先輩は風紀副委員長
昼休み、学園の食堂は生徒たちであふれている。美悠と智花は場所取りに成功し、隅に置かれた二人掛けのテーブルで昼食をとっていた。
「一口ちょうだい」
「いいよ」
大きく開けられた智花の口に、美悠は持ちあげていた一口春巻きを放り込む。にこにこと咀嚼する智花の表情につられ、美悠の頬もゆるんだ。
「駒木」
その声は喧騒に紛れてしまいそうな低く落ち着いたものだったが、美悠の鼓膜は確かに震える。美悠は勢いよく声の方を振り返った。
「鷹村先輩」
高等部の男子制服を着崩した姿を確認すると、美悠はハッとした。大慌てで自分の口の周りを拭う。のろのろと鷹村は美悠のそばまで歩いてきた。
「今日の委員会、場所変わるって聞いてるか?」
「いえ」
鷹村は話しながら美悠の座っている椅子に片手を置いた。美悠はほんの少しだけ体をずらす。鷹村の手に触れないように。
「第二会議室に変更になった」
「わかりました」
「……じゃあ」
美悠が頷いたのを確認すると、鷹村は緩慢に片手を上げた。
「あ……はい」
去っていく鷹村の背中を美悠はぼんやりと見つめる。口の中のものを飲み込んだ智花が、好奇心をはらんだ声をかける。
「せんぱい?」
智花の方に体の向きを直しつつも、美悠の視線はテーブルの上の弁当へ向いていた。
「うん。風紀副委員長」
風紀、と言う単語に智花はかすかに目を見開く。
「美悠ちゃん風紀だっけ」
「そう。じゃんけん負けたの」
困ったように笑った美悠を見て智花の頭は自然と大きく頷いていた。
「やること多いもんね!」
笑う智花に美悠は何も言わず、曖昧な微笑みを返した。
放課後。学園特別棟の一画、第二会議室。
委員会が始まる時間にはまだ早かったが、美悠はすでにそこにいた。一人もくもくと棚に置かれたファイルや書類の整理をする。引き戸を引く音が教室に響き、美悠は顔を上げた。音の方に振り向いた美悠とドアに手をかけた鷹村の視線が交じり合う。
「あ、こんにちは」
ファイルを持ったまま美悠は鷹村に会釈した。
「ああ……何してんの?」
鞄を机の横に置きつつ鷹村は口を開く。美悠はキョトンとした。美悠の返答がないことに気づき、鷹村は言葉を重ねる。
「また押し付けられたんだろ」
尚も呆けている美悠に歩み寄り、鷹村は美悠の持っていたファイルを取り上げた。そこでやっと美悠は論意に気づく。ハッとして思い切り両手を横に振った。
「いえ、私が気になって……だってごちゃごちゃしてたから……」
「はあ。へえ……」
鷹村は一瞬首をかしげたが、特に言及せずファイルを棚にしまった。沈黙が場を満たす。空気に耐え切れず、美悠は小さく俯いた。
「なんか、すいません」
「いや別に。駒木がいいならいいよ」
それまでと同じ鷹村の低い声が美悠の罪悪感を溶かしていく。鷹村が意識的にか無意識にか混ぜ込んだ優しさも、美悠にはしっかり届いていた。
「ありがとうございます」
美悠は柔らかく微笑む。それを鷹村は無言で見つめていたが、しばらくして美悠の三つ編みを片方すくい上げるように手に取った。思わず美悠は顔を伏せる。一瞬で耳まで赤くなっていた。鷹村のその行動が何を示すか美悠はよく知っていたからである。
「駒木。顔上げて」
鷹村の甘さと熱を内包した声に美悠の頬は更に赤みを増した。
「ま、待って。音が……」
美悠は逃げるように扉の方へ向かい耳をすます。足音が近づいてくると間もなく引き戸が開き、よれたスーツを着た男性教師が入室してきた。
「駒木いる?」
引き戸の影にいた美悠の姿が目に入らなかったらしい男性教師は、鷹村に向かって問いかけた。鷹村がそれに答える前に、美悠が声を上げる。
「は、はい」
男性教師は美悠を見とめると、両手で長方形の形を宙に描きつつ本題を問いかけた。
「作文、コピーさせてほしいって言ってたでしょ。今持ってる?」
記憶を探る間もなく美悠は原稿用紙の在り処に思い至る。
「あ、教室です」
美悠の回答に、男性教師はあからさまに困った雰囲気をまとわせた。
「悪いけど取りに行って貰っていい?今刷らないとなんだわ。一緒に行くから」
「わかりました」
お願いというよりも、言外の命令だった。元々美悠は人の機微に敏く、それが分からないような人間ではなかった。頷いて歩き出そうとする美悠の背中に、鷹村の声がぶつかる。
「もう委員会始まるんで無理っすね」
普段の鷹村の声音とわずかだが異なることが美悠にはすぐに分かった。しかし男性教師が気付くはずもない。振り返った男性教師は、薄く微笑んだ鷹村に元気よく告げた。
「すぐ戻ってくるよ!」
言いながら男性教師は美悠の肩に片手を乗せる。鷹村は一瞬顔を引きつらせたが、そのことに気づくものはいなかった。
「ちょっと行ってきます」
「……了解」
会釈をして出ていく美悠に鷹村は短く言葉を返す。しんとした第二会議室に鷹村の舌打ちがこだました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます