死者と会えるホテル、竪琴ホテル

おぐらはる

第1話 宿泊客:ヨウ子① 竪琴ホテルは詐欺?


 そのホテルは丘の上にあった。


 白いホテルだ。

 テレビで見た、モロッコの白い家並みのような、青い海に映えるタイプのホテル。

 日本の家とは違う、のっぺりした、童話的な家。


 ヨウ子は、漆喰という単語を思いつかない。

 ただ、平地にこんもり盛り上がった丘の上に、白くニョッキリ突き出ているホテルを見て、「地面から生えた乳歯みたいだ」と思った。

 緑の取り巻く丘裾と違って、丘の上の方は、まぶしたような白い砂地が見えた。

 丘がもっと広ければ、ホテルは、地球の肌の上にできた厄介な吹き出物みたいに見えたかもしれなかった。


 バスから降りたのは、ヨウ子ひとりだった。

 思い立って、新幹線に乗って1時間半、それから特急に乗り換え、そのあとバスで更に2時間半。

 乗り換えが多いと、それだけで行く気がなくなるものだが、今回は都合がよかった。なるべくアキヒトから離れたかった。

 ヨウ子は今日、会社を退職した。

 大学を出たあと、5年勤めた会社だった。午前中だけ会社に出て、挨拶してまわった後、会社を出た。その足で駅へ行って、新幹線に乗った。家には帰らなかった。自分のことを好きじゃない人と一緒に暮らすのは、もういやだと思った。


「この辺、店とか、ないんだ……」


 ヨウ子は辺りを見回した。

 バスを下りたら、何か飲みものを買いたいと思っていた。

 移動のあいだ、ずっとこぶしを固めて、シートに座っていた。途中で気づいた。のどがカラカラだ。

 右を見ても、左を見ても、幅の狭い車道の先には、ぽつぽつと生えているタンポポのように、まばらに民家が建っているだけ。案内板もない。聞けそうな人も、誰も歩いていない。

 ヨウ子はもう一度、辺りを見回した。

 にぎわっている観光地しか行ったことがないから、過疎気味の土地では、どうしていいかわからない。まさか、自動販売機もないなんて。

 車道のコンクリートと、山からあふれて覆い被さるような緑の草木が、空からにじみ出した雨に湿りはじめた。


 電話に出たホテルの人は、こう言った。

「バス停で降りられたら、地元のタクシー会社へご連絡ください。竪琴ホテルと仰ったら、地元のタクシーはすぐわかりますので。あいにく当ホテルが、お迎えの車がないものですから、ご不便をさせて申し訳ありません。わからないことがありましたら、いつでもご連絡ください」


 ふとんみたいにやわらかい声だった。

 ヨウ子のことを、世界で一番、受け入れてくれそうな声だった。

 もちろん、世界一といっても暫定一位だ。だがそんなのは重要じゃない。重要なのは、一位というほうだから。

 あの声で、ホテルに行くことに決めた。

 これから先、自分がどうするのか、考える時間が必要だった。

 時間をかせぐことが必要だった。優しい声は、その時間を与えてくれるような気がした。あの声のそばにいることが、いまの自分にとって必要だ。


 ヨウ子は、タクシー会社に電話をかけた。

 誰も出ない。教えてもらった番号が間違っているのだろうか。タクシー会社なのに、つながらないなんて。

 寒さが雨とともに、服の袖や、首のすき間から忍び寄って来ていた。


 ヨウ子は地図を検索した。

 調べてみると、道を右に折れた先に、店が一軒あるようだった。距離800メートル。

 行こうと思った。誰かにタクシー会社のことを聞きたい。タクシーを待つのも、屋根の下が良い。

 それに、何か羽織れるものも欲しい。秋もそろそろ終わろうという季節に、薄いコートだけでは肌寒い。



「あんた、どこから来たの」


 店に入ってすぐかけられた声。

 ちぎって投げるみたいな声だったから、ヨウ子はまさか、客である自分に向けられているとは思わなかった。完全に油断していた。まるで、盗みに入った野良猫に警告するような口調だ。


 店は、昭和のまんなかから生き延びてきました、というような、レトロな外観だった。店の表にアイスクリームの入った冷凍庫が置かれている。ずいぶんな年季物。

 店の入口は引き戸で、引き戸のそばに、しまい忘れた風鈴と、かき氷の旗がぶら下がっていた。

 パンやカップラーメン、惣菜、生活用品をまぜこぜに置いた店の入口に、それこそ親分猫みたいな風貌の女の人が一人座っていた。

 レジカウンターの向こうからのぞく鋭い眼光。

 頬には大きな傷があり、銀色の髪は何本もの角のように立っている。

 大きな耳たぶには金色の輪が光り、爪は紫色。

 彼女は、ぎょろりとした目で、ヨウ子を見て言った。


「観光?」

「そうです」


 それだけは返事ができた。

 女性はそれを聞き、グリグリと眉をひそめた。


「ホテル?」

「そ……うだと思います。竪琴ホテル」


 それがホテルの名前だった。

 竪琴ホテル。

 ギリシャ神話に出てくる楽人、オルペウスの持つ、リラという竪琴にちなんで名づけられたらしい。

 ホテルを紹介してくれたおばあさんが、そう教えてくれた。

 スーパーのすみで、ぽたぽた涙をたらしていたヨウ子の涙を、きれいなハンカチで吸い取りながら。


「わたくし、そのオルペウスという人が、どんな人だろうと気になって、図書館で調べてみたんです。オルペウスは、リラの名手で、大きな冒険にも参加した英雄でした。愛していた奥さんが、蛇にかまれて死んでしまい、その奥さんを取り戻すため、死者の国へ行くのです。

 もちろん、死者をよみがえらせる許可など、簡単にはもらえません。

 彼は、死者の国の王と女王の前で竪琴を奏で、その哀切な音で二柱の心を動かし、奥さんを連れて帰って良いという許可を得るのです。

 あのホテルは、竪琴を弾けないわたくしたちの代わりに、音楽を奏で、死者と会えるようにしてくれるんですよ」


 そう言って、財布から取りだしてみせた紹介カード。

 ざくろ色の小さなカードの中央に、白い文字で「竪琴ホテル」という名と、住所、電話番号、46という数字が書いてある。


「会員制のホテルだから、会員でないと泊まれないの。わたくし、あなたにこれをお譲りします。わたくしにはもう必要ないから。わたくし、もう会えたんです。だからもう大丈夫。誰かのために持っておいたの。これを必要とする誰かのために。いつか、わたくしとおんなじように、スーパーのすみで、買い物かごを抱えて、しくしく泣いている人と出会う気がして」


 そうしてヨウ子の手にカードをにぎらせ、おばあさんは、こう言った。


「あなたが死者に用がなくてもよござんす。これは巡り合わせなんです。ふだん寄らない町に今日寄る気になったのは、きっとあなたにこれを渡すためね。だから、これはもうあなたのもの。捨てても、使わずに取っておいても、人に差し上げても結構です。でも、もし他に何もないのなら、このホテルは、あなたの希望になるかもしれない」


 頭がおかしい、とゴミ箱に捨ててしまうには、その手の感触は、あまりにもしばらくぶり過ぎた。自分を心から思いやってくれる人に触れられる時の、あの確かな感触を、久しぶりに思い出した。

 だからホテルに電話した。あのおばあさんのくれたものが、悪いものである筈がない。


「詐欺ホテルね」


 そんなヨウ子の感傷ごと切り捨てる口調で、商店の親分猫は、そう言った。

 詐欺ホテル?


「は?」


 聞き返したヨウ子を、親分猫は、ぎょろっと目玉を動かして見た。くり返した。


「だから、詐欺ホテルね。死人に会えるとか言って、セミナー開いたり、金集めたりしてたホテル。6年前に、オーナーとっ捕まったよ。新聞にも載ったし」


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