09

『氷の刃』は、受けた依頼は必ずこなす。故に初めから無理だと分かりきっている依頼は受けない。

 今回が正にそれだった。

 正面から歩いて来る、見た目不審者の二人組を見ては鈴を鳴らす。一方は世界大総統、一方は暗殺仕事の多いよろず屋のリーダー。

 互いに姿を確認出来ると、桂十郎が片手を上げた。挨拶ではない、誰かを止めるような動作だ。先日『B・リリー』を始末した者と考えるのが妥当だろう。

 なるほど、少なからず動揺しているらしい。少し考えれば分かることだった筈だ。確実な死を望むのなら、背後から奇襲をかけるべきだった。そうすれば死を認識する前に殺してもらえていただろう。


「話が出来る状態では無さそうだな」

「……」


 まあ、護り手には殺してもらえずとも問題ない。流石に桂十郎を殺そうとすれば、青水だって返り討ちにしてくれる筈だ。

 実際に殺しはしない。依頼は来ているが受けていないし、何よりそもそも殺せない相手だ。何も考えず本気で行けば、誰かしらが殺してはくれる。

 復讐が成せていないのに死を望むのは簡単な理由だ。愛してしまったから。自分に価値を見出せないのなら、人を愛する資格なんてあると思える筈がない。そうなると、もう生きていてはいけない。

 元々、死ぬ時は一人でと思っていた。海斗からも悠仁からも、聖からさえ離れて、猫のようにひっそりと。


「…………っ、」


 袖から苦無を出すと、一歩前へ出た青水もコートの中に手を入れた。投げて、それを弾かれるのを見ながら地を蹴る。

 至近距離になると、青水が振ったナイフが首元を掠めた。その拍子にネックレスの鎖が切れて石が落ちる。

 もう少し深ければ死んでいたのに。何故だか分からないが加減されているようだ。もしかして、事前に桂十郎に何か言われていたのだろうか。

 だがそんな思考は今は不要。ただ戦うだけ。一刻も早く殺してもらえるように。

 先程から青水の攻撃は、掠りはするが本格的に急所を狙ってきてはいない。何かを長考しながらでもあるようだ。


「……試すか」


 ポツリと小さな呟きが聞こえた直後、アイスの手足にワイヤーが巻き付いた。


「せい!?」


 慌てたような桂十郎の声が届く。このワイヤーは恐らく、アイスの扱っている斬鋼線と似たようなものだろう。動けば肉も骨も断たれてしまう類いのもの、といったところか。

 だとすれば、願ったりだ。ぐっ、とまずは自分の腕を引き裂こうと動かすと、ワイヤーはアイスの身体をするりと抜けた。


「! 石が……」


 ネックレスに着いていた石は、能力ちからを制御する為のもの。これを外した状態では物理攻撃は通らない。

 なるほど、と納得した様子になった青水は、まるで何かを知っているかのようだ。同時に、以前エミルを相手に「の一族」と言った弦月からは何も聞いていなかったと取れる。

 するりとワイヤーを抜いて仕舞った青水は何かに満足した様子だ。逆にアイスにとっては不満しかない。

 こうなれば、能力ちからが無くなるまで殺し続けてもらわなければ。彼はそこまで相手をしてくれるだろうか。

 攻撃を続ける。思考が歪んで、薄れていく。早く終わりたい。終わらせて欲しい。それしか考えられなくなっていく。


「お願いだから……っ」


 声が震える。ドクドクと心臓が脈打ってうるさい。苦しい。


「お願いだから、早くこの『』を終わらせて……!」


 早く、殺して。

 左の腰から剣を抜き、アスファルトを、壁を蹴って、側にあった木の上に立つ。枝を蹴り、桂十郎に向かってまっすぐ剣を振った。




──その剣は、桂十郎を掠めることもしなかった。そして誰も、その結果が分かっていたかのように、アイスを止めることも攻撃することもしなかった。




 彼の横を抜けた剣は見送られすらせず、そのまま飛び込んできたアイスを桂十郎が全身で受け止める。

 抱き締められたまま、動けなくなったアイスの身体が小刻みに震える。


「……何で、殺してくれないの……」


 顔を上げたアイスは──泣いていた。

 これまではどんなに泣きそうに表情を歪めても零れなかった涙が、彼女の大きな目から溢れては零れてくる。


「あたしに、アナタを殺せるわけがないじゃない……!!!」

「! アイス!!!」


 ぐいっと桂十郎の胸を押して離れ、アイスは握ったままだった剣を自分の胸に突き立てた。

 寸分違わず、心臓の位置に。

 もうこれ以上、誰のことも傷付けたくはないから。罪深い命は、自分で終わらせる。

 大きく見開かれた目で自分を見ながら表情を歪める桂十郎の姿を最後に、ゆっくりと意識を手放した。











 初めから、こうしていれば良かった。

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