18

 仕事の間は、基本的に桂十郎の側に控えている。表立った護衛ということで、それが主な仕事として割り振られているらしい。

 大総統府の中は比較的安全だ。絶対的な情報網を持つ『天空の語り手』――つまりひわが是とした者以外は入職早々に弾かれるからだ。とは言えそれがには繋がらないという。

 どういうことなのか。気温が上がり始める季節になり、セレンはようやく知ることとなった。


「どうした?」


 第一秘書室の一人がアイスコーヒーを運んで来た所で、その顔色が悪いのに気付いたらしい桂十郎が短く問いかける。顔色だけでなく、冷や汗も出ている。


「体調悪いなら帰って休んで良いんだぞ?」

「いえ、だ、大丈夫、です……」

「無理すんなよ」

「桂十郎さん、待って」


 デスクに置かれたコーヒーを飲もうと手を伸ばす桂十郎を、セレンは咄嗟に止めた。サッとグラスを取り上げ、いつもならろくに飲めもしないブラックコーヒーを一気にあおる。

 その場の全員が驚いたようにセレンを見る中で、飲み終えたグラスを元の位置に置き直し、上を手の平で蓋のように覆う。


「やっぱり……」


 ドロリとした黒いものが手の平から出て来たと思えば、グラスの中に落ちたそれは氷に沿ってゆっくり流れて沈んでいった。一切の光を受け付けないかのような黒さを保ったままで。

 目だけを上げ、コーヒーを持って来たその男を見る。当の男はビクリと肩を震わせた。


「どういうつもり? 毒を仕込むなんて」

「毒!?」


 無味無臭の毒であっても、飲んだ後なら判別が出来る。本来ならば体内で浄化されるそれを、セレンは敢えて吐き出した。

 わざわざ飲んで見せたのは、飲まなければ確信には至らなかったからだ。男の様子に不信感は抱いたが、それが何かまで判断するには何かしらの方法で確証を得る必要があった。

 ガタガタと男が身を震わせ始める。恐怖と絶望に染まりきった表情で。


「も……申し訳、ありません…………申し、訳……」


 震えながら、ただ謝罪の言葉だけが男の口を突いて出る。訳ありのようだが、これでは話を聞くのも難しそうだ。

 そんな男の様子は後目に、桂十郎は立ち上がってセレンの両肩に手を添えた。


「セレンは大丈夫なのか!?」

「あ、うん、大丈夫。取り込んだ毒は今吐き出したので全部だし、そうでなくてもこの程度なら体内で容易に浄化出来るから」

「はぁー…………それでもこんな事は止めてくれ。心臓に悪い」


 深いため息をつき、こうべを垂れる。

 そんなに毒を盛られたのがショックだったのかと、セレンはやや的外れなことを考えた。

 能力ちからの影響があって、フレスティアの者に大抵の毒は効かない。多少なりとも効果があるとすれば、致命度の高いものを大量に飲まされた場合か、寿命間近で能力ちからに余力が無い場合か。

 とにかく今回の毒に関しては、そう危険なものでは無かった。今のセレンの寿命があれば充分浄化出来る程度だ。

 す、と男に視線を向け直す。確か名前は武内といったかと思うが、生憎と大総統府内部の人間についてセレンはそう多くを知らない。どうせ無駄だろうと悠仁に調べさせることもしなかった。

 考える。武内は、何に対してこんなに震えているのか。真っ青な顔、止まらない冷や汗と震え。少なくともひわの目を抜けてここでの仕事を続けているのだから、前科は無い。『裏』の人間との繋がりも無い筈だ。この様子からも、軽率な裏切りとは考えにくい。

 セレンの肩から手を離した桂十郎も、武内に視線を向けた。


「……奥さんと子供か?」

「っ……!!」


 今度は大きく、武内の肩が跳ねた。なるほどとセレンも納得する。

 人質か。

 随分と悪どいことをする者が居るらしい。自ら動かず、他者の手を汚そうとするとは。それも、ターゲットに近しい者を。


「誰」

「ひっ!?」


 思わず声が低く、冷たく、『氷の刃』のそれになる。


「そんな卑劣な手を使うのは、アナタをけしかけたのは、誰?」


 ある程度の情報は、定期的に悠仁から持たされている。不測の事態にも対応出来るようにしておけという聖の言葉あってこそだ。

 注意しておくべき殺し屋をはじめ、情報屋、過激組織、新興宗教などなど。それは桂十郎の護衛に付いてからも継続している。

 人質。確かに自分に有利に動かそうと思うなら、最も有効な手段だ。だがセレンは特にその方法を嫌う。

 震える身体が止まらない武内は、相も変わらず真っ青な顔で、小さく口を開いた。


「…………ゼクス、と……名乗りました」

「『朝霧の霞』の六番手ね」

「セレン、知ってるのか」


 真剣な表情の桂十郎の問いに、一つ頷く。比較的最近の情報にあった『名前』だ。


「戦争肯定過激派の新興組織の一つよ。アインスをトップとして、ツヴァイ、ドライ、フィーア、フュンフ、ゼクス……と続くの。個々の実力は大した事ないって話だけど、特にその上位六人はらしいわ」


 効率的で卑劣な手段。それを選択するには、確かにそれなりの頭脳が必要だろう。何よりまず「適任」を見付けるところから始まるのだ。

 相手は戦争肯定過激派だ。桂十郎の治める世はそれまでの代に比べ随分平和であり、それが気に入らないのだろう。

 だが殺そうとしていたにしては毒の質に疑問が浮かぶ。随分と弱い毒だった。恐らくは多少身体を痺れさせるだとか、その程度。後遺症も残るような物でも量でも無い。


「毒は、ゼクスが用意したの?」

「わ、渡されたものはありますが……それは使えず、別のものを……」

「なるほど」


 単純な話。殺せなかった。どうやらただそれだけのようだ。

 一通り聞いていた桂十郎が、スっと遊亜に視線を向けた。


「『天空』に連絡。それからお茶会ティーパーティーだ」

「分かった」


 すぐに遊亜が動く。

 お茶会ティーパーティー……こんな時に、まさか本当にただお茶をするなんて事は無いだろう。何かの隠語だとは思うが、何なのか。

 この時のセレンは、まだその『お茶会』に自分まで参加することになるとは、それがどういう場で、どういうことなのか、分かっていなかった。

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