静樹の悲しみと私の苦しみ

「ごめんね。少しだけこうさせて」


「何かあったの?」


「彼と同じ名前の人に会っちゃったの。なんだか、辛くて悲しくて」


「わかるよ。静樹」


私は、静樹をギュッと抱き締める。


「ねぇー、なっこ。もう、忘れちゃった?彼が、どんな風に愛してくれたか…。」


「静樹に出会った時には、もう忘れてたよ。」


「どんな指だった?どんな風にれた?息づかいは?キスは、どこまでした?」


「静樹、どうしたの?今日、変だよ。」


「引き寄せられそうになったのよ。名前が、同じだけで。彼の名前が呼ばれる度に、胸が痛んだの。これは、違うのに…。彼で痛んだわけじゃないのに…。なっこ、私どうしたらいい?」


私は、静樹の胸に手をあてる。


「私を好きになってくれたらいい」


「お馬鹿ね。無理に決まってるじゃない。」


「静樹の形になら、なってもいいよ。」


「だから、私はなっこを愛せないのよ。何で、なっこが泣いてるの?」


静樹は、涙を拭ってくれる。


「静樹は、ちゃんと彼を覚えてるよ。ここは、ちゃんと彼の形だよ」


私は、静樹の手を握りしめた。


「なっこ」


静樹は、私を抱き締める。


「無理なのは、私も一緒だよ。静樹を私も恋愛対象には見れない。」


「なっこのここも彼の形ね」


静樹は、私の胸に手を当てる。


「静樹、前に進んじゃダメなんて事はないんだよ。」


「わかってる。」


「彼だって、静樹には幸せになって欲しいと思うよ」


「それは、なっこの彼だって同じよ。それでも、無理なんでしょ?彼が、幸せを願っていたって」


静樹の右薬指にある指輪を見つめる。


「静樹は、これがあるから縛られてるの?」


「そんな事ないわよ。私は、忘れたくないのよ。寂しさに負けて、忘れたくないのよ。祖父母を思い出す頻度が薄れてきた時に感じたの。私は、彼を忘れたくないって…。」


「わかるよ。私も同じだから」


私は、静樹の両頬に手を当てる。


静樹は、その手を握りしめる。


「大丈夫、静樹は、寂しさに負けて彼を忘れない。」


ムニュッと両手で静樹の頬を押した。


「やめてよ」


「静樹のほっぺ気持ちいい」


「なっこ、やめて」


そう言いながらも静樹は笑った。


「もう、大丈夫」


「そうね、本当に」


「寝よっか?」


「うん、化粧落とすわ」


「私も歯を磨く」


私は、静樹と一緒に洗面所に行く。


「はい、これ」


「ありがとう」


私は、静樹から歯磨きを受け取った。


静樹が顔を洗ってるのを見ながら歯を磨く。


「なっこー。何で、そんな顔してるんや?」


「もう、恋なんてしない」


「その後は?何て言うんやった?」


「もう、恋なんてしない。それ以上なんてない」


「なっこ、恋は楽しいもんやで」


静樹は、私を見つめた。


「泣きながら、歯磨いてどうするの?うがいしなさい」


私は、頷いた。


うがいをした私に、静樹はフェイスタオルを渡してくれた。


後ろから、私を抱き締める。


「声も覚えていない、彼の言葉がなっこを苦しめるのよね」


鏡に映った私は、泣いている。


静樹が、私を抱き締めてくれる姿が映る。


「なっこ、俺の事どう思っとる?」


「どうって?」


「利害の一致とかゆうんやなくてって事」


私は、静樹の手を掴んだ。


「どうした?」


「わかんない。」


初めて、静樹の手を掴んだ。


息が、首元にかかった。


「静樹、こんなのした事なかったよね」


「ごめんね、やめるから」


「やめないで」


「なっこ、泣いてるよ」


「このまましてて、彼を思い出せそうだから」


「わかった」


静樹は、私のわがままを聞いて抱き締めてくれる。


鏡に映る私が、どんどん滲んでいく。


静樹は、顔が見えないようにしてくれてる。


会いたい


会いたくて、堪らない。


まだ、身体中が彼のものなのを感じていた。




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