悲しみとなっこの悲しみ
いつもの繰り返しがやってくる。
私は、お店に行った。
「春樹って、どんな漢字?」
「おはよう」
私が、出勤すると店内にお客さんが数名いた。
「春樹さんとこにお願いします。」
用意をした私に、ボーイの法ちゃんがそう言った。
春樹…。
その言葉に、チクリと胸が痛んだ。
「失礼します。初めまして、静樹です。」
「初めましてー。春樹です」
「春樹って、こんな漢字なんだって」
ズキンと胸が痛んだ。
「春樹さんは、何してる人?」
「ただの会社員だよ」
栗色の瞳をクルクル動かしながら話す。
春樹さん、春樹さん、春樹さん
そう呼ぶ度に、胸の痛みが強くなった。
私、この人に恋をしてるの?
まさか…
だったら、この痛みは何なの?
わからないままに、お店は終わった。
「また、来ますね。ママ、静樹さん」
「気をつけてね」
ママと一緒にお見送りをした。
何だか、ドッと疲れた。
家に帰ると相変わらずなっこは、酔っぱらっていた。
初めてなっこに職場の話をした。
何を決めたわけでもなく、なっこと私は仕事の話しはしなかった。
なっこは、私を好きになってと話した。
無理に決まってるなんて言ったけれど、本心ではなかった。
恋愛や友情や家族や人間愛、そのどれにも属さない感情を私はなっこに抱いていた。
その気持ちから、泣いてるなっこを初めて後ろから抱き締めた。
顔が見えないようにする。
なっこが、彼を手繰り寄せれるようにしたかった。
他の人は、きっと彼と比べないでと言うだろう…
でも、私はそうは思わない。
なっこが、彼を思い出せるなら私の顔なんて見なくていい。
温もりをあげる、この手も、この足も、この胸も、この唇も、全部全部なっこに捧げたいの。
私は、なっこの誕生日を過ぎた日にキスをする約束をした。
あの日から、ずっと私はなっこの彼の代用品になりたかった。
朝起きてきたなっこが、TVに釘付けになっていた。
あのNEWSなのがわかった。
なっこと暮らし始めて二ヶ月がたった頃だった。
古い雑誌の切り抜きをなっこは、私に見せた。
「静樹、ここに書かれてる
その記事を私は、ジッと見つめる。
【神隠し?!桜の木の下で、忽然と姿を消した彼はどこに?!】
週刊紙の切り抜きである事がわかった。
【春峰光さん、当時21歳は、二ヶ月前の4月1日。…市…の桜の木の下で、ボストンバックと白いジャケットだけを残し忽然と姿を消しました。依然行方はわかっておらず。警察の捜索活動は難航しています。】
そんな記事が、書かれていた。
「なっこ…」
「静樹には、話しておきたかったの。未だに待ってるなんて馬鹿でしょ?」
「別に、馬鹿になんてしないわ。私だって、春樹がどこかに生きてる気がしてるもの」
「生きてるよ。だって、遺体が見つかっていないじゃない」
「それは、なっこも同じよ」
この日、私はなっこの傷が同じものだと更に強く感じたのを覚えている。
「温もりが足りないんじゃない?」
下着姿で、膝をガクガクと震わせているなっこを見つめていた。
私は、スルスルとルームウェアを脱いだ。
直になっこを、抱き締めてあげたかった。
なっこの震えを止めてあげたかった。
初めて、下着同士でくっついた体は、温もりがダイレクトに伝わった。
いつものように、布一枚を隔てているのとは比べ物にならなかった。
これを知ったら、戻れなくなってしまう。
わかっていても、引き寄せずにはいられなかった。
何の概念もない、どんな愛にも当てはまらない。
ただ、それはそこに存在し…
ゆっくりと私となっこを包み込む。
それは、とてつもない程の幸せで
この柔らかな温もりに包まれていられるのなら、私は春樹を手放してしまってもいいと思えるのだ。
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