17

 この日訪れたのは、水族館だった。こういう場所に初めて来た、とセレンは大喜びで桂十郎の腕に抱きつく。そもそも主に金の問題で、聖や海斗とすらまともに出かけたことが無い。

 まともな服を着ていれば、大人に見えるセレンと若く見える桂十郎は普通の年若いカップルにしか見えないのは都合の良いところだ。

 少しすると、人が多いにも関わらず、やけに歩きやすいことにセレンは気付く。人の少ない方に誘導され、時にはぶつからないよう庇われている。しかも会話も途切れさせず、セレンも意識しなければ気付かなかっただろう。紳士的なその行動一つ一つが随分と自然で慣れた様子だ。


「桂さんって、今までの彼女ともこういう所に来たの?」

「えっ? どうした急に? 彼女とか居たことないけど」

「え?」

「え? あ……」


 ふと気になって聞いただけ。それなのに、予想外の返答だった。慣れ具合から、ある程度経験があるのかと勝手に思っていたのだが。

 確か彼の歳は、三十過ぎだった筈だ。それなのに、これまで恋人の一人も居なかったということだろうか。端正な顔立ちで、頭も良く、こんなに紳士的に振る舞える人が?

 疑問符ばかりがセレンの頭に浮かぶ。選り好みしなければ誰でも選り取りみどりだと思うのだが。

 初めてなのか。全てが。じわりと頬が熱を持つ。


「……クロード?」

「!」


 突然の呼び声に、浸っていたセレンはハッと振り返る。驚いたような表情でそこに居たのは、確かに知った顔だった。


「あぁ……佐藤君」

「こないだ学校辞めたって聞いたけど、こんな所で何を……」


 元クラスメイトの佐藤少年。

 大総統府での、桂十郎の護衛という仕事が決まってからセレンは早いうちに学校を自主退学した。裏で色々手回しがされていたようで、高校卒業までの証明はされているのだが。

 ふと視線を向けると、佐藤の後ろにはこちらを見る家族連れが居る。恐らくは彼の家族だろう。母親の傍にくっ付いている少女は佐藤の妹か何かだろうか。


「知り合いか? セル」

「うん。元クラスメイト」


  声をかけてきた本人のことは知っている。する必要は無いので家族構成などまでは知らないが。

 そのやり取りに、佐藤が不思議そうに首を傾げた。


「え? 『セル』?」

「何って……デートだけど」

「え? えっ、じゃあその人、彼氏……?」

「そうだよ」


 名前のことなど彼に話す必要は無い。無視して先の質問に答えると、佐藤は更に驚いたように目を見開いた。

 関係、というと何と表現すべきか分からなかったが、「彼氏」と言うなら現状はそれが一番適切な表現なのだろう。それがどうかしたのかと首を傾げる。何故か落ち込んでいるらしい佐藤の様子も、セレンにしてみればさっぱり意味が分からない。

 考えていると、くい、と肩を抱かれた。


「残念だったな、坊主」


 先程までのセレンに対しての紳士的な態度は何処へやら、顔を上げて見ると、挑戦的な、挑発的な笑みを佐藤に向けて桂十郎はそう言う。

 何が「残念」なのかは分からないが、桂十郎が言うのならなのだろう。


「行こうか、セル」

「はい、桂さん」


 呆然と言葉を失くした佐藤が何も言わないのを「話は終わった」と解釈し、そのままセレンの肩を引いて歩き出す桂十郎を彼女は嬉々として追った。

 その先に、偶然なのか何なのか、青水の姿を見る。彼は彼で「マジかお前」というような顔をこちらへ向けていた。

 こちら、と言うよりは、桂十郎へ。

 そこに青水が居ることに気付いたのか、桂十郎も「よぉ」と片手を上げながら歩み寄る。


「東間青水、こんにちはー」

「やあ、エミルさん。こんにちは」


 にこりと笑う表情は紳士的でもあるが、相変わらず格好は黒ずくめで不審者極まっている。

 だがまあ、そんな事はどうでもいいことだ。今、彼は敵ではない。その事実だけあれば、何も問題にはなり得ない。


「長いから呼ぶの面倒くさいな。青水さんっていうのも言いにくいし、青ちゃんって呼んでいい?」

「好きにすればいい」

「ちょっと! 青ちゃんって呼び方僕と被るんだけど! 変えてよ!」


 フルネームは長い。そう思った提案に、当の青水はあっさりとした返事を返したが、彼の向こうから現れたひわがまた吠え始めた。大体セレンを前にすると怒鳴っている気がする。


「ひわ君も居たんだ。こんにちはー」

「呼び方なんて『東間』で良いじゃん!」

「それだと風君の名前とも被るし、好きにしていいって言ってくれたもん」

「ムキー!」


 本気で怒っていれば、こんな可愛らしいものでは済まないだろう。何だかんだ、『敵』という認識では無いようで安心した。

 落ち着いて、とひわを宥める青水に「やっぱり殺していい?」なんて聞いては「今殺すと大総統府を敵に回すことになるぞ」なんて言われている。敵では無いが不快ではあるらしい。何がそんなに気に入らないのだろう。

 こうして手綱が握られている限り、セレンが大総統府に居る限りは襲撃される心配は無いのだろうが、かと言って嫌われているらしいのをそのまま享受するのは少々寂しいものがある。出来れば仲良くなりたい。


「で? お前は何をそんな失礼な顔で人を見てたんだ?」

「いやだってお前……あんな年端もいかない少年相手に……えげつない」

「そうか? 優しい方だろ」

「そういう所だぞ」


 プンスカと怒っている様子のひわにニコニコと笑顔を向けていると、桂十郎と青水は何やら別の話をしているようだった。何の会話かは分からないが、楽しそうだから良しとする。

 その会話を聞いていたひわも「優しい?」と顔をしかめていた。


「ねぇ、桂さん、何の話?」

「セルは分からないままで居て欲しいかなぁ」

「えー」


 クイクイと袖を引いてみたが、苦笑とともにはぐらかされてしまった。こういう所は子供扱いされているということなのだろうか。

 今日の「名前」はセルというのか、という青水に笑顔で肯定を返す。その言葉が本名のことを知ってか否かはともかく、彼自身にもそれ以上詮索するつもりは無さそうだ。

 むしろ教えてもらえていないのか、自分の持っていた「情報」との相違があるのが気に入らないのか、ひわが不快感を顕にした。

 そういえば、青水と対峙した時には思い切り能力ちからを見られてしまっていたのだった。逆にひわや他の『羊』達の前では、誤魔化しの効く程度の能力ちからしか使っていない。能力ちからのことが分かれば、情報屋ならば自ずと一族に辿り着く。

 なるほど、そういうことか。

 仲間内であろうと極秘情報は安易に漏らさないらしい。随分と信用に足る者達だ。

 まだ長いとは言えない人生ながら、色んな人達を見てきた。その中で最も信用出来るのは、彼らのような、ある意味者達なのかも知れないと思った。

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