11
深入りしないで欲しい、と先日確かに言った筈なのだが。学校での「友人」に連れられて来た人物を見て、エミルは一瞬表情を崩した。
授業が終わった放課後。今日は「用事」まで少し時間があるからと、誘われるままに女子テニス部のヘルプに入っていた。ヘルプと言っても、ただ何人かと打ち合うだけだ。
その途中、担任に呼ばれていて遅くなったという一人の女テニ部員が、部活に来るなりエミルを呼び出した。何だろうかと近付いてみればそこに居たのが桂十郎だったのだ。
「よ、エミル」
「桂十郎さん、人の話聞いてた?」
「ちょっとお茶するくらい良いだろ」
確かに、深入りさえされなければ関わりそのものを断つ必要までは無い。屁理屈ではあるが正論だ。
苦笑して、エミルはラケットを傍に居た部員に渡す。
「ごめん芽依ちゃん、今日は帰るね」
「えーっ! アタシともラリーして欲しかったのに! カレシ優先かコノヤロー」
「えっ、カレシじゃないよ!?」
勘違いされて慌てて両手を振るエミルに、部員は「冗談だって」と笑った。全く、女学生はいつの時代もどこに居てもこういう話題が好きなようだ。
帰るの? と他の部員達も集まってくる。長身なエミルは皇の女子高生達の中では頭半分飛び出しているが、だからといって浮いている様子は無かった。相変わらず、大人っぽい見た目に対し幼く愛らしい笑顔。
すぐにテニスウェアから制服に着替えて来たエミルは、桂十郎と一緒に学校を出た。
いつもの雑貨屋ラピュセルがすぐ近くになると、ふとエミルは足を止めた。店の前に誰かが居る。
小さな顔に不釣り合いに大きな色の濃いサングラスをかけ、白杖をついた少女。盲目のようだ。足元の点字ブロックは店の前のそれが点状ブロックになっているわけではなく、それまでともそれ以降とも変わらず線上ブロックなのだが。
「あやちゃん?」
「! エミルちゃん?」
ぽつりと零したエミルの呟きに、少女がぱあっと口元を綻ばせて振り返る。
「ちょうど良かった、エミルちゃんに会いに来たの。前に連れて行ってくれたお店の場所が正確に思い出せなくて」
「だからじっと立ってたんだ。大丈夫だよ、場所、合ってたから」
「ほんと? 良かった」
ホッとしたように息を吐き出す少女は、エミルより頭一つ分小さい。
この店にはよく人を連れて出入りするエミルだが、自宅や、養父である
にっこりと笑いながら少女を中へ促すエミルは、店のドアを開け少女が入るのを見送ると、次に桂十郎に視線を送った。先客を追い出すつもりは無い。
「悠仁〜、紅茶二つとコーヒー一つお願い」
「おお。また珍しい面子で来たな」
声をかけるのにエミルがレジカウンターの方へ行っている間に、奥のカフェスペースに入った少女が振り返って桂十郎に頭を下げた。
自己紹介をする、彼女の名は
彼女の方へエミルが戻ると、どういうわけか少し俯いた。
「それで、あやちゃん。あたしに何か用事だったんだよね?」
「あ、うん……えっと……」
言葉を濁す菖蒲は随分と話しづらそうで、ちらりと桂十郎を見やったエミルはそっと彼女の手を取った。
「人の居ない所で話そっか」
「うん」
「ごめんね桂十郎さん、ちょっと待ってて。悠仁、奥借りるよー」
それぞれに声をかけ、そのまま菖蒲の手を引いてバックヤードに入る。いつも裏から入った時に座るソファのある部屋だ。そこに居た海斗にも席を外すよう言えば、これでエミルと菖蒲は二人きりとなる。
ソファに座るエミルとは対称的に、菖蒲は立ったまま小さく肩を震わせていた。
「あやちゃん?」
「あの……あのね……」
声も震えている。彼女がこうなる原因に、エミルはひとつ、心当たりがあった。
盲目の菖蒲は、人より音を聴き取る力に長けている。一声でその相手が誰かを認識出来るくらいに。
「エミルちゃん、昨日……学校、行ってた? お昼過ぎ、とか……」
「……。午前中は学校に居たけど、お昼過ぎなら用事があって早退した後だね」
「っ……」
遭遇してしまったのだ。昨日、昼間、まさに「仕事」の真っ最中に。気付いたのは、最後に絵を残す為に対象の腕を斬り落とした時。
絵を描き終え、鈴を鳴らしてから、僅かな時間だけ彼女に近付いて耳打ちした。
──『大人しくしてないと、目以外も効かなくなるわよ』
声色は変えているとはいえ、彼女は気付いてしまったのだろう。そして確認しに来たのだ。
さて、どう対応したものか。ここで同一人物として繋げられるのは困る。相手は一般人の少女なのだ。
『氷の刃』は、受けさえすれば一般人の女子供であろうと必ず依頼を遂行する。だが依頼料はその他の殺し屋達のような値段ではない。そもそも安価とは言えない殺し屋稼業で、特に大きな金額を要求するのが『氷の刃』という殺し屋なのだ。
つまり、一般人を対象とした「仕事」自体がそうそう入るものではない。何より、例え「仕事」であっても、情を抱いてしまった相手を殺すのは容易ではない。
依頼さえあれば遂行はするだろう。それでも傷付かないわけではないのだから。
「あのね、あたしは別に、彼女のすることを、肯定するわけじゃないの」
「エ、エミルちゃん……?」
「ただ彼女が居ないと、あたしは生きてもいけない。だからあやちゃん、その話、無闇に外でしないでね」
いつもの無邪気さがなりを潜めたエミルのその様子を、その声を、菖蒲は初めて聞いたわけではない。だけど、前に聞いたそれとも何処か違う。
「昨日の話、誰かから聞いて……?」
「彼女はあたしの影だから」
先日桂十郎に言ったのと同じ言葉を告げて、エミルは黙った。それ以上言うことは無い。
同じ「自分」という存在を、『エミル』と『アイス』という存在に分けて扱う。難しいことだ。だけど、必要なこと。
「分かった。わたし、エミルちゃんのこと、信じてる」
「……」
彼女の目が見えなくて良かったと、心から思った。今きっと、自分は泣きそうな顔をしているだろうから。
信じられても、応えることが出来ないから。
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