第17話 ひがし

 雨が静かに降り、肌寒い風が吹き付けてくるある日、雨の日限定で開店をしている『かふぇ・れいん』では安芸あき桜梨さくりがコーヒーが入ったカップを片手にのんびりとしていた。


「はあ、仕事帰りにここでのんびりするのは本当に良いなぁ。ここなら色々な人と出会えるし、美味しいものも頂けるし、夕雨さん達とも色々な話が出来るからストレスも溜まらなくて済むなぁ」

「たしかに初めて来た時も肌ツヤ良くなりましたし、血色よくなりましたからね。それなら声をかけてくる人も多いんじゃないですか?」

「ぜーんぜん。職場の若い子と一緒に歩いててもそっちばかり声をかけられますし、職場の男性達も同じです。まあ前よりは心に余裕も出来ましたし、その若い子達から美肌の秘訣はあるんですかなんて聞かれるようにもなったのでちょっと気分が良かったりします」

「ストレスも溜まらなくて心にも余裕が出来るのは良い事だからな。知識や金はたまってくれていいが、ストレスや不満は溜まらないに限るからな」

「そうですね。そういえば、先日一緒にいらしていた山神さんは今日はご一緒じゃないんですね?」


 雨花の問いかけに桜梨は頷く。


「今日は愛歌ちゃんがここに連れてきたいっていう人がいるみたいだからここで合流する予定だよ。例のマネージャー君なのかなと思って聞いてみたんだけど違うみたい」

「マネージャーになってからまだ二ヶ月程度みたいだが、ここに連れてくるだけの理由がないのかただ単にここに連れてこようと思える程の仲じゃないのかのどっちなんだろうな」

「うーん……どっちもだったりしてね。やっぱり自分の行きつけを知られるのってちょっと勇気がいるだろうし、クラスメートとはいえ相手は男の子な上にマネージャーだから知られると落ち着かないんじゃないかな?」

「そうかもしれませんね。とりあえずお会いする機会がある事を願いながらその時を待つとしましょう。もっとも、山神さんからの紹介という形が一番望ましいですが」

「そうじゃなかったら何か辛い出来事があった上で来る事になりますからね。辛い出来事なんて無い方がいいですし、そのパターンがたしかに良いですね」


 夕雨の言葉に雨月達が頷いていたその時、ドアベルを鳴らしながらドアが開き、白い傘を持った愛歌と茶色の傘を持った若い男性が中へと入ってきた。


「桜梨さん、お待たせしました」

「愛歌ちゃん、お疲れ様……って、もしかして隣にいるのは、若手俳優の脇田円次えんじ!?」

「桜梨さん、大正解です。少し前に出させてもらったテレビ番組で共演させてもらってからたまに連絡させてもらってるんです」

「ど、どうも……あの、このカフェは一体……?」

「ここは押し潰されそうな程に辛い気持ちを抱えた人達が雨によって導かれてくるカフェなんです。だから、脇田さんもそうなのかなと思ったんですが、愛歌ちゃんはそのつもりで連れてきたの?」


 傘を傘立てに置き、カウンター席に座ってから愛歌は大きく頷く。


「はい。少し前にお話をさせてもらった時に脇田さんが悩んでいるように見えたので、夕雨さん達のところに来ればきっと解決出来ると思ったんです」

「なるほど。それで、そのお悩みというのは?」

「……そうですね。ここまで来たら話した方が良いですよね。実は……僕、俳優に向いてないんじゃないかと思うんです」

「え?」

「俳優に向いていない……ですか?」


 円次は暗い表情で答えた。


「はい。今は若手俳優だ若手の希望の星だなんだと持ち上げられていますが、僕はこれまで脇役しか演じられてないんです。もちろん、脇役を軽んじるつもりはないです。ただ、俳優業を始めてから数年経つのに一度も主演になれなくて、マネージャーや俳優仲間に相談してもそんなもんだと言われるだけで、段々自分に主演を演じるだけの実力が無いから主演になれないんだと思うようになってしまって……」

「次第に俳優に向いてないと思うようになった、と……」

「うーん……私達はそういう演技経験がないので専門的な意見は言えないですけど、良さそうな物なら出せますよ」

「え?」

「そうですね。脇田さん、今回は私達にお任せして頂いてもよろしいですか?」


 円次は夕雨と雨月を見た後、静かに頷いた。


「はい。正直、何が良いかなんてわからないのでお二人にお任せしてみます」

「畏まりました。では、夕雨さん」

「はい、雨月さん」


 二人は頷き合うと、作業を始めた。そしてそのスピードとコンビネーションに円次は目を丸くした。


「な、なんだこれ……こんなにキビキビと動いているのにぶつからない人達なんて熟練の裏方さん達でも中々いないんじゃないか……?」

「これが夕雨さん達だからな」

「私達もいずれはこのくらい出来るようになりたいですね」

「このくらいというかここまで出来るだけでもスゴい気はするんだけど……」

「あはは、まあね。でもまあ、夕雨さん達はお互いに引き立て合いながらお客さんにより良い物を提供しようと頑張ってるし、それぞれが主役であり脇役でもあるのかも」

「それぞれが主役であり脇役……」


 その言葉を円次が繰り返す中、夕雨と雨月は作業を続けた。そして作業開始から十数分後、円次の目の前には色とりどりの干菓子と濃く淹れられた緑茶が置かれた。


「ひがし、そしてりょくちゃ。お待たせ致しました」

「干菓子……ジッと見る機会はあまりありませんでしたけど、よく見ると本当に色々な形や色があって綺麗なんですね」

「因みに、干菓子は私が作ったんです」

「え、この和菓子屋さんに置いててもおかしくない綺麗な物を夕雨さんが!?」


 愛歌が驚く中、雨月はクスクス笑った。


「本当にお上手ですよね。夕雨さんが器用なのは知っていましたが、こういった美的センスもあるようです」

「お裁縫の刺繍も綺麗ですしね……」

「ふふ、後で教えてあげるね。さてと、それじゃあどうぞごゆっくり」

「はい、それじゃあ……いただきます」


 円次は手を合わせながら言うと、花を象った干菓子を手に取り、それを口へと運んだ。


「……はあ、ホッとする甘さだ。ただベタッと甘いんじゃなく、口の中でゆっくりと味わいたくなる感じのしっかりとした甘さだから本当に心地よい……」

「緑茶も少し濃いめに淹れているので、より干菓子の甘さが引き立ち、干菓子で少し甘くなった口の中を緑茶でさっぱりとする事が出来る。先程、安芸さんが私達の事をそれぞれが主役であり脇役でもあると仰っていましたが、この干菓子と緑茶もそうで、脇田さんもそうなり得る存在だと思っていますよ」

「僕が主役であり脇役でもある存在……」

「物語の中では明確に主役や脇役は決まっていると思います。ですが、脇役として主役を引き立てつつ自身も主役の存在をかき消さないようにしながら目立ってみせる。そういった存在になれば、多くの方の目にも止まり、いずれは主役の座を射止める事も出来ると思いますよ。もちろん、名脇役として有名になり、その道をひたすらに進むというのもありますけどね」

「つまり、僕が決めるしかない、と……」


 円次は軽く俯いたが、すぐに顔を上げると笑みを浮かべた。


「どの道を進むかはまだ決まってません。でも、顔を上げてみれば色々な道がある事はわかりましたし、これからも俳優を続けながら自分なりの俳優道を見つけてみます」

「はい、頑張ってくださいね」

「私達も応援してますね」

「もちろん、私も。桜梨さんも脇田さんがテレビに出る時は是非見てみて下さいね」

「うん、せっかくだしそうさせてもらおうかな。脇田さん、頑張ってくださいね」

「皆さん……はい、頑張ります!」


 夕雨達の言葉を聞き、円次は嬉しそうな笑みを浮かべた。そして雨が降り続ける中、『かふぇ・れいん』では円次が桜梨や愛歌を相手に演技面での様々な話をし、楽しそうなその様子を夕雨達は静かに見ていた。

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