第7章 聖女の解放、そして
第38話 終わらせてやってよ
ノルバドの遺跡は、巨大な樹木が変形し、絡み合ってできた島のような外観をしていた。
天に伸びる、獣の爪に似た細い枝。花はおろか、葉の一枚もついていない枝には、代わりにびっしりと黒い藻のようなものが張り付いている。まるで枯れた樹木を飾る漆黒のヴェールのようだ。
遺跡といっても、建造物はない。ただ複雑に絡み合い成長した根が隆起し、それが家屋の残骸のように錯覚をさせた。
島のようで、島ではないから、足元に広がるのは土ではない。それでも踏みしめる感触は陸地のそれと同じで、よくよく見れば絡み合った根の隙間を埋めるようにして、どす黒い何かが敷き詰められていた。
巨木に垂れ下がる黒い藻のようなモノと同じなのか、あるいは腐敗した漂流物の成れの果てなのかはわからない。どちらにしろあまりいいものではないのだろうと、上陸したラギウスは早々に意識を地面から周囲へ移すことにした。
「前に来た時と変わらねぇな」
「そう言えば、君はどのようにして魔狼の呪いにかかった? 情報を共有しておかないと、皆が呪いにかかってしまっては元も子もないぞ」
先を行くラギウスの後を追って、パトリックが陰鬱な島の奥へと歩を進めた。今回はイーゴンとメーファも同行し、船に残したメルヴィオラはセラスが様子を見ることになっている。
「せっかくだからお前も一回魔狼になっとけ」
「ふざけている場合ではない!」
「わーってるよ。……でも少し肩の力を抜いといた方がいい。いざという時、本来の力が出せねぇぞ」
「前回はラギウスが一人で奥まで突っ走って、戻ってきたと思ったら狼になってたもんね。だから僕たちも、この奥がどうなってるかわからないんだけど……ラギウスは覚えてるの?」
イーゴンの頭に帽子のように乗っかっているメーファは、今回も自分で歩く(飛ぶ)気はないらしい。もしかしたら万が一の時のために魔力を温存しているのかもしれないと、メーファの不思議な銀色の瞳を見ながらパトリックはそう思った。
「向こうに壁みたいなデケぇ樹が見えんだろ? あの根元に空洞があった。魔狼はその辺りに群がってたが、この島全体が魔物の巣窟みてぇなモンだからな。油断してると、呪いを受ける前に死ぬぞ」
ラギウスが言い終わらないうちに背後の茂みが揺れ、振り向くよりも早く中から一匹の魔物が飛びかかってきた。
犬に似た魔物だ。けれども異様に発達した牙が顎を押し上げて、鼻口部が大きく捲れ上がっている。目は赤く血走っており、黒い体には赤黒い血管のような模様が浮き出ていた。
「……ってるそばからこれかよ!」
パトリックの喉笛を噛み千切ろうとした魔物の横っ腹を、ラギウスが右足で力一杯蹴り飛ばした。相変わらずの瞬発力と跳躍力。パトリックの肩を軸に飛び上がったとは言え、魔物よりも高く跳ねるラギウスの動きはやはり人間の域をはるかに超えている。黒い霧となって消えていく魔物を前に、パトリックは剣を抜く暇さえなかった。
「すまない。助かった」
「おう。ひとつ貸しな」
「アラ、羨ましい。ならアタシも二人にたくさん貸しを作っちゃおうっと」
拳をぐっと握りしめて意気込むイーゴンの背には、両刃の大剣が背負われている。見るからに重量級の武器だが、イーゴンが背負えばゴツい両手剣もまるで玩具のように見えるから不思議だ。
「借りならリッキーが後で全部返すから、思う存分暴れていいぞ」
「勝手に決めるな!」
「アラ、そう? 俄然やる気が出てきたわ。なら先を急ぎましょ。セラスが首を長くして待ってるでしょうし、ヴィオラの目も早く覚まさせてあげないとねン」
「じゃぁ、とりあえずあの樹のとこまで行ってみる?」
メーファが指差した先に、空を分断する黒い壁のような巨木の幹が見える。樹から瘴気が滲み出ているのか、空は晴れているのにそこだけ闇が濃い。まるで夜の寝床のようだ。
「そうだな。十中八九、あの木の根元にあんだろ。ルーテリエルを封じた魔法具は」
先頭を走るラギウスにパトリックとイーゴンが続く。行く手を阻むように襲いかかる魔物は蹴り飛ばされ、炎にまかれ、そして拳で粉砕された後、鋭い風の刃に切り刻まれて、確実に数を減らしていった。
魔物たちを撃退しながら進んでいると、やがて目の前にどす黒い色をした大きな樹が姿を現した。垂れ下がる藻のような黒いモノの正体は、近くで見てもそれが何なのかはわからない。風もないのに、まるでカーテンのようにゆぅらりと揺れる様はただ不気味で、パトリックはこの地に澱む重い空気に胃の底がぎゅっと締め付けられる気がした。
「今更だけど、ラギウス……
「っとに今更だな。大丈夫だ。じゃなきゃ、ここに挑んでねぇ」
そう聞いてきたメーファに答えながら、ラギウスが腰に佩いた剣を左手で抜く。利き手ではないのかとパトリックが訝しんだ一瞬に、ラギウスが自身の右の手のひらを浅く切りつけた。
「何をしている!」
「心配してくれんのはありがたいけど、お前ほんっと俺のこと好きだよな?」
「いっそのこと、そのまま死んでしまえ」
「ひでぇ」
軽口を叩く暇があるなら大丈夫だと、パトリックの顔から瞬時に憂いの表情が消える。代わりに笑みを浮かべたラギウスが、傷つけた右手で剣の柄を
すると銀色の刃に掘られたフラーを伝って、赤黒い血のような液体が滑り落ちていく。魔石の黒とラギウスの血を混ぜたような色ではあったが、それが血液であるかと問われれば違うような気もする。
血のようで、けれど溶かした宝石の類いにも見える。フラーを赤黒く染めた何かは、もう完全に固まっているようだ。そうしていると、まるで最初からそういう剣だったと錯覚してしまう。
「何だ、その剣は」
「闇に染まった魔石を破壊するための剣さ。魔石を壊せば壊すほど力が増すんだと」
「正確には穢れた魔石を破壊するたびに、剣が呪われた力に耐えうる強度を上げていくんだけど……ラギウスは単純に強くなるって言った方が理解しやすいんだって」
「んだよ、同じことだろうが」
イーゴンの頭に乗ったままメーファがしれっと補足するので、ラギウスは不機嫌そうに眉を顰めてしまった。
「君が呪われた魔法具を集めていたのは、剣を強化するためでもあったのか」
「そうね。ここにある魔法具は強力な呪いを振りまいているから、そのままだと剣も刃が立たないのよン。だ・か・ら、各地に散らばってる呪われた魔法具を回収するついでに、剣の方も強度を上げていってたってわけ。地道な作業だったわン」
「それを途中でラギウスが、『これくらいで行けそうな気がする』って勝手に突っ走るから耳と尻尾が生えたんだよねー」
「あぁ、もう! ごちゃごちゃ、ウルセぇな。とっとと行くぞ!」
ラギウスが黒い巨木へ近付くと、樹の影からこちらを窺う赤い光がひとつ浮かび上がった。かと思うとそれは瞬く間に数を増やし、低い唸り声と共に瘴気を撒き散らす魔狼の群れが姿を現した。
「あ、ラギウスのお友達がいっぱい」
「シメんぞ、メーファ」
「暴力はんたーい」
「だったらしっかり働け。半分は俺が
「あぁん、ま・か・せ・て!」
頼られたことが嬉しいのか、イーゴンが背負った大剣をむんずと掴んで、そのまま真横に力一杯薙ぎ払った。風の魔力を付与しているのか、元々の怪力のせいなのか。たった一閃なのに、魔狼はおろかその奥に広がるいくつかの木の根まで粉々に粉砕してしまう。イーゴンの後ろに立っているというのに、その衝撃の余波を喰らって、パトリックの髪がぶわりと派手に舞い上がった。
「俺ら、いらねぇかもな」
そう苦笑しつつも、脇から飛びかかる魔狼の一匹を
「ラギウス。ここはアタシとメーファに任せて、アナタたちはルーテリエルを解放してちょうだい。こんな悲しいことは、早く終わらせてあげましょ!」
「その樹の根元……空洞の奥から、わずかに精霊の波動を感じるよ。たぶんルーテリエルの魔石、宝冠はその奥にあるはず。……ラギウス。イーゴンの言うとおり、もう彼女を終わらせてやってよ」
大剣が魔狼を薙ぎ払い、つむじ風が霧散する瘴気の亡骸を空の彼方へ吹き飛ばす。それでも魔狼は木々を母体として隙間の闇から滲み出て、その数が減る気配はまるでない。おそらくはこの巨木の核となっているルーテリエルの魔石が、魔狼を生み出しているのだろう。
二人が魔狼を足止めしている間に、呪われた魔法具……その魔石に捕らわれたルーテリエルを解放してやらなければならない。
「後は任せたぞ!」
「五分で戻ってきてねー」
「もうちょい粘れ! 行くぞ、リッキー!」
巨木の根元、大きく口を開けた空洞にラギウスがひらりと身を投げる。底の見えない深淵に一瞬躊躇いはしたものの、剣に炎を纏わせることで視界を確保し、パトリックもラギウスの後に続いて巨木の空洞に飲み込まれていった。
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