第25話 一緒に行きたい
狭い廊下で剣を交えていた二人は今、応接室のソファーに向かい合って座っていた。ラギウスの隣にはイーゴンが、パトリックの隣にはメルヴィオラが腰を下ろし、お互いの間に溝のように置かれたテーブルにはよい香りのする紅茶が暢気に湯気を出している。
ラギウスの秘密に気を取られたパトリックを止めたのは、物陰から様子を窺っていたイーゴンだった。パトリックの手から剣が滑り落ちた瞬間に飛び出し、彼を背後から羽交い締めにして、「役得」と言いながら自由を奪ってしまった。
さすがのパトリックもイーゴンの怪力には敵わなかったようで、苦虫を噛み潰したように美しい顔を歪めるしかなかった。
その後メルヴィオラの説得もあって、今は応接室にて話し合いの場を設けている。
「えぇと……パトリック? その、ここまで追いかけてきてくれて……まずは、ありがとう」
「聖女を守るのがわたしの仕事ですから」
「守れなかったから、ここまで追いかけてきたんだろうが」
合いの手みたいに茶々を入れるラギウスはいつものように笑っておらず、少しだけ不機嫌そうに眉を顰めていた。ソファーの背もたれに両腕を乗せて寄りかかる姿は見るからに横柄で、まるでこの屋敷の主のようにふんぞり返っている。本当の主は、一人掛けのソファーに縮こまったまま、事の成り行きを不安そうに見守っていた。
「ラギウスは少し黙ってて! 話が進まないわ」
「そいつに話すことなんて何もねぇだろ」
「あぁん、もう。うるさい! ちょっと紅茶でも飲んでて」
「チッ」
これ見よがしに大きな舌打ちをされたが、不機嫌な顔のまま紅茶を飲み始めたので、これ以上文句を言うつもりはなさそうだ。イーゴンにも軽く目配せされて、メルヴィオラは再びパトリックへと向き直った。
「やはり、斬りましょうか」
「斬らなくていいから! パトリックも落ち着いて」
剣の柄に触れて腰を浮かしかけたパトリックを慌てて引き止める。何だか大きな犬と狼を、必死に手懐けようとしているみたいだ。
「あのね、パトリック。結論から言うと、私はいまラギウスたちと一緒に
「あなたを攫った時点で極刑なのですが」
「ま、まぁ、ラギウスもやむを得ない事情があったみたいだし……私はもう気にしていないから、パトリックも今回のことは大目に見てあげてほしいの」
「そのやむを得ない事情というのは……それのことか、ラギウス」
それ、とパトリックが視線で告げたのは、ラギウスの頭に生える獣耳だ。今はもう隠す気もないようで、ふさふさの尻尾もソファーと背中の間に挟まっている。
ラギウスはといえば何にふて腐れているのか、さっきからずっと顔を背けたままだ。
「ちょっと、何で黙ってるのよ。あなたの罪が軽くなるよう言ってあげてるのに」
「別に頼んでねぇし」
「何よ、それ!」
「まぁまぁ。二人とも落ち着いてン」
のんびりとしたイーゴンの仲裁がなければ、メルヴィオラは更に声を荒げてしまうところだった。せっかくパトリックもメルヴィオラの顔を立てて、話し合いの席に同席してくれているのだ。この機会を失うわけにはいかない。
パトリックが納得しなければ、メルヴィオラはイスラ・レウスへ連れ戻されるはずだ。ラギウスたちとの旅はここで終わり、そしてきっともう二度と会うことはないのだろう。
「そんな不安そうな顔しないで、ヴィオラ。アタシたちはアナタを手放す気なんてないから安心してちょうだい。ラギウスってば、アナタと彼が親密なことに拗ねてるだけなのよン」
「イーゴン! テメェ、勝手なこと言ってんじゃねぇ……っ」
「アラ、間違えちゃったわ。そうそう、嫉妬してるのはアタシの方よ。海軍の彼が現れちゃって、アナタが戻っちゃうんじゃないかって心配しちゃったわぁ」
それがイーゴンの本心なのか、あるいはラギウスの代弁なのかは確かめる術がない。けれどさっきまでピンッと立っていた狼の耳がしゅんと萎れているのを見ると、どんなにラギウスが睨んでこようと、メルヴィオラはもう突っかかっていく気にはなれなかった。
「私だって……こんな中途半端に投げ出すつもりはないわよ」
照れなのか安堵なのか、よく分からない気持ちがメルヴィオラの胸を満たしていく。かすかに浮かれてしまった自分を感じながら、でもそんな思いを悟られないようにしたつもりだったのに、唇からこぼれる声は何だかとても小さくて。
狼の耳がピクリと動いたので、きっとラギウスには聞こえたのだろう。それを確かめる勇気はなくて、メルヴィオラは視線をパトリックへと向けてしまった。
「えぇと……それでね? パトリック。最初はどうであれ、今はちゃんと
「それは、彼らと一緒に……ということですか?」
「う、ん……そう、なるかしら」
「
「それは……あれよ。ほら、ラギウスの呪いを解いてあげなくちゃいけないから。彼、ノルバドの遺跡で魔狼の呪いにかかっちゃって……今の私の力では解呪が不完全なの。このままだと完全に魔狼に変化しちゃうらしくって」
ノルバドの遺跡と聞いて、パトリックが盛大な溜息を吐いた。ラギウスを見つめる視線には非難と呆れの入り混じった、何とも言えない感情が見え隠れしている。
「君は馬鹿か?」
「うるせぇよ」
「立ち入り禁止の遺跡に入り込んで呪いを受けるなど、自業自得だろう。聖女の優しさにつけ込むのもほどほどにしろ」
「あぁ? 別に問題ねぇだろ? お前らは儀式を完遂できるし、俺は呪いが解ける。
「なら我々がお連れするまでだ」
「それを嫌がってんじゃねぇか、聖女サマはよ」
同意を求めるラギウスと、否定してほしいパトリック。二人分の視線を受けて、メルヴィオラが言葉に詰まった。どちらを選んでも問題になるのは目に見えている。迂闊なことは口にできないと言い淀んでいると、視界の隅でイーゴンが静かに紅茶のカップをテーブルに置くのが見えた。
「アタシ思うんだけど……ヴィオラはこのままアタシたちの船で連れて行った方がいいんじゃないかしら?」
案の定パトリックが鋭い視線を投げかけたが、イーゴンにしてみれば美青年の睨み顔など眼福なだけだ。口に出さないだけで、パトリックを見つめる瞳の奥にはうっすらハートが見え隠れしている。
「神殿暮らしで、ヴィオラもちょっと息が詰まってたんじゃない? 旅の間くらい、わがまま聞いてあげてもいいと思うわン」
「聖女に無理をさせていたと……?」
「実際アタシたちの船で、そりゃぁもう楽しそうに笑ってたわよぅ。ね、ヴィオラ」
「そ、そうね。うん、楽しかった……と、思うわ」
断崖絶壁を命綱なしで登ったり、慣れない山歩きに汗だくになったり、オークションで売られそうになったりもしたけれど。短い間に経験したすべては、ラギウスに攫われなければ一生知ることのなかった世界だ。
平穏とは言いがたいが、その平穏を犠牲にして得た自由は一秒すら輝いて見えた。いま、この時を生きているのだと、強く感じたことに嘘はない。
「パトリック」
意を決して隣を見ると、パトリックが少しさみしげに眉を下げた。何を言われるのか、もうメルヴィオラの決意をわかっているのだろう。それでもここはちゃんと、自分の言葉で言わなくてはいけないと思った。
わがままを通す自分へのけじめだ。
「私、このままラギウスたちと一緒に行きたい。あとひとつ、最後のフィロスの樹はちゃんと
ふぁさ、と響く衣擦れの音に目を向けると、ラギウスの尻尾が大きく揺れているのが見えた。顔では無関心を装っているのに、感情を隠しきれていない尻尾にメルヴィオラの心がふんわりとあたたかくなる。
まだ離れたくないと、ラギウスも同じ気持ちでいてくれるのだろうか。もしそうなら――きっと嬉しいのだと、メルヴィオラは心の奥に咲いた小さな花を認めるしかなかった。
「……わかりました」
長い、長い溜息をついた後、パトリックが渋々ながら頷いた。
「……っ! じゃぁ」
「その代わり」
喜ぶメルヴィオラを制して言葉を被せると、青い瞳を今度はラギウスへと向けて、パトリックは心底嫌そうに眉間に深い皺を寄せた。
「その代わり、私も同行させてもらう」
「はぁぁ!?」
「えっ!」
「アラ」
予想もしていなかったパトリックの要求に、メルヴィオラたちの声が綺麗なくらいに重なった。
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