第15話 そういう世界なんだよ
ガヤガヤと騒がしい人の声に目を覚ました。ぼやけた視界に、むさ苦しい男たちの姿が見える。一瞬あの酒場かと思ったが、すぐ近くに聞こえた張りのある男の声に、ここがどこだか嫌でも理解してしまった。
「さぁさぁ、今日いちばんの大目玉商品は、海の女神ルーテリエルの愛し子。どんな傷もたちまち治してしまう、癒やしの聖女だ! これがあれば、どんな怪我をしても、心臓が動いている限り死ぬことはない! 救護係として置くもよし。人質としてイスラ・レウスに金を要求するもよし。あるいは孤独な航海を癒やす華として愛でるもよし!」
最後の言葉に、男たちの色めいたどよめきが湧き上がる。その声だけで身の危険を感じて、メルヴィオラは思わずがばっと体を起こした。その拍子に視界がぐるんと回って、体に力が入らない。薬がまだ残っているのだ。逃げようと後退した体が司会の男に掴まれて、メルヴィオラは床に転がったまま頭だけを上げさせられた。
「この青い髪と赤い瞳が何よりの証拠。なんなら癒やしの術もご覧頂きましょう」
司会の男が指を鳴らすと、ステージの脇からひとりの男が腕を繋がれた状態で引きずられてきた。メルヴィオラを攫った男のひとりだ。
なぜ彼が、と思う間もなく、男の胸に容赦なく剣が突き立てられた。
「……っ!」
驚いて声も出ない。躊躇いもなく人を傷つける光景が現実ではないような気がした。けれど呻いて倒れる男の振動が、もっとやれとはやし立てる男たちの声が肌にビリビリと伝わって、これが夢ではないことをメルヴィオラに嫌と言うほど突き付けてくる。
怖い。
ここはメルヴィオラの知らない世界だ。
ラギウスと同じ海賊だというのに、ここにいる男たちはエルフィリーザ号のクルーたちとはまるで真逆の世界に生きている者のようだ。
「ほら、泣け。お前の涙がないと、アイツは死ぬぞ」
司会の男に髪を掴まれ、頬を軽く叩かれる。同じ言葉をはじめて会った時ラギウスにも言われたが、あれとはまったく違う言葉に聞こえてしまう。
いや、違う言葉なのだ。これは強制だ。泣かなければ、メルヴィオラも刺された男もどうなるかわからない。暴力に満ちた、命のやりとりに直面しているのだ。
男を助けなければと言う思いより、この状況が恐ろしくて涙が出る。それでも癒やしの効果はきちんと込められていたようで、涙の真珠を飲み込んだ男の傷は見る間に塞がれていった。
「正真正銘フィロスの聖女! さぁ、五十万からどうだ」
司会の言葉を皮切りに、海賊であろう男たちが次々に声を張り上げていく。躊躇すらなくどんどん値の上がっていく状況に、メルヴィオラは怯えて更に舞台の後ろへと後退した。
薬が効いてろくに動けないと踏んでいるのか、メルヴィオラは舞台上に投げ出されたままだ。司会の男も今はメルヴィオラより、膨れ上がる金額の方に意識が向いている。
ぐっと足に力を込めると、さっきより感覚が戻ってきている気がした。今なら隙を突いて逃げられるかもしれない。
(泣いてる場合じゃないわ。早く逃げないと……本当に売られちゃう)
攫われる時、確かにラギウスの声を聞いた。街に詳しいラギウスなら、攫われたメルヴィオラがここにいることも突き止めて助けに来てくれるはずだ。
卑しい目でメルヴィオラを見る男たちと同じ海賊だが、少なくともラギウスの方が十倍も百倍も安心できる。それにラギウスが魔狼の呪いにかかっている間は、彼はメルヴィオラを決して手放さない。
ラギウスが来るまで、せめてどこかに身を潜められれば……。
「おっと……逃げるなよ」
すぐ近くで声がしたかと思うと、メルヴィオラの腕を男の手が掴んでいた。メルヴィオラを攫ったうちの一人、刺されていない方の男だ。
「離して!」
「おとなしくしてろ。お前は大事な商品なんだ。傷をつけるわけにはいかねぇんだよ」
「あなた、仲間を刺されたのよ!? どうして平気でいられるの?」
「アイツならお前が治してくれただろ? 生きてんだから、騒ぐほどでもねぇ」
「信じられない……」
「そういう世界なんだよ、いまお前がいるのは」
頬をいやらしく撫でられ、そのまま顎を上げられる。触れる場所がどこもかしこも気持ち悪くて顔を背けると、男が舌打ちしつつも意地の悪い笑みをこぼした。
「まぁ、いいさ。せいぜい奴らに可愛がってもらいな。お前の連れも今頃は俺の仲間にやられてる頃だろうよ」
「そんなはずないわ! ラギウスがあなたたちに負けるなんて……っ」
「ちょっと待て。……ラギウスだと?」
明らかに男の様子が変わった。男だけではなく、海賊たちも、そして司会さえも競りを中断してメルヴィオラの方を凝視している。さっきまでうるさく響いていた声がピタリと止み、会場が異様な静けさに包まれた。
「女。お前の連れ……もしかして、ラギウスか? 呪われた海賊の……」
「おいっ、どういうことだ! お前まさか、ラギウスからコイツを攫って来たんじゃないだろうな!?」
メルヴィオラが何か言うよりも早く、動揺をあらわにした司会の男が詰め寄ってきた。会場にいる海賊たちの中にも緊張が走っていて、ただひとり状況のわからないメルヴィオラだけが取り残されている。
「知らねぇよ! フード被ってたから顔までは見てねぇし」
「ちゃんと確認してから攫ってこい! とばっちり受けるのはこっちなんだぞ!」
「だったら早いとこ売っ払ってズラかろうぜ。海賊の相手は海賊に……」
「ラギウスを相手にしたい奴なんざいねぇだろうが!」
以前ラギウスと何か揉めたのだろうかと思うほどに、司会の男の顔から血の気が失せていく。酒場でも思ったが、どうやらメルヴィオラの知らないラギウスの「海賊としての顔」があるようだ。それは目の前の屈強な男たちを震え上がらせるもののようで、さっきから海賊たちはそわそわと落ち着きがない。
そんな中ひとりの男が立ち上がった。まるで熊のように厳つい体が自慢なのか、その太い腕をぶんっと振り上げて、これ見よがしに肩を回している。隣に座る男の頭に肘鉄を食らわせていることなどおかまいなしだ。
「なんなら俺が相手をしてやろう。前々から奴は気にくわねぇと思ってたんだ。あのスカした顔に一発お見舞いして、奴の女を目の前で攫ってやらぁ」
ねっとりとした視線を向けられて、メルヴィオラの肌がぞわりと粟立つ。威勢のいい男の発言に何人かの海賊も釣られて席を立ち、下品な笑い声を交えて己を鼓舞しはじめている。
確かに考えてみれば多勢に無勢。いくらラギウスが恐れられるほどに強かったとしても、この会場に集まっている海賊全員を相手にするには無理がある。荒事に疎いメルヴィオラにだってそれがわかるのだ。
けれど――男たちの声をかき消して響き渡った声は、そんな不安を一蹴してしまうほどメルヴィオラの心に深く響き渡った。
「誰が誰を倒すって?」
声は低く静かで、なのにその場にいた男たちすべての動きを止めてしまうほどに恐ろしい。
「お前、いつ……っ」
最後まで言葉を発することすらできず、振り向きかけた海賊が背後からローブを羽織った男に蹴り倒された。そのまま後頭部を踏み付けられ、熊みたいな体が床にへばり付いてピクピクと痙攣している。
「俺の宝に手ぇ出した覚悟……できてんだろうな?」
わずかに翻ったフードからこぼれる、灼熱の髪。燃える赤の向こう、冷ややかに凍るブルーの瞳がメルヴィオラを捕らえた瞬間。
今度は激しい爆音をあげて、会場の入口が炎の渦に吹き飛ばされた。
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