第5章 ラギウスの秘密

第26話 君のせいだぞ

 シャルバ港を出港した海賊船エルフィリーザ号は、マノール海域の南へと航路を取ってゆったりと波を切り進んでいた。

 今朝も気持ちがいいくらいに晴れている。甲板を照らす朝日は眩しく、まだ少し冷たく感じる潮風は爽やかで心地良い。けれども船上は先程から微妙な空気が流れたままだ。


 粗野な男たちに紛れて、やけに小綺麗な男が乗っている。

 潮風に揺れる髪は上質な蜂蜜のように美しい金色で、触れればさらさらと音がしそうなほど滑らかなのが見てわかる。男にしてはきめ細やかな肌。瞳の青は、海の色と言うより今日みたいな晴天を思わせるセレストブルーだ。

 背筋をピンッと伸ばして立つ姿すら絵になる男。貴族と言われても違和感のない容姿だが、彼の着ている青い服は海賊たちにとって嫌悪感を覚える海軍の制服だ。今もラギウスたちを除いて、クルーの大半は遠巻きにこちらの様子を窺っている。


「何年一緒にいても、君の行動は予測ができないな」


 そう言って眼鏡を指で押し上げたセラスの顔には、明らかに疲労が溜まっている。ラギウスのいないあいだ船を指揮していたからなのか、それともこれ幸いと本を読み耽っていたのか。もしかするとこの状況を見て、一気に疲れが押し寄せたのかもしれない。


「フィロスを祈花きかさせてすぐ戻ると思えば領主の館で一泊し、海軍に追われているというのに暢気に朝食まで食べてくる。おまけにその海軍の大佐を連れての帰還に、正直わたしは何を言ったらいいのかわからない」

「じゅうぶん喋ってんじゃねーか」

「その減らず口を大佐に斬ってもらえ」


 かちゃ、とパトリックが剣を抜こうとしていたので、メルヴィオラは慌ててその手を掴んで鞘へと押し戻した。


「違うのよ、セラス。私がこのまま旅を続けたいって言ったから、譲歩してパトリックが同行することになっただけなの」

「海軍……いや、神殿は聖女に対してどこまでも過保護だな。彼女は君たちが守らねばならないほど、弱い女性ではない。あとたまにうるさい」

「うるさいって何よ!」

「それだ」


 言い返したいのに、何も言えない。口を開けばまたうるさいと言われるのが目に見えたので、メルヴィオラは下唇を噛み締めてぐっとこらえるしかなかった。


「やはり降りましょう、聖女。こんな無礼な船に、あなたを乗せてはおけない」


 牽制のつもりなのか、あるいは癖なのか。パトリックがまた剣の柄に手をやった。抜く気配は今のところなさそうだが、その指に嵌めた指輪の赤い石が、パトリックの心に反応してギラリと光っている。


「そっちが勝手に乗ってきたんだろうが。降りるんならテメェ一人で降りやがれ」


 そう言ってラギウスがメルヴィオラの腕を引くから、またパトリックの綺麗な顔に険しい皺が寄った。


「こっちはテメェなんかいつでも海に放り出せるんだぞ。仲間のいないテメェが、俺らの船でたったひとり何ができる?」

「君たちがどれだけ束になろうと問題ない。君はむしろ、この船を燃やされないように注意していろ」

「テメェの炎なんざ、俺には効かねぇんだよ。ティダールで見ただろうが」

「君に効かずとも、船や船員には効くのだろう? 守る者が多いと戦いづらいな」


 今度こそ剣を抜き、パトリックが周囲をちらと見やる。どうやらパトリックの予想は当たっていたようで、淡く炎を纏う剣を見てラギウスが苛立たしげに舌打ちをした。

 腕を引かれていたメルヴィオラはセラスの方へ押しやられ、ラギウスは身を低くしてパトリックと交戦の態勢に入ってしまっている。ラギウスの剣には炎を相殺する黒い魔石がはめ込まれているが、それはあくまで自分に降りかかる火の粉限定だ。パトリックが言うように、炎が船を標的にすればす術はない。

 とはいえメルヴィオラも乗っている船を、パトリックが破壊することはないはずだ。ラギウスたちもそれはわかっているようだったが、船の被害がないに越したことはない。

 隣で溜息をついたセラスを見ると、彼のリーフグリーンの瞳が物言いたげに細められた。


「君のせいだぞ。二人をどうにかしてくれ」

「どうにかって言われても……」


 二人は既に武器を構えて戦いはじめていた。本気ではないのかもしれないが、響く金属音と飛び散る火の粉は少なからず恐怖を感じる。それに戦いの空気に染まってしまった二人を、どうやって止めたらいいのかわからなかった。


「こうしたらいいんじゃない?」


 ふんわりとした暢気な声に振り向けば、頬杖をついたメーファが宙に寝そべるようにして浮いていた。


「メーファ。何か案が……」

「はい、どーん!」


 天使の微笑みを浮かべたまま、メーファが人差し指でくるりと円を描いた。かと思うとメルヴィオラはメーファの喚んだ風に体当たりされ、剣を交えるラギウスとパトリックの間に勢いよく吹き飛ばされてしまった。


「きゃっ!」


 突然の攻撃に驚いたのはメルヴィオラだけではない。いきなり間に割って入ったメルヴィオラに目を剥いて、ラギウスとパトリックがほぼ同時に剣を放り出して駆け寄った。

 背を支えるラギウスと、腕を引くパトリック。けれどメーファの風は予想以上に勢いが強く、三人はそのまま船の手すりを超えて海の中へとダイブしてしまった。




「冗談にもほどがあんだろ」


 船員たちに引き上げられたメルヴィオラは、イーゴンが慌てて持ってきてくれた大きめのタオルにくるまれて甲板に座り込んでいた。その隣に座るパトリックも当然ずぶ濡れで、海水に冷やされたのか戦意はすっかり消えている。

 金髪から滴り落ちる雫が妙に色っぽくて、視線が絡み合う前に慌てて顔を背けると、今度はラギウスがメーファの頭を鷲掴みにしている光景が目に飛び込んできた。


「でもおかげで余計な争いはしなくて済んだでしょ?」

「にしても、コイツまで巻き込む必要ねぇだろうが」

「あれぇ? 最初にお姉さんをかっ攫ったラギウスが言う言葉なの、それ?」

「チッ。食えねぇ奴」


 端から見ればかわいい少年が無下に扱われている光景だ。メルヴィオラたちはメーファがそうかわいい存在ではないことを知ってはいるが、パトリックは違う。一度は消えかけた戦意が再び火を熾しはじめたところで、ラギウスがメーファをメルヴィオラの方へ放り投げた。


「そいつの服を乾かしてやれ。それでチャラにしてやる」

「わー。ラギウスってばやっさしーぃ」

「ちげーよ! そいつに風邪でも引かれたら困るってだけの話だ。聖女の力も、そいつ自身には効かねぇようだからな」

「それって心配してるってことじゃないの?」

「いいから、さっさとやれ!」

「はーい」


 怒るラギウスにまったく動じる気配もなく、メーファはメルヴィオラの膝に座ったまま、さりげなく頭を胸にすり寄せてくる。にこぉ、と甘えた様子で見上げられれば、騙し討ちみたいに母性本能が芽生えてしまい、乱暴に引き離すこともできなくて。

 再度メーファがラギウスに頭を鷲掴みにされた時にはもう、メルヴィオラの体はやわらかな風に包まれて服も髪も綺麗に乾いていた。


「彼は……まさか風の精霊なのですか!?」

「驚くわよね。私もはじめて言われた時、びっくりしたもの」

「精霊を供にしている……? いや、奴のことだから彼の弱みを握って、いいように使役している可能性の方が高い。そもそも精霊が人目に姿を現すなど……」

「余計な詮索してんじゃねぇよ」


 思考に耽るパトリックの頭上に、ラギウスが脱ぎ捨てた上着が覆い被さる。水分をたっぷりと含んだ海軍の制服を無防備な頭上に喰らって、パトリックの体がぐらりと前に傾いた。


「ラギウスっ! 貴様……っ」

「制服、返しとくぜ。まぁ、それなりに役に立ったわ」

「洗って返せ!」


 何だかんだ、パトリックもラギウスのことを心底毛嫌いしているようでもなさそうだ。職務的に敵対勢力ではあるけれど、どこか憎めない存在なのかもしれない。そうであればいいなと、メルヴィオラは何となく二人を見ながら思ってしまった。



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