第2話 Hello, world!

 八月二十日、ぼくは宿題に取りかかった。小学生を六年もやっていると、夏休みの宿題は計画的にやらないと大変な目にあうことが分かってきた。だから今年はちゃんと計画を立てていたのだ。最後の一週間で集中的にやる、という計画を。


 そうめんを食べ終えて居間で一息ついていると、漫画が目に入った。何十回も読んだが、なんとなく気になるので手に取る。オチまで分かっているのに読み進めてしまう。漫画の世界にぼくは吸い込まれていった。


 手に届く距離にある漫画を全て読み終えた頃、立って次の漫画を撮りに行くのがめんどうくさかったぼくは、ようやく目の前の冊子に目をやった。


『なつやすみのとも』


 めんどくさいけど、やらなきゃ終わらない。 

めんどうなので、考えなくて済む問題から始めることにした。まずは情報からだ。


そのとき、おじいちゃんがやってきた。

「お、宿題か。やっとやりはじめたんじゃな」

「うん、今年は計画的にと思ってね。最後まで取っておく計画だったんだ」

「……おお、そうか。それは何をやっているんじゃ?」


 テキストに薄く書かれた Hello, world! の文字をシャープペンシルでなぞりながら、ぼくはこう答えた。

「情報だよ。プログラミングの課題をやってるんだ」

おじいちゃんは目を丸くして、不思議そうな顔でこう言った。

「紙の問題集にプログラムを書くとは、変なことをやるのう。ま、でも懐かしいな。ワシも昔はよくやったもんだ」

「おじいちゃんの時代にも、情報の授業があったの?」

「いや、授業はなかったがな。仕事でやったんじゃ」


 おじいちゃんがどんな仕事をしていたのか、ぼくはあまり知らない。

「どういう仕事だったの?」

「ふふ、すごいぞ。インターネットを支える仕事じゃよ。毎日プログラムを書いてな、バグを取ろうとがんばっていたんじゃ。特にインターネットエクスプローラの開発をしてた時は楽しかったなあ。世界中の人がインターネットエクスプローラを使っててな、それはそれは、世界に名前が知られたものじゃった」


 ふうん、とだけぼくは返事した。

「幸太、信じてないじゃろう」

「うん、信じてないよ。そんな変な名前聞いたことないもん」

 信じていなかった。普段部屋でごろごろしているだけのおじいちゃんが、そんなすごいものに関わっていたとは思えない。どうせほらを吹いているんだろう。


「ま、信じてくれんでもよい。昔の話だしな。興味があったら調べてみるがよい。実物なんか今時出てこないだろうがな。……ああそうだ、ただ、もし見つけても触っちゃいかんぞ。大変なことになるからな」

 笑いながら、おじいちゃんはそう言った。


 夕食の時、ぼくは父さんに訊いてみた。

「父さん、おじいちゃんって昔プログラムを書いてたの? インターネットエクスプローラを作ったって言ってたけど」

 父さんはコロッケをお箸で挟んだまま、笑って言った。

「ははは、父さんそんなこと言ってたのか。そりゃあちょっと話が大きいな。インターネットエクスプローラに関わってたのは本当らしいけどな」

「それってどこに行ったら分かるの? インターネットエクスプローラってどんなものだったの?」

「どこがいいかな……まずは学校の図書室か、市の図書館だろうな。本当はインターネットで調べるのが一番早いんだけどな」

 ぼくの住む県では、こどもが学校の授業以外でインターネットを使うのは条例で禁止されている。だから、父さんの言ったことの意味がよく分からない。

「動いているのは見られないの? 本だけじゃなくって、実際に活躍しているところを見てみたいんだ」

 父さんはちょっと困った顔をした。

「どうだろうな、かなり難しいんじゃないか。インターネットエクスプローラが使えなくなったのはずいぶん前のことだし、今も持っている人がどれだけいるかな。いたとしても、インターネットにアクセスできないんじゃないかな。だから、動いているところを見るのはなかなか難しいだろうね」


 なんだ、がっかりした。


「ところで、夏休みの宿題は順調か? 来週ぐらいから学校あるんだろ」


 お風呂入ってくると言ってぼくはその場を後にした。


 残り少ない夏休み、ぼくにはやらなければならないことができた。

 生きているインターネットエクスプローラを探す旅だ。

 明日からさっそく始めよう。

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