2日目。
6話、仕事をするために遊ぼう!
***
目を開けると、美術館みたいな場所に立っていた。目の前には、俺の提出したエントリーシートや履歴書が壁一面貼られている。総合計は200枚以上だと思うが、正確な数は覚えていない。覚えたくなかったからだ。
紙の上には明朝体で印字された志望動機や、学生時代に頑張ったこと、自分の強み、大切にしていることなどがあった。送る対象は大企業を中心に、中小も少々。
その8割くらいはこのエントリーシートで落とされた。そんなもんだろうとは思う。
残る2割のほとんどは、どこかの面接過程で落とされた。最終面接に残ったのはたった1社――その会社に出したエントリーシートに徐に触れる。
持てる全てを出し切ったが、結果は不合格。そんな悪夢の様な現実が蘇った。今もお祈りメールを受け取った時の気持ちを覚えている。
そして、後で聞いた話だが――。
「よう、リチカ」
肩を叩かれる。後ろを向くとクラスメイトが立っていた。俺よりも優秀な奴だった。
――そう、こいつだった。
最終面接で選ばれたのは、俺ではなく、こいつだった。
「最近どうだよ」
俺は、逃げた。
合わせる顔がない。いや、合わせたくない。俺は今、どんな感情でお前と会話をすれば良いのか分からないんだ。
みみっちい悩みだ。そんなことは分かっている。分かっていても割り切れない。割り切れるのなら、今ここで逃げていない。
それに、お前が選ばれたことで俺は、より無能さを骨身に刻まれた感覚がするのだ。お前は悪くない。悪くない。悪くないのだが――どうにも、湧き上がる感情に栓をすることができない。
するとそのクラスメイトに肩を掴まれる。物凄い力で掴まれたので思わず脚を止めてしまう。何だよと後ろを振り向くと、いつの間にかそいつの顔は最終面接のあの面接官の顔にぐにゃりと変わっていた。
「志望動機を、教えて下さい」
「っ、ああああああああああああっ!!?」
肩を掴む手を振り払う。逃げる。逃げる。しかし、このエントリーシート美術館には終わりがない。
逃げても逃げても、出口は無い。
まるで現実のようだった。
「貴方の強みを、教えて下さい」
質問をしながら面接官が追いかけてくる。手と脚を滅茶苦茶に動かしながら。それは人間の動きじゃなかった。
俺は逃げる。追いつかれるのが時間の問題だとしても逃げる。
逃げ――。
『逃げるな』
親父の声が、美術館の遥か上空から聴こえて来た。思わず脚を止めてしまった。瞬間、腕を何十本にも生やす異形と化した面接官が俺の肩をぐいと引き、背中から地面に叩きつけた。
仰向けにさせられた俺の視線の先には、親父と面接官とクラスメイトの顔が破茶滅茶にコラージュされた笑顔があった。
歪な口を開いて、ソレは言った。
『逃げるな』
うるさい。
『逃げるな』
うるさい、うるさい。
『逃げるな』
何で逃げることを否定されなきゃならないんだ。
『逃げるな』
傷つくのが怖くて、逃げたっていいじゃないか。
『逃げるな』
人間は、生物は。生きるためにこの逃走本能を身に着けたんじゃないのか。
『逃げるな』
大体、そちらから拒んでおいて何故引きずり込むのだ。
『逃げるな』
そちらが拒むならこちらから願い下げだって言ってんだよ。
『逃げるな』
無理矢理引きずり込んで、まだ俺を傷つけたいのか。
『逃げるな』
優秀なクラスメイトをとっただろうが。無能な俺なんか、必要ないだろうが。
『逃げるな』
なあ、どうなんだよ。一辺倒ばかりの言葉だけじゃなくて、俺の言葉に答えてくれよ。
『逃げるな――』
質問ばかりしやがって。詰問ばかりしやがって。
俺の言葉には、誰も耳を貸してなどくれないのか――くれないだろうな。
社会とは、現実とは、そういう場所だから。
***
……。
考え得る限りの最悪な寝覚めだった。流石は夢、容赦も現実性もありはしない。
1日目のバイトを終えて昼まで寝て、大学の授業を受けて買い物をして。帰って寝たらこの有様か。暫く睡眠でも止めてみようか。どうせできないけれど。幻覚と幻聴に苛まれながら発狂するのがオチだ。拷問と言う名の歴史がそれを証明してくれている。
雑念を忘れるために雑事をこなしてから、箱庭商事での夜間警備アルバイト2日目の夜がやって来た。寝覚めは最悪だったが、今から来るアルバイトはとても楽しみだ。きっと誰かが今の俺を見たら「やけに楽しそうだな」と言うだろう。それは『癒しの幽霊』――幽海ちゃんに癒されているからだ、と人は思うかもしれない。
だけど、逆だ。
俺は幽海ちゃんを癒したい。
元々癒されたいと思っていたが、可愛い反応と楽しい会話があるだけで十分だ。それにあの子が喜んでくれると、とても嬉しくなることを自覚した。喜んでもらえるためなら、俺は何でもしてあげようと思う。
それが今俺にできる最大限のことなのだから。
最早見廻りと幽海ちゃんへの癒し、どちらが仕事なのか分からなくなってくる。いや見廻りなのだけど。社会をなめんなよ。なめたら襲い掛かるのは、猫パンチではなく鉄拳制裁だ。
とはいえ喜んで貰う為といっても、俺だって無茶はしない――無茶をすることをあの子は望んでいないからだ。幽海ちゃんが原因と思しきことで俺がぶっ倒れたら、きっとあの子は自分を責める。引いては、俺自身にもダメージが行く――俺の癒しから遠ざかってしまう。それだけは絶対に避けたかった。
だから言いつけを守ってちゃんと合計6時間寝てきたし、無理のない範囲でお菓子作りの材料を買ってきた。
卵にアーモンドパウダー、チョコレートに生クリームに、それからグラニュー糖。アーモンドパウダーが中々見つからなくて骨が折れたが、どうにか見つかった。
お菓子を作るのは、大学の授業と人間の生活をこなしながらでは難しい。想像通り、俺の体力の方が大学の授業と買い物だけで限界を迎えた。
だから今日は色んなお菓子を買ってきた。手作りは明日のお楽しみ。
ついでに。
「これなら、きっと楽しんでくれるだろ」
遊び道具を持ってきたのだ。
喜んでくれるかは分からないけど、気晴らしくらいにはなってくれればいいなあ、とそんなことを思いながら――。
『――為すべきことから逃げているだけだろう、お前』
「……分かってるよ」
親父の言葉がフラッシュバックする。あんな夢を見たせいだ。
しかし、そうだ。俺は逃げているだけだ。じゃなければ、こんな深夜のアルバイトなんてしていない。
幽霊に癒されようとするなどという、気の触れた行動をする筈がない。
「分かってるけどよ……」
誰に向けて言ってんのか分からない文句を垂れそうになったけど、もうそこで終わりだ。嫌なことはずっと思っていると消耗するばかりだからな。
逃げる。逃げる。逃げるぞ。
ゴミ箱に投げ捨てた紙屑から。就活情報に毒されたPCから。何より、この現実から。
社会的に為すべきことをさておいて、俺は、今の俺が為すべきことをする。
息を短く吐いて、リセット。
準備は終えた。
よし。
アルバイト2日目、スタートだ。
~~(m-_-)m~~(m-_-)m
「りっ君~~~!!!」
箱庭商事に入るなり、幽海ちゃんが声を上げる。
両手を広げながら、相変わらず幽霊なのに足を律儀に地面につけ、ひたひた駆けて来た。
「幽海ちゃん!」
「ちゃんと元気そうだね!」
「当たり前だろ? 約束はこの身に代えても守ってやるからな!」
「……それ、本末転倒じゃない!」
「バレタカー」
「棒読みなんですけどっ!? 本当にちゃんと寝たんだよね!?」
「ネタヨ。6ジカンモ、ネタヨ」
「……まあ、そんな雰囲気なら本当なんだろうけどさ。りっ君、嘘はつかなさそうだもん」
微笑む幽海ちゃん。うん、何かそこまで信頼されるとむず痒いものがあるな。嬉しいけど、照れ臭い。『善良で勤勉な大和男子』というフレーズも信じている辺り、物凄く純粋な子なんだろうなあと思う。
さてと、御戯れはここまでにして。
「じゃあ、今日も遊ぶとするか!」
「おー!」
心ゆくまで存分に、癒されていくと良いぜ――そう思いながら背負ってきたバッグをどかりと床に置く。
「……とはいえだ。俺も仕事で来ているからな。流石に見回りをしないのは俺の信条に反するし、雇い主からの心象も悪くなる」
「うんうん」
「だけど、俺は遊びたい」
「滅茶苦茶だね!?」
否定しない。でも事実、仕事はしないといけないし、幽海ちゃんを癒したい。
だからこうするのだ。
「というわけで――今からトランプで遊ぶぞ!」
「何が『というわけで』なの!?」
「まあまあ」
それはこれから説明しよう!
「トランプなら幾つかゲームは知っているからな。それを何回か遊ぶことにしよう。知らないゲームなら俺が全部説明してあげるしさ。勿論飽きたら別のゲームをしてもいい。大量に持ってきたからな」
パンパンに膨らんだ鞄を、ぱんぱんと叩いて言ってやった。
「でも、お仕事は――?」
「幽海ちゃん、目の付け所がシャープですな」
某家電メーカーの如く――いや、何でもない。もうこの適当さは直らないからご容赦願いたい。誰に言ってんのか知らんが。
「え、えへへ……そうかな?」
そして嬉しそうに照れる幽海ちゃん。可愛い。
……失敬、話が逸れまくった。
「そこで、ゲームをして負けた方が見回りに行くのだ!」
「……お、おお~!」
いわゆる罰ゲームってやつだ。ま、労働なんて神様から与えられた罰みたいなものだし。旧約聖書にそう書いてあった気がする。知らんけど。聞き齧ったことしかないから薄味くらいにしか覚えていないのだ。
しかしこれなら、遊びながら仕事にも向き合える。そういう意味で、最高の措置とは言えないだろうか?
「さて、幽海ちゃん――」
俺は、トランプの束を床に置いた。
「尋常に勝負だ!」
「の、望むところ!」
正座の姿勢のまま着地した幽海ちゃんと、対峙する。
その顔はわくわくに満ちていた。
~~(m-_-)m~~(m-_-)m
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