第2話 運命の時(その一)
ヴィクトリア・シティの交通は渋滞まみれだった。いつもどこかが渋滞している。大都市の宿命だと思いながら、レオハルトは次の青信号を待った。バイクに乗っている事が幸いで、途中で車道から歩道へと押して歩く事ができるのが幸いだった。
「……やれやれだね。これじゃあ怒られちゃうな」
レオハルトは心配をかけているだろう家へと電話した。
「……テレサ姉さんか。それともエミリアか。……エミリアにしよう」
レオハルトはエミリアの番号を指で触れる。しばらく電話音が鳴ると、可愛らしい女の子の声が聞こえてくる。
「レオお兄ちゃん?」
「お父さん怒ってるよね……遅くなっちゃって」
「心配ないよ!お父さんも研究所にいて、遅くなるって!」
「…………そうか」
「どうかしたの。お兄ちゃん?」
「……ごめん。もうしばらく遅くなるって伝えて」
「うん!わかった。オルガばあちゃんもテレサ姉ちゃんも心配してたからはやくもどってね!」
「わかった。いい子で待って」
レオハルトはそう言ってからバイクで研究所の方まで疾走した。胸騒ぎがした。レオハルトは恐ろしい予感を嗅ぎ付けた。父はなぜか家のほうに避難させようとした。
『家に戻ってこい』といわれれば、家にいると勘違いする。そんなやり方をしてまで息子を家に匿おうとしていた。
「……腹黒父さんめ。何考えてる?」
レオハルトのバイクは下手な自動車より加速していた。
研究所。父で研究所といえば一つしかなかった。
共和国特殊技術研究所。
ここしかなかった。国の再興の頭脳が集まる場所でもあり、軍人が立ち入るために不穏な噂が流れる場所でもあった。
『魔装使いの実験をしている』とか、そんな都市伝説はザラだった。どんな腕利きの良い記者でも入って来れない鉄壁の要塞。ここで父は何をしているのか。レオハルトは気になってしょうがなかった。とうとう、あと一キロ圏内のところだった。レオハルトの『嫌な予感』は高まる事になる。
人の悲鳴。逃げ出す人々。それまでみた街の光景とは違う状態がはっきりとレオハルトに理解できた。
恐怖。レオハルトの舌がうっすら苦く感じられる。
周りの人間の感じている恐怖をレオハルトは確かに感じた。
男が。女が。子供が。老夫婦が。
蜘蛛の子を散らしたように逃げ去るのを見てシンは逆に進んだ。救急車や軍用車、警察車両が辺りで停車している。
「……これは」
レオハルトは目撃した。血を流して倒れている警官を。
「お巡りさん!これはいったい!?」
「ぐぅ……逃げなさい。ここは……『魔装使い』のテロリストが……」
レオハルトは人の気配に気づく。
背後に奇抜な色柄でフリルのついたドレスを着た女の子が立っていた。手には血の付いた槍を持っている。その槍にはリボンがついているが、それには返り血が着いていた。
「……いったい……なんの……冗談だ?」
レオハルトは思わず後ずさりする。少女はにやりと笑いながらレオハルトを見た。それまでに出くわした事ない光景にレオハルトの正気が確実に揺さぶられる。
しかし、レオハルトは会話を試みた。普段通りに。
「やあ……君はここで何を?」
レオハルトは友好的な態度を見せながら、警戒した。
無駄に相手を刺激する事を避け、打開策を探ろうとした。
少女は突進した。
少女の身体能力ではない。人間のそれでもない。
槍を構えて心臓を貫こうとした。
レオハルトは致命傷を避けるため、体をねじった。槍がレオハルトの左腕をかすめた。
「うわぁッ!?」
レオハルトは悟った。この少女は正気ではない事を。会話が通じる状態ではない事を悟った。表情の動き。眼球が定まらない状態。麻薬か何かを服用しているようであった。少女は槍を振り回しながらげたげたと大笑いする。
「グケケケケケケッ!」
刹那。
破裂音。
それは少女の横から何かが掠ると同時に聞こえた。
それは三発目である音を伴わせた。
砕ける音。
パリーンともパキーンとも聞こえる音が周囲の空気を響かせる。
「グケケ……ケ……」
少女は糸の切れたマリオネットのようにしてその場に崩れ落ちた。
警官がレオハルトを助けてくれた。最期の力を振り絞り、拳銃を放った音だった。
「はは、……仲間内のポーカーでフラッシュ……出したせい……か……俺って……ラッキー……だなぁ……」
警官は血を口から吹き出して崩れ落ちる。警官の体がパトカーの扉にもたれかかるようにして力なく倒れた。
「お巡りさん!しっかりしてください!」
レオハルトは応急処置をすぐに行った。バックから何か処置できるものを探した。
「……ハンカチ。だめだ。……シャツの予備!」
レオハルトは白シャツを包帯がわりにした。消毒薬は持っていた。ランニングの際、転んだりする事も考えて、携帯サイズのペットボトルを常に持ち歩いていた。十分に消毒をした後、シャツで直接止血の処置を行った。
「レオハルト!」
父のカールがパワードスーツを着た状態でこっちに向かってきた。
「父さん!」
レオハルトのそばにカールが近づく。よく見るとそばには正規軍の軍服を着た男たちが集まってくる。その手にはごつい銃が握られていた。
「馬鹿野郎!なぜここに来た!」
「こっちの台詞だ!どうしていつも僕を騙そうとする!」
「子供は俺のいう事を聞けばいいんだ!よけいな事をするな」
「そうやって、他人をけなしたり遠ざけたりするばかりだから父さんのそばには人がいなくなるんだ!正直に話してくれれば僕だって!」
「危険だとは言ったろ!」
「嘘もついた!」
レオハルトの頬に拳が飛んできた。
レオハルトの体が近くのゴミ箱まで吹き飛ばされる。
「さっさと来い!それとそこの警官は放っておけ!」
「ふざけるな!父さんほどの英雄が怪我した人を置いてけぼりにするのか!?」
「そいつは警官だ!死ぬ覚悟はしてるんだろう!」
「そうやって、人を切り捨ててばかり!」
口喧嘩をしている二人にゴードン少佐が割り込んでくる。カールの腹心で親友だ。仲裁が始まる。ただし、いつもより強い口調で。
「二人ともいい加減にしろ!ここは戦場だぞ!少しは冷静になれバカタレが!特にカール!自分の子供相手に大人げないと思わないのか!?」
ゴードンは厳しく叱責する。親友だからこそ言えた言葉であった。
「……ち」
カールは舌打ちしてその場を離れた。
「すみません」
レオハルトは対照的に丁寧に謝る。
「……離れるなよ」
こうしてレオハルトはゴードンたちと合流する。父と子は口をかわす事はなかった。二人の間に見えない溝がある事をゴードンたち数人の兵士たちは察する事になった。
研究所内の大部屋の中で、レオハルトは父から拳銃を渡された。
「これを持っとけ」
レオハルトは、その場で受け取りはした。しかし、反発の言葉も言った。
「……撃たないようにするよ」
「人間は誰かを犠牲にして生きるものだ」
「そうじゃない努力をするのも、人間だろう?」
「……きれいごとばかり言って」
「過去の絶望に囚われすぎるよりマシさ」
「ふん、そのうち分かる」
「ベテランぶりやがって」
「ベテランだ。人も殺した」
レオハルトは口論しながらも拳銃の動作チェックは完璧に済ませた。
「……どうしてこうなったんだ」
「?」
「あの女の子たち……いったいなぜ」
「甘えてるのさ」
カールは冷淡にそう言った。
「甘えてるって……」
「力さえ振るえば、なんでもかなえられると思い上がっているのさ。人間のできる事に限りはあるのにな。だから、『魔装使い』になんかにされるのさ」
「……彼らのせいじゃない」
「いいか?人間の領分は決まりきっているのさ。その中で人は生きるしかない。こいつらは死んでも分からない。だから……殺すしかない」
「それ以外はできなかったの?」
「……できたかもな。だが、そういう運命だったのさ」
「また決めつけている」
「それが人生だ。諦めは早い方がいい。認めてくれる人間がいないならそのなかで生きるしかない。それを『あいつら』は間違った。だから見捨てる」
「……父さんは相手がオルガ婆ちゃんであっても、そう言うのか?」
「……おふくろが向こうにいたなら……撃った」
「……父さんは人でなしだ」
「なんとでも言え。生きて勝ったものが正義だ」
「……久しぶりの会話がこんなので残念だ」
「会話も必要なかったのにな」
「……これからどうする」
「……敵の目的は『粒子加速炉』だ」
「粒子加速炉?」
「エントロ機関。そう言う名前だ。これは宇宙進出やAFの発明以来の技術革新らしい」
「……エントロ?何だって?」
「エントロピーだ。異次元から熱や運動のエネルギーを抽出する機関。その異次元がどのようなものかは分からないが凄まじい発見らしい。グリーフフォースと対になるエネルギーだってな」
「……GFはエネルギーじゃない」
「そうだ。GFはエネルギーの対極にある何かだ。エントロピーはつまるところ『完全なエネルギー』とでもいうべきだな」
「女の子たちはどうしてそれを?」
「学校で習ったろ」
「……『魔装使い』は後天的メタビーングのどの特徴にも一致しない存在で、人間の女性、第二次成長期の女性を無理矢理エネルギー発生器として改造されたもの。高度な身体能力とメタアクター能力に似た異能を発現。そして次元干渉による因果律を一時的に操作できる代償に、蓄積されたGFの量によって……」
「……次元エネルギーと人間の代謝に寄生する『化け物』に変化する。それが『魔獣』だ」
カールは短くそう言った。レオハルトの額から嫌な汗が吹き出す。
「……まさか」
「そうだ。奴らは盗む気だ。エントロ機関をな」
「……あれは、核兵器の何倍の威力が!?」
「およそ数百。惑星を二三個は滅ぼせるな」
「……なんてことだ」
「わかったろ。彼らは自分たちのために星を滅ぼしても平気なのさ」
「……ならなぜ魔装使いに?」
「……なんでだろうな?」
カールはおどけるような皮肉っぽい苦笑を浮かべてどこかへと向かっていた。
「どこへ!?」
「加速炉だ」
「僕も行く!」
「無理だ。お前は銃なんか撃てないだろ?」
「……だが」
「交渉なんて無理だな。奴らの甘ったれた理屈に俺たちの言葉は届かない。いつもそうだ」
レオハルトは頭ごなしにそう言われた事にむっとした表情を返した。カールの冷淡でニヒルな態度に怒りを感じたが、もっとレオハルトの苛立つ言葉は、頭ごなしに『死ぬしかない』と決めつけたことであった。教師を目指していたレオはその言葉を撤回させるためにも、動くしかなかった。納得できない事に立ち向かうのはレオハルトの生来の気性と言えた。
今回もレオはカールに反発した。一人でも多くを救いたいと願って。
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