第12話 友達を解消した日

「ヘイカー」


 名を呼ばれてヘイカーは振り返った。そこには超絶美人なミハエルの騎士隊長が凛と立っている。


「はい、リゼット……様」


 仕事中、リゼットはもちろん、ロレンツォにも敬称をつけなければならない。仕方ないこととはいえ、これは苦痛である。


「どう、魔法部隊の方は。慣れてきた?」

「はあ、いや、三日程度じゃ……今のところ、特に魔法に特化した仕事は回ってきてないんで、なんとも言えないっす」

「そうね、世の中が平和ということだわ。ところで聞きたいことがあるのだけど」

「なんでしょうか」

「北水チーズ店の配達は、今後もあなたがやるの?」


 騎士団のこととは全く関係ない質問に、ヘイカーは訝りながら答えた。


「そのつもりっすけど。父ちゃんだけじゃ、店は回ってかねーんで」

「じゃあ、今日の配達はあなたがするのね?」

「え? ええ、まぁ」


 なぜそんなことを聞くのだろうか。リゼットは嬉しそうに頷きながらこう言った。


「では、今日の配達はうちを最後にしてちょうだい」

「なんで?……じゃなくて、なんでっすか?」

「いいから。頼むわよ」


 そう言いながら美しい騎士隊長は去っていった。いつまでも見つめたい気持ちになってしまうが、誰かに見咎められるわけにはいかない。ヘイカーは何事もなかったフリをして、仕事に戻った。

 職務中のリゼットの言葉は絶対だ。守らないわけにいかない。

 今までクージェンドにも同じことを言われてきたが、ことごとく無視してしまったからだろうか。

 今日は絶対にリゼットの家を最後に回らなければなるまい。しかしわざわざ後回しにせずとも、就業時間は大体同じなのだから、リゼットが急いで帰ればすむ話のだが。


 不思議に思いながらも、ヘイカーは言われた通りクルーゼ家への配達を最後にした。時刻は午後七時半。午後五時まで仕事なので仕方ないが、六時頃に配達を終えていた学生の頃に比べて体がキツい。配達が終わればチーズ作りが待っている。少ないとはいえ夜勤もあるし、日曜出勤もあるのだ。やっていけるのだろうかと不安になる。


「ういーす、北水チーズ店ーーす」


 いつものようにそう声をかけると、これまたいつものようにクージェンドが迎えてくれた。そしてチーズを渡して代金を受け取ると、来週分の注文を受ける。


「毎度ありやーす」

「ヘイカー君、上がってください。リゼット様がお待ちです」


 帰ろうとしたら、そう声を掛けられてしまった。配達を最後にしろというのは、そういうことだろう。やっぱり何事もなかったかのように帰るのは許されないか。そう思いながら、ヘイカーは玄関を跨ぐ。


「ああ。来たのね、ヘイカー」

「ではお嬢様、私はこれで」

「ご苦労だったわね、良かったらクージェンドも食べて行かない?」

「いえ、妻が待っておりますので、失礼致します」


 クージェンドはそう言って去って行った。目の前のテーブルには、美味しそうな料理が並んでいる。


「座って、ヘイカー。食べていないのでしょう?」


 なぜ食事に呼ばれているのかがわからず、ヘイカーは首を傾げた。これはプライベートだろうか。それとも仕事の一貫だろうか。


「リゼット……様。どうしてオレにこんな……?」

「お礼よ。あなたには世話になったからね。このところ会えなかったから、中々誘うこともできなかったけれど」


 礼、という言葉を聞いて、ヘイカーは顔を曇らせた。

 ロレンツォと付き合うことになった礼に違いなく、ただ落ち込んだ。そんな礼など要らない。余計に惨めになるだけだ。


「礼なんていらないっすよ」

「折角作ったのよ。食べて行ってくれるでしょう?」

「……」


 言われて、仕方なくヘイカーは席に着いた。そしてもそもそと食べ進める。


「……どう?」


 味の評価をもらいたかったらしいリゼットは、なにも言わぬヘイカーに問い掛けてきた。


「うまいっすよ」

「そ、そう」


 リゼットはホッとして嬉しそうに微笑んでいる。これがまた可愛いのだ。これ以上好きになっても仕方がないというのに、ヘイカーの恋のバロメーターが上がっていく。それと比例するように、切なさ数値も加速していった。


 リゼット、ますます料理が上手くなったな。

 全部、ロレンツォの奴のため、か……


「良かったら、おかわりもあるから」

「いらないっす」

「そう……その、どう? 騎士団は」

「別に……始まったばかりでよくわかんねーっす」

「なにか困ったことがあれば、すぐに私に言ってね」

「リゼット様の手を煩わせるようなこと、しないっすよ」


 ヘイカーは、己のスープを運ぶ手を止めた。目の前のリゼットが、悲しい顔をしているのに気づいてしまったのだ。


「……なんすか?」

「ヘイカー……二人でいる時は、私をリゼットと呼んでくれて構わないのよ」


 つい喜んでしまいそうな発言。いつものヘイカーなら、単純に歓喜したであろう。しかし、現在リゼットはロレンツォと付き合っていて、全く他意のないことくらいはわかる。


「呼ばねー……」

「どうして? 私とあなたは、友達……でしょう?」


 ヘイカーは眉を寄せた。この先ずっと、友達だという理由で家に招待されたり、食事に誘われたりするのだろうか。その時、ロレンツォの話を聞かされてしまったりするのだろうか。


 冗談じゃねぇ……

 そんなの、耐えられねーよ。


 ずっと友達を続けるだけの強さはない。リゼットがロレンツォと付き合い、やがて結婚して、子どもができて。それを近くで見ながら友達ごっこなど、できるはずもない。


「友達、やめる」

「……なんですって?」

「友達やめるって言ったんすよ。ごっそさんっした!」


 ヘイカーはガタンと立ち上がった。

 胸が苦しい。リゼットの顔をまともに見られない。


「待って、ヘイカー……どうして急に? なにか気に触ることでもした?」

「別に、リゼット様はなんもしてねーんで」

「ならなぜ……!」


 ヘイカーの右手に縋るリゼットを払いのけ、ヘイカーは無言でクルーゼ家を後にする。リゼットがどんな顔をしていたかなど、見る気も起こらなかった。

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