男、話すときに口元を手で隠す男、歯が黄ばんでいる男、薄毛を隠すために不自然な分け目になっている男、歩く速度を私に合わせられない男──どれも本能が拒否した。

「細かいことばかり気にして。こんないい条件の人はなかなかいないよ」

 そう言われても、子宮の欲求が微動だにしないのだから仕方ない。

「容子のいう、本能が認める男ってなんなの?」

私の親友が訊ねた。彼女は毛先を内側に巻いている、ネイルの手入れがいつもゆきとどいた歯科医師の嫁だ。

「子宮が求める男ってことかな」

彼女は鼻で笑って、人生のプライオリティーの話をした。最も尊重すべきなのは、どう見られるか、である、と言った。今の自分のように、若さと美しさを保つための暮らしが、女にとっていかに重要か、ということをかつての親友は私に力説したのだ。 

ハゲデブチビ黒縁眼鏡、資産家であることだけが取り柄の歯科医師の旦那は、彼女が今まで付き合ってきた男たちとは似ても似つかない、同じ人類とさえ思えぬ容姿をしていた。その男のおかげで、彼女は安泰なのだ。そして何度も高説をのたまい、心配の衣をまとった優越感を振りかざした。

私の子宮の欲求と、ハゲデブチビ黒縁眼鏡がもたらす生活が等価であるとはどうしても思えない。でも、この程度の男で手を打つことで、誰かの一番になりえた彼女のなりふり構わぬリアリストぶりが羨ましくも思えた。


40才になると、私の周りをうろつくのは、刹那的な快楽のみを求める、浅知恵顔のだらしない年下か、見た目オジサン丸出し御年配の男ばかりになった。かつて私を上機嫌にしていたような男たちの態度は相変わらずなのに、連絡が来る頻度は激減して、私は情けないほど「体(てい)の良い」女になっていた。この頃は辛うじてまだ、女だった訳だが。

誰からも選ばれない女の孤独と闘いながら、それでも私は自分を変えられなかった。個性の追求と頑なさは完全に混ざり、その有様は、頑なさとしかとらえられない。  

二十代の頃と変わらない私に向けられた、冷笑じみた周囲の視線と、諫めるような態度に対して怒りを覚える。そのやり場のない怒りをどこに向けたらいいのかわからなくなって、私の心はどんどん狭くなっていった。いつも心に凝るイライラは少しの刺激でも容易く漏れ出て、例えば街で私の通行を妨げるベビーカーを押す若い母や、その子供に対して、切るような舌打ちを我慢できなくなっていた。

会社でも、仕事の段取りや連絡先についてを、安易に尋ねてくる同僚や上司に対して、ため息や睨みつけるような眼差しを、抑えられなくなっていた。

イライラしている自分に、イライラ感は一層募ってゆく。

完全な悪循環だとわかっていても、ほんの僅かな刺激で不快感は最高潮に達し、イライラが治まらない。

縮まった心と、生き辛さを感じ始めたのも、この頃からだった。


 40才をたった2年過ぎただけで、欲望丸出しで連絡してきた男たちからの誘いも無くな

り、日々額が狭くなるような気持ちになっていった。不快さに敏感になるあまり、生きる

こと自体が増々息苦しくなり、歯科医の嫁がのたまった「人生のプライオリティー」を

よく思い出していた。少しでも親友の考えに共感できていたなら、もっと楽に呼吸できて

いたのではないだろうか、と思うようになる。

個性の追求の魅力が色褪せ、私に残ったのは孤独と頑なさだけになっても、生き方へのこだわりは捨てられない。

本能が認めない男に身を委ねて安泰を得ることと、私の子宮の欲求──それは私自身であるわけだが──が同等であるはずがない、と思ってしまうのだ。

人生のプライオリティーの頂点が結局、どう見られるかだなんて、途轍もなく情けないと感じる。最上級のプライオリティーをもたらしてくれる男にかしずく下僕のように、十人並みかそれ以上の平凡な幸福を手に入れている女は、夫を確かに「主人」と呼ぶのだ。

四十を過ぎても、個性こそが最も尊いと信じる頑なさで、心がカチコチに固まる。

個性と言えるほどの値打ちがある何かは、私に無いかもしれない、と気づいている。

何故なら平凡な結婚すらできない私を、嘲笑する声が聞こえるからだ。そんな事どうだ

っていいと、以前なら思えていた。でも今は、女としての幸せを手にしている女たちに対して、額に縦皺が寄った。不器用な自分への憐憫と、態度を変えていった男たちへの憤懣も、私を一層醜くする。私はいつも不快で、周囲に対してイライラを募らせていた。

しかしその種ともいうべき不快の正体を、真正面から見据えることは無かった。

月に一度の下腹部の鈍痛と経血の濃さがこの時は充分にあって、それが余裕を与えてくれていたのかもしれない。

私はまだ、自分の女としての魅力と価値への期待を捨てていなかったのだ。


40代も半ばにさしかかった昨年、いつものようにバラエティー番組を垂れ流しにしなが

ら、半額値引きになったスーパーの十穀米弁当を食べていた時のことだ。

若く無知な、容姿だけが良い女子アナが、大御所の男性タレントから下卑たことを言わ

れていた。あからさまなセクハラなのにも関わらず、その侮辱に気付かない浅はかな小娘は、頬を赤らめて笑いながら、そのタレントの腕を叩いた。

しなを作って男性タレントの腕を叩くその女子アナの仕草は、話題の中心が自分であることを心から歓迎しているように、私には見えた。

腹の底が、かあっと熱く震えた。眉間に深い縦皺が寄り、口をへの字に曲げてしまっているのが鏡に映さなくてもわかった。腹の熱が、無尽蔵に湧き上がるようだった。取るに足らない番組にもかかわらず、おびただしい不快の数々。垂れ流される厭わしさは、私を怒りで包んだ。

その時気付いた。

心にいつでも凝る私の不快の正体が、若さに対する嫉妬であること。

女子アナがまとう瑞々しい可愛らしさは、私がかつて男たちに与えていた喜びだった。

テレビの中の女子アナは、身をくねらせ、唇を尖らせて、男性タレントに何かを言っていた。それでも目は笑っていて、決して相手を責めるものではないことが見て取れる。

父親ほどの年齢の大御所男性タレントとその取り巻き達は、注意する女子アナをツッコみ、さらに大きな笑いが起きていた。女子アナを中心に、笑顔があふれている。その可愛らしさは、私のものだった。 

くだらないと、唾棄する気持ちになれなかった。かつての私がそこにいて、この女子アナのように、いつも私の、誰かの、人生の中心にいることが出来ていた。私が個性だと思っていたものは、若さによる裏打ちがあってこそ成立するものだった。若さがあるから「本能が認める男」だなんて言っていられたのだ。

個性の中身を吟味することを避けていたにも関わらず、この時唐突に、膨らみ切った革袋がはじけるように、不快が募る毎日の原因が爆発したみたいだった。生きる実感が削がれた原因は、こんな歳になったからだ。こんなにも今が、不快になっているのは年老いたせいだ。

私は、若く可愛い女だったのだ。

でも今は、違う。私の人生、生活の中心は、不快感であり、イライラだった。

それを抑えることも、隠すこともできなくなっている。

舌打ちをする、溜息をつく、にらみつける、このどれかをしない日は、無い。心の余裕

が全く、無い。

私は歳を重ねるたびに、醜くなってゆく。あと数分で、また一つ、醜さが増す。

 両親や友人は、ずっと前から私に結婚の話をしなくなり、男についての話もしなくなり、

職場では以前よりも増して、私に気を遣うような素振りを、上司も同僚もするようになっ

た。それなのに、肝心なところでは、他の若い女子社員とはまるで違う扱いをされるのだ

った。

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