12

 花屋を閉めて家へ帰った聖は、気配を隠す気も無いらしいを招き入れる為に玄関へと戻った。引き戸を開き、その向こうの笑顔にひとつ会釈する。

 客間へ促し、茶を淹れては自分も相手の向かいの竹で編まれた座椅子に座った。

 相手の素性は、まだ聞いていない。名前も年齢も職業も、別に大した問題ではないのだ。この人物は、何か自分に用があるらしい。家に招き入れる理由なんて、それだけで良かった。


「必要なら茶菓子も出しますが」

「結構で御座います」


 にも負けずとも劣らないきれいな笑みを向けられれば、それ以上言うことは無い。ただ黙って先を促した。

 一拍置いて、目の前のその人物は狩衣の袖から小箱を取り出してテーブルに置いた。プラスチックと思われる透明の蓋の下に、見覚えのあるものが鎮座している。


「お聞きしたい事が御座いまして」


 なるほど、聖にとってはこの上ない『報酬』だ。つまりこの人物は、聖のことなどとうに調べ尽くしているということだろう。


「子供たちを売るような内容でなければ、何なりと」

「その点は御安心下さいませ」


 自身の前に置いていた茶を取り、一口飲む。差し出しているそれに相手が手を付けないのも想定内だ。

 湯呑をテーブルの上に戻すと、相手は閉じたままの扇子を口元で揺らした。


「『氷の刃』の所に入る、世界大総統閣下の暗殺依頼についての詳細を」

「仕事のことを口外しろとおっしゃるので?」

「どうせ受けない依頼で御座いましょう?」

「なるほど、確かに。売るのはではない」


 互いに顔色ひとつ変えないままでのやり取り。一方は微笑み、一方は無表情。

 自らにも、自らの大切な子供たちにも直接関わらない内容について話せと言う。そして確かにそれは、愛娘が懇願しないかぎりは受けることのない、いつまでも手元で温めておく必要など無い情報だ。

 懐から携帯を取り出し、聖は操作を始めた。間もなく、それを差し出して画面を見せる。今来ている、世界大総統関連の依頼、その依頼主の名前の羅列。


「個人的な私怨や逆恨みから組織的なものまで、挙げればキリがない。古いものはとうに消してしまっているので、これは直近の半年ほどのものです」


 既に断っている依頼も、同じものが来る可能性があるのでしばらくは置いている。そのほんの一部だ。名前をタップすれば依頼内容の詳細も見ることが出来るようにしてある。

 画面を見る相手は当然のようにそれを手に取りスクロールしていく。

 少し後、全て見終えたらしい相手は最初と変わらずにこやかな表情で礼を言って携帯を聖に返した。

 帰るその人物を玄関まで見送りに行く。


「ところで、御仁」

「はい?」

「まだ名前を伺っていませんが」


 今更と、第三者が居れば言うかも知れない。知っていて話をしていたのではないか、と。

 勿論、聖としても全く検討もつけていないわけではない。だが情報が無い以上は確定要素も無いのだ。

 害意が感じられなかったから、そのまま話を進めた。ただそれだけ。

 これは失礼、とその者は鈴を転がすように笑った。


「我は『おんじ』で御座います。宜しいでしょうか、『暁の鳥』さん?」

「ええ」


 それでは、と去って行く相手──『おんじ』を、その背まで見送ることは無く聖は家の中へと戻っていく。

 以前、話の端に出て来たことがある。その時アイスに依頼された人物に関わる『Sleeping Sheep』の、そのバックに着いている大物。それが『おんじ』。確か名前は、御厨弦月。

 客間に戻った聖はまた座椅子に座り、足を組む。

 彼は、聖が殺し屋をしていた現役時代の呼び名で呼んだ。当時誰かに顔を見られたことは無いし、引退して長く、最早誰からも忘れられているのではと思われる程に話題にも上がらなくなった名で。

 そして、『おんじ』が『報酬』として置いて行った物。箱ごと手に取った聖は、懐かしそうに目を細める。

 そこに入っているのは、本来一対であるはずのピアスの片方だけ。決して派手ではなく落ち着いた輝きを放つそれは、丁寧に手入れされているようだった。

 懐に手を入れ、手のひらの半分ほどの大きさの巾着を取り出す。その中からコロリと出てきたのは、そのピアスのもう一方。かつて愛した女性の遺品だ。お気に入りだと笑っていた。どこかで片方失くしてしまったと俯いていた。彼女のコロコロと変わる表情のひとつひとつが、鮮明に思い出される。


「……お帰り、朔羽さくは


 小さく告げる聖の表情は、先までの無表情が嘘のような、ひどく優しく、そして物悲しい微笑みだった。

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