狼と吸血花【三題噺短編】

たかなつぐ

狼と吸血花

 その日、狼は久々の食事を終えて機嫌が良かった。

 うさぎの一家をぺろりと平らげ、膨れた腹をさすりながら森を悠々と歩いていると、足元から弱々しい声が聞こえてきた。

「あの…そこのお方、どうか助けてくれませんか」

 あたりを見回すも、周囲には誰もいない。

 声の方へ歩いてふと足元を見ると、そこには一輪の赤い花があった。

 しかしどうにもしおれかけているようで、花びらや茎は茶色く変色し、花びらは根本から地面を向いて項垂れている。

「うぅ…どうか、お助けください…」

 声は間違いなく、その花から聞こえてきた。

 何故、花が喋っているのか。驚きながらも狼は興味津々で近づいていくと、下を向いていた花がゆっくりと頭をもたげてこちらをみた。

「あぁ…親切なお方。どうかワタシに、一滴の情けをいただけないでしょうか」

「助けたところで、お前は俺に何ができる。植物だからって相手に求めるばかりってのは、虫が良すぎるんじゃねぇか」

 狼のいう正論に、花は一瞬絶望したような顔する。しかしすぐに顔をあげると、か細い声でこう提案した。

「ワタシの根本に、動物の血液をかけてはくださいませんか」

「動物の血ぃ? 草といえば普通、水を養分にするもんだろ。なんでまたそんなものを」

「ワタシは『吸血樹』を祖にもつ吸血花なのであります。しかしここのところ、ワタシのように言葉を発する株が生まれてこない。その影響で利害の一致する肉食動物とのコミュニケーションが取れなくなってしまい、結果ここら一体にいる吸血花はワタシが最後となりました」

「んで、今まさにここで野垂れ死のうとしていると。…で、肉食動物と利害の一致ってのはどういうことだ」

「はい。ワタシども吸血花は、餌となる草食動物をおびき寄せるために特別な香りを振りまきます。その香りを嗅いだものは意識が混濁し、次第に衰弱して地に伏すこととなるのです」

「へぇ、そりゃ便利じゃねぇか」

「数年前まではこのあたりに住む肉食動物らと結託し、獲物をおびき寄せるかわりに血液を分けてもらっていたのです。しかし先程も言った通り、ここ最近は新たに喋れる者が生えてこず、ワタシもこのような有様で…」

 狼は内心、下卑た笑みを浮かべていた。涙ながらに訴えかけるこいつを見殺しにするのも、なかなかに面白い。だが獲物をおびき寄せてくれるなら、利用価値はありそうだ。

「お前を助ければ、俺に多少なりともメリットがあるわけだな」

「えぇ、お約束します」

「だが、もし餌にありつけなければお前を引っこ抜いて、火で燃やして川に流してやる。いいな?」

「えぇ。結果がともなわなければ、お好きなようにしていただいて構いません。ありがとうございます、ありがとうございます」

 狼は先程狩った父さんうさぎを地面に下ろし、その首に爪で深く傷をつけた。

 頸動脈から流れる赤い液体を、花の根元にチョロチョロと垂れ流すと、たちまち花はみずみずしく元気になっていった。

「あぁ…生き返ります。ありがとうございます」

 まっすぐに茎を伸ばして見上げてくるその花に、狼はフンと鼻を鳴らして言った。

「その特別な香りってのは、今すぐ出せるもんなのか」

「今すぐには難しいですね。明日の昼頃には全快しているかと思います」

「じゃあ、また明日来るわ。それまでに摘まれてんじゃねぇぞ」

 そう言って立ち去る狼の背中を、花は満面の笑みで見送った。


 翌日の昼過ぎ。狼は花に会うため、再び森の中へと入っていった。

 昨日のうさぎが残っているから、今すぐに食料が必要というわけではない。

 だが奴の言ったことが本当なら、草食動物がおびき寄せられるのを見てみたいと思ったのだ。

 万が一獲物に出くわしたらまずいと考え、目的地近くになると狼は気配を消した。ゆっくり進んで花のいた場所をそっと凝視すると、そこには目を疑う光景が広がっていた。

 リスが二匹に、ネズミが三匹、イタチの子供とその親らしきものが、赤い花を囲むように倒れている。

 それらの獲物が完全に動かなくなったのをみて、狼は赤い花の前に姿を現した。

「…すげぇな、これ」

「あぁ、来ておられたのですね。お陰様でこの通り、調子を取り戻すことができました。ご期待に沿えましたでしょうか」

「リスとネズミはおやつ程度だが、イタチが来たのはでかいな。昨日のうさぎと合わせて干し肉にすりゃ、これで数日は食いっぱぐれずにすむ」

「それは良かったです。…しかし申し訳ありません、ワタシはもう、これ以上の働きはできないようです」

「はぁ!? 何でだよ。たった一回仕事しただけでくたばるのかよ」

「植物にとって、生きるとは『そこに存在していること』が大半の意味を占めます。そのうえで何かを行う。例えば、花は一度咲けば次は実を結び、種を作ります。その過程は一生のうち一度きりであり、ワタシたちにとってはこの『獲物をおびき寄せる』というのがそれにあたるわけです」

「チッ、んなことなら助けなきゃ良かったぜ。じゃあ俺はこいつら持って帰らせてもらうからな。お前はそこでくたばっとけ」

「ワタシにはまだ、利用価値がありますよ」

「…何?」

「先程も言った通り、植物は種をつくってその種を増やします。その動物の血液を、昨日と同じく根本へふりかけてくだされば、ワタシはすぐにでも種を作り、あなたの好きな場所で生まれ変わるでしょう」

「じゃあ俺の家の前に埋めれば、草食動物たちが自ら俺のところに集まってくるわけか」

「…理論上は可能ですが、それだけはお止めください」

「なんでだよ」

「稀に、ワタシども香りが効かない個体が存在するのです。その場合草食動物に徒党を組まれ、肉食動物側が返り討ちにあったという話を聞いたことがあります」

「はっ、んなのやられたそいつが弱かっただけだろうが。いいぜ、ネズミとリスの血をくれてやる。そして、餌が寄ってくる自動システムを、家の前に作ることにするぜ」

 やめろと言われるとやりたくなるのが、この天邪鬼な狼の悲しいサガであった。

 花に血液を分けると、まもなく花の間から茶色く丸い種が現れる。

 狼がその種を持って帰って家の前に植えると、種は翌日に芽吹き、五日経たないうちにまた花を咲かせた。今度の花は白い花びらをしていた。

「お、ようやく咲いたか」

 狼が覗き込むと、白い花はゆっくりと上向いて彼を見た。

「そういや、喋れない花もいるって言ってたな。お前はどうなんだ」

 花はこちらをじっと見つめるが、一向に喋る気配はない。

 意思疎通が測れないと知り、落胆から舌打ちした狼は、いつものように森へ向かうことにした。

 立ち上がり、花に背を向けて歩き出す。

 すると間もなく、何やら芳しい匂いが周囲に広がっていった。

「…あれ、なんだ、この香り」

 足元がふらついて、視界が歪んでくらくらする。

 ──まさか。

 とっさに花を振り向くが、方向を変えた反動で地面に倒れ伏した。

 体が重い。何とか引っこ抜こうと手を伸ばすが、あと一歩の距離で届かない。

「クソッ、クソッ……」

 悪態をつく舌すら痺れてきて、全身に力が入らない。意識が混濁していき、狼はそのまま花の目の前で息絶えてしまった。


 

 ──ひと仕事終え、新たに生まれた花は声にならない息を吐いた。

 周囲に生き物の気配はない。なぜなら、つい先ほど花が出した匂いは、『ごく近くにいる者にだけ』効果を発揮するフェロモンだったから。

 赤い花は、狼に対して隠していたことがあった。

 一つは、『フェロモンでおびき寄せるのは草食動物だけではない』ということ。

 状況によって協力する相手を変えることで、この吸血花の一族は長らく種を存続させてきたのだった。

 そしてもう一つは、『根本に注がれなくても、自ら食事を摂ることができる』ことだった。

 獲物が近くに倒れれば茎の一本を長く伸ばし、対象の体に突き立てて吸血することができる。

 それでもあえて何もできないように見せたのは、相手に憐れみの念を抱かせると同時に、警戒心を抱かせないための策略だった。

 白い花は茎を伸ばし、狼の首元へ鋭い先端を突き立てた。

 細い茎の中を赤い血液が通り、花びらへと送り込まれて赤く染まっていく。

 狼の体から水分が無くなった時、白かった花は鮮血で真っ赤に染まっていた。

「…──あー、あー…」

 喋れなかったはずの花が、小さく声を発した。

 その声はひどくしゃがれている。…まるで、ついさっきまで生きていた狼の声を、そのまま奪ったようだった。



 それから、しばらく年月の経ったある日。

「もし…そこのお方、ワタシを助けてはくださいませんでしょうか」

 狼の家はいつの間にか朽ちて崩れ落ち、周囲には鬱蒼とした木々が茂っている。

 通りがかった子うさぎはキョロキョロと辺りを見回しながら、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。

「ここです、ここ…どうか、一滴の情けをいただけませんか」

 鮮やかに赤かった花びらは、根に蓄えた血液が枯渇した影響で色を失っている。

「あなたはだあれ? どうしてお花がしゃべっているの」

 次の獲物の気配に、赤かった花はニコリとほくそ笑み、ゆっくりと花を上向かせた。

「あぁ、キレイなお嬢さんだ。さぁ、もう少しこちらへ。そう、そう…そうすれば、良いものを見せて差し上げますよ──」



 終

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