よろこべ、ここには意味しかない
小泉藍
大河ドラマ「徳川慶喜」感想(1)
のっけから私事になるが、私は2008年から2009年にかけて、徳川慶喜と勝海舟を主題とした歴史小説「塵の街」を書いた(本アカウントに掲載)。
とはいえその小説と、この記事のテーマである1998年大河ドラマ「徳川慶喜」には何の関係もない。
リアルタイムでは視聴していなかったし、幕末史に興味を持った2008年時点ではまだソフト化されていなかったから。
当時の世間は「篤姫」フィーバーの真っ最中。
私とて、幕末に興味を持ったのはそれがきっかけだ。
そうして「塵の街」を書き上げ、2014年に「徳川慶喜」がDVD化された。
その後数年してDVD全巻セットを入手し視聴。
それからさらに数年がたった今年、私の中で再びの幕末ブームが到来したために、本作品もまた視聴してみることにした。
いわゆる二巡目である。
もともと私の幕末知識は慶喜中心なのでいきおい、中央政局は知っているがそれ以上の広がりがなかった。
薩長のようなメジャー藩の動向についても、本当に表面的なことしかわかっていない(さすがに水戸藩については一程度知っている)。
前回観た時には、その中心しか知らない上に調べた時期からだいぶたっていたのでさらにあやふやになっている状態だった。
この2022年では、中央政局についてもう一度詳しく調べ、薩摩や朝廷の事情についてもある程度は知れたので、見方も変わることを期待して視聴。
内容そのものである脚本や、役者については後述することにしたい。
今回触れたいのは、まずなによりも、映像作品としてのクォリティの高さ、そして作品全体が発する「空気」についてである。
1998年というのは非常に微妙な年だ。
ケータイは大学生以上であればほぼ普及し、インターネットも浸透し始めている。
今の十代の子ががタイムスリップして我慢できる最古の時代かもしれない、戦後53年目にして明治維新130年目の年。
つまり、戦前を大人目線で知る世代がまだまだ多く、明治生まれもそれなりに生存しているころである。
そういう時代に歴史ドラマを作るとどうなるか。
時代劇制作の伝統が十二分に生きているので、重厚で風格あるものになる。
それでいて清新な雰囲気があり、映像はきわめてクリア。
いや、どの時代劇もそうなるとは言い切れないが、「徳川慶喜」はそういう内容に仕上がっている。
主人公慶喜の、幼少期から30歳の年までを書くという青年のドラマであることも影響しているかもしれないけど。
本作以前の時代劇や歴史劇で、本作以上に重厚な内容のものはあるかもしれない。
しかし「徳川慶喜」は、21世紀まであと少しという時代のドラマであるために映像が非常に鮮明で美しいのだ。
(映像がクリアになりすぎるのも善し悪しで、新技術を謳っていた「西郷どん」では若手俳優はいいが年配俳優のアップは正直きつかった……)
天下の国営放送が一番の看板ドラマとして気合を入れて作るので、小道具も衣装も非常に豪華でハイセンス。
これには主人公が高貴の身分ということも影響している。
大河ドラマの法則として、「主人公が身分の高い人間だと視聴率が上がり、低い人間だと下がる」というものがあるらしい。
貴顕だと衣装がきれいだから画面が華やか、いつまでも見ていたい。
低身分だと……あとはわかるな?的な。
その中でも男より女の方がキラキラ衣装だから、身分の高い女主人公こそが最強!ということになる。
あとは、戦国時代の方が幕末よりも高視聴率の傾向。
それからすると、本作は「幕末の身分の高い男性主人公」というなかなか微妙な、珍しいパターン。
いや、大河の初代主人公は井伊直弼だったけど。
(初代大河「花の生涯」は1963年放送で明治維新から95年目、維新前後を記憶している人が生存している可能性のあった時代。100歳過ぎでもかくしゃくとしている人は当時でもおられただろうから)
で、結果的に……これが視覚的にすさまじい効果を上げることになった。個人的には。
主人公慶喜は派手好みではなく、一貫して地味な色の無地の着物しか着ない。
袴はわりと華やかなものを身に着けることもあるけど。
イケメンだから何を着てもかっこいい……んだけど、やはり一番破壊力があるのは黒羽二重の時でしょう。
特に将軍になって、黒羽二重、豪華な袴で端然と鎮座している時のモックン慶喜はもう、最大限控えめに言っても人類の至宝レベルの美しさ、なのである。
そして暑い季節でも白い下着をきちんとまとっているのがノーブルな印象を醸す。
家臣は老中クラスでもそういうことはしていないので、やはり意図的な衣装指定だと思う。
それ以外でも前半は結構季節の推移にあわせて淡色を着たりしていて、衣装担当の気遣いがしのばれる。
しかしそれと双璧で特筆すべきなのが、衣冠束帯! 漆黒の!
漆黒で、しかし首周りに挿し色で深紅と純白が配されているアレを着てこれも漆黒の冠をかぶると、美しい人はより美しく、そうでない人もそれなりに……(ふっる)
朝議の席では出席者は武家も公家も全員同じ漆黒の衣冠束帯なのだが、それがまた、朝廷という世界の息苦しさと沈滞を視覚的に表現する結果にもなっている。
あと外国公使を謁見するときに一度だけ披露した黒烏帽子と白い衣服(袍? 束帯?)もかっこよかった。
フランスの軍服よりもずっと。
そういう一見地味だがハイセンスな慶喜に対して、見た目も華やかでハイセンスな着倒れ女王、徳信院と美賀子。
天璋院もなかなかのものだけど、出番は多くないので。
徳信院と美賀子が登場するシーンでは画面がキラキラ、着物っていいな……と素直に思える。
芸妓さくらのシーンではあまりそういうことは思わなかったので、やはり高い着物、安い着物と差をつけているのだろうか。
しかしそういう朝廷や高位の武家といった雲上人の世界だけでなく、新門辰五郎パートで描き出される庶民の世界、後半政治パートが多くなってからの戦闘シーン、天狗党の悲惨な行軍の模様もきちんと書き込まれているのでめりはりがある。
その一方で、本筋とは関係なしに時折挟み込まれる宴会シーンでのお座敷芸。
これが、おざなりではない本職の仕事に見える。
高尚ではない庶民の遊芸でも、極めた動きは品格があって美しい。
近世の残光と現代の曙光の哀切な接触点、二度とは現れないピンポイントに生まれた奇跡のドラマ。
こんなドラマは、できればまた出来てほしいがそれはむずかしいということもわかる。
このドラマで思い浮かぶシーンは、一橋邸や二条城や大坂城の、黄昏の朱色の光が差し込む絵ばかり。
さらに物理的にも閉ざされた世界である大奥パートの、画面から腐臭が発するような、調度着物は豪奢でも沈んで淀んだ空気感はすさまじい。
上で「清新な印象」と書いたが、確かにそれもこのドラマの一部分ではあるものの、後半では、滅びゆくものの諦念が前面に出てくる。
この全49話の映像自体が、徳川幕府と最後の将軍徳川慶喜そのものの表現にもなっているかのようで、やるせなくも感動的である。
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