第19話 ふらわーぜりー

 雨がザアザアと降り、足元を悪くしていくある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』では暮里くれさと翔弥しょうやが湯呑み茶碗を手にのんびりとしていた。


「はあー……この雨の中を来たからお茶の温かさが本当に身に染みる……」

「それはよかったです」

「やっぱり寒いところから来た後に温かい物を飲むとホッとしますよね。最近は本当に寒いですし」

「少しずつ日は長くなってきているようだけど、それでもまだ寒いからな。雪もまた時々降り始めたし」

「雪がしんしんと降る様子も綺麗でまた良いですが、寒いのは困りものですからね。風邪などに気を付けながらこの冬を乗りきりたいものです」

「たしかに……独り暮らしだとどうしても風邪を引いた時には困るし、体調不良には気を付けないと」


 翔弥の呟きに雨月は微笑みながら頷く。


「そうですね。そういえば、ご親族の方々はあれからなんと? 先日いらした際にお盆や年始も帰らなかったと仰っていましたが……」

「未だに良い人を早く見つけろと言われてます。やっぱり母や親戚達の中では恋人の一人でも作れないと男らしくないという考えのようで、向こうで僕の見合い相手を探し始めてるみたいでした。お盆や年末年始に帰ってこなかったのもあまり良い気はしなかったみたいで、次のお盆には必ず帰ってこいと言われてます」

「他所様の家の事だけど、その親や親戚達は勝手な事を言うんだな。本人が帰りたくないから帰らないのに帰らないのが悪いみたいに考えて帰るのを強制するなんておかしいだろ」

「古くからそういった考えのお家なのでしょうね。だからといって、その考えを変えずに強制しても良いわけではありませんが」

「まあ父は変わらず自分のペースで見つければ良いという考え方みたいなのでそこはちょっと安心してますし、僕もそのつもりです。あまり焦ってもしょうがないですし、急いで見つけようとしたところで良い出会いに恵まれるとは思えませんから」

「それで良いと思いますよ。速やかならんと欲すれば則ち達せずという諺もありますし、焦ってお相手を見つけようとするよりは自分が求める相手をしっかりと吟味する方が後の生活にも良いと思いますから」


 雨月の言葉を聞いて翔弥が頷いていたその時、ドアベルを鳴らしながらドアが開き、桃色の傘を持った短い茶髪の女性が中へと入ってきた。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」

「あ、はい。あれ……もしかして暮里さんですか?」

「ん……あ、相園あいぞのさん。ここで会うとは思わなかったよ」

「私もです。あの、ここは……」

「ここは押し潰されそうな程に辛い気持ちを抱えた人達が雨によって導かれてくるカフェだよ。でも、ここに来られたって事は……」

「……私もそれに該当するって事ですよね」


 相園と呼ばれた女性は暗い表情で言うと、傘を傘立てに置き、翔弥の隣の席に腰を下ろした。


「……でも、心当たりはあるんです。この前からずっと不安な事があるのでたぶんそれだと思いますし」

「相園さんにもそんな事が……あ、こちらは相園美亜みあさん。同じ会社に勤めている僕の後輩です」

「初めまして……それでその不安な事というのが、異性についてなんです」

「異性について……もしかして恋人がいて、その恋人があまり良くない事をしてくるとか?」


 美亜は首を横に振る。


「いえ、恋人はいないんです。ただ、少し前に付き合いで行った合コンで知り合った人から何かと付きまとわれていて、まだ自宅までは知られてないんですが、友達が調子に乗って会社名を口にしちゃった事で仕事帰りにはその近くで待っていてしつこく一緒に帰らないかと言ってくるんです」

「うわ……それはたしかに怖いですね。たぶん本人からすれば相園さんの事をもう彼女か何かと思ってるんだと思いますよ」

「合コンには乗り気ではなく、その時にいた男性の誰も好ましくなかった私としてはその人が一番ないなと思ってたんです。何かとボディタッチをしてこようとするし、しつこく連絡先を交換しようと言ってきましたから」

「そうでしたか……」

「誘ってきた友達も気に入られてるなら付き合えば良いと言うばかりなのでちょっと距離を置く事にしましたし、他に頼れる人もいないので本当に怖くて……」

「相園さん……」


 目に涙を溜め始める美亜の姿に翔弥は心配そうな視線を向ける。そしてそのまま夕雨達に視線を移した。


「夕雨さん、雨月さん、何か彼女を元気付けられるような物はないですか?」

「そうですね……目を引くという物であればありますね」

「ああ、あれですね」

「はい、それです」


 二人が頷き合い、その様子に美亜が不思議そうな顔をする中、翔弥はそんな美亜の姿にクスリと笑った。


「この二人はお互いに相手の考えている事が全部わかるみたいなんだ。それじゃあそれを二つとそれに合いそうな飲み物を二つお願いします」

「え?」

「勇気を振り絞って話してもらったからね。ここは奢らせて」

「は、はい……それじゃあお言葉に甘えさせてもらいます」

「ふふ。では、夕雨さん」

「はい、雨月さん」


 二人は頷き合うと、作業に取り掛かり始めた。そしてその作業風景に美亜が目を奪われていると、雨仁が翔弥に声をかけた。


「自分が彼女を守る役目を担えば良いんじゃないか?」

「え?」

「ああ、なるほど。今の不安な状況につけこむ形にはなってしまいますが、事情を知ってくれている人が近くにいて、自分に何かあった時に守ってくれるのはありがたい事ですからね」

「そしてこっちはこっちで早く良い相手を見つけろとせっつかれている。だったら、これを機にただの先輩と後輩から少しだけ距離を縮めてお互いに利があるようにしてみても良いんじゃないか?」

「それはそうだけど、彼女の不安につけこむ形になるのは本当に可哀想だし、そんな事をしても彼女は喜ばないと思うけど……」


 翔弥の言葉に雨仁がため息をつく中、夕雨と雨月は作業を続けた。そして十数分後、二人の目の前には大きな花が中に入ったようなゼリーと紅茶が注がれたカップが置かれた。


「ふらわーぜりー、そしてこうちゃ。お待たせ致しました」

「ふらわーぜりーって……これ、もしかして本物の花ですか?」

「ふふっ、そう見えますよね。これは全部ゼリーで出来ていて、中の花の部分はくりぬいた部分にその色に沿ったゼリー液を流し込んでまた固めて作ってるんです」

「それでこんなに綺麗な物が……」

「まずは興味を引く事が出来たようですね。では、どうぞごゆっくり」

「はい! それじゃあ……」

「「いただきます」」


 二人は声を揃えて言うと、添えられたスプーンを手に取り、静かにゼリーにスプーンを入れてからそれを口へと運んだ。


「……美味しい。しっかり甘いけど、優しい味わいだから食べづらさもないし、風邪を引いた時とかに食べたい感じの味だなぁ」

「あ、わかります。風邪を引いて身体が火照ってる時にこの冷たいゼリーを食べられたら本当に気持ちが良いと思います」

「うんうん。因みに、この花って何なんですか?」

「この花はアガパンサスと言いまして、恋の訪れという花言葉を持っています」

「恋の訪れ……」


 美亜は呟いた後、翔弥に視線を向けた。


「あの、暮里さん。もし暮里さんさえよければしばらく一緒に帰ったり食事に行ったりしてくれませんか?」

「え?」

「さっきのお話、聞こえていたんです。でも、私は暮里さんなら別に良いと思っていますよ。私の事を気遣ってくれるその優しさは本当に嬉しいですし、もしも本当に恋人同士になっても暮里さんと一緒なら楽しいと思えましたから」

「あ、相園さん……」

「美亜、って呼んでください。私も翔弥さんって呼びますから」


 美亜がクスクス笑い、それに対して翔弥が顔を赤くすると、雨仁は小さなため息をついた。


「一件落着……なのか?」

「そうですね。今はお互いに利害が一致しているが故の関係にはなりますが、この調子ならばすぐにでも真の恋人になれると思いますよ」

「そうですね。アガパンサスはすぐに恋を訪れさせてくれましたし、その内、ここでふらわーぜりーを食べたらその花言葉に応じた出来事が起きるってお客さんの中で話題になったりして」

「あり得るかもしれませんね」


 翔弥と美亜の様子を見ながら夕雨達は微笑みながら話をした。そして雨が降り続ける中、『かふぇ・れいん』では翔弥と美亜がお互いに少し照れ臭そうにしながらも楽しそうに話をしており、その姿を夕雨達は静かに見ていた。

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