箱庭商事の幽霊ちゃん!
透々実生
1日目。
1話、幽霊とのかいこうっ!
***
逃げるが勝ち、と或る人は言った。誰が言ったかは問題ではない。誰かが言ったということが重要だ。
今、その『誰か』の胸倉を掴んで確かめてみたいものだ。
アレは嘘なのか、と。
現実世界では、人は逃げることを許してくれない。立ち向かって、ボロボロになっても歯向かって、勝てば官軍負ければ賊軍。闘争せず逃走すれば、勝負以前の問題である、と。
何故だ。
闘って傷つくことが美徳なのか。傷は戦いの勲章だと、そう言いたいのか。
傷つかない方が良いに決まっている。わざわざ傷つきに行くなんて、阿呆以外の何者でもない。
一度負傷してから、一層そう考える。
一度負傷したから、なのかもしれない。
――そんなことを思いながら、地面も壁も天井も真っ暗闇に塗り潰された空間を、おっかなびっくりただ駆けている。平衡感覚が狂う。不安で、仕方がない。
『逃げるな――』
四方八方から、親父の声が聴こえてくる。四面楚歌ってヤツだな。
『いつまでそうフラフラとしているつもりなのだ。そんな軟弱な息子に育てた覚えはない』
……そんな息子に育てられた覚えもねえよ。
『お前の為を想って言ってるんだぞ。良いか、兎に角動いて良い位置を奪い取らねば、一生抑圧され、敗北し続けるのみだ』
言わんとするところは分かるよ、親父。
だけど、俺は――。
***
ピピピピ。ピピピピ。
「……っ、ん」
喧しい目覚まし時計のアラーム。うるせえ、と思いながらボタンを押す。
時刻は午後10時半を指していた。
ってことは、えーと……4時間は寝られたか。まだ少し寝惚けてるらしい、計算スピードがいつもより緩やかだ。
堪えきれずに欠伸を1つ。涙を拭きながら冷蔵庫で冷やしておいたお手製のプリンとプラスチックスプーンを手に取る。ラップを外してビニール取って、両手を合わせ「いただきます」。
ほんのり甘く黄色いお菓子を口に含めば、心地よい冷たさがスッと広がる。眠気眼が醒める気がした。
自分で作ったものはやっぱ美味い。
自画自賛は惜しんではならない。惜しめば、人生というのは底知れぬ闇だし、病みだ。
……。
……。
……美味いな。
プリンの美味さで、さっきの悪夢を忘れようとする。しようとするだけで、出来ないんだけども。美味さで舌鼓を打ったのに、苛立ちで舌打ちをする。最悪な気分だ。
…………美味い。
本当に、美味いなあ。
……。
……クソッ。
……。
……だけど、まあ。これから始まる短期バイトで、その苛立ちも少しは晴れるだろう。仕事をしている、という小さな事実で自分を慰められるから。
そしてもう一つ――。
「っと、やべえ。そろそろ支度しねえとな」
バイトに遅れちまう。ギリギリまで寝てしまったからな。初日から遅刻したら俺の計画も面目も丸潰れだ。
スマホに入った着信履歴を無視して、適当なあり合わせの服を適度に選ぶ。どうせ、向こうに行けば制服が支給されるから関係ない。あとは最低限の持ち物を確認して、リュックに詰める。
よし、行くぞ。
自分の心を癒す
~~(m-_-)m~~(m-_-)m~~(m-_-)m
――この会社には、
短期の夜間警備アルバイトの引継ぎのため、前任者の男性からたんまりと退屈な話を聞かされていた俺の耳に、ふと漏れ出た言葉が入った。
何がですか、と9割察しながら訊き返すと、幽霊だよ、と前任者は答えてくれた。
今から夜間警備を勤める会社、『
いつからか、黒く長い髪の毛の女性の霊が現れるというのだ。出現した原因は一切不明だ。
ラップ音が無意味に響き。
不慮の事故が起き。
果ては、不審死。
会社は、徐々に恐怖に蝕まれ――。
ということが、
むしろ、数少ない
夜遅くまで残業すると、いつの間にか夜食が置かれていたり。幽霊手作りのほかほかおにぎりに、湯気の立ったお茶。これがまた美味しいのだとか。
ある時には、勝手に必要な資料が印刷されていたり。どうやら仕事の手伝いをしてくれているようで、しかもそれが的確と来た。
幽霊と話したという人も。すごく落ち着く声で癒されるとのこと。
ここまででも十分とんでもないが、これが仕事の進捗に一役買っているとかで、むしろありがたいと思っているらしい。
……この会社、色々頭が大丈夫だろうかと思うが、俺も人のことは言えない。
そう。何を隠そう、俺はこの幽霊に
期間は3日と短いものの、幽霊と会えるのかと思うとドキドキワクワクしていた。遠足前の小学生か。
いや、仕事は仕事だ。ちゃんとやる。制服、帽子、腰に差した懐中電灯――準備万端だ。
まあ、仕事は主目的ではない。幽霊には癒される方が優先だ。そのためにも、ちゃんと仕事はしねえとな。
我ながら
~~(m-_-)m~~(m-_-)m~~(m-_-)m
ビルの中は、不気味だった。
箱庭商事は近年ブラック企業に名を連ね、かなり問題となっていた。幸運とも不運とも言えるが、過労死者は出なかったらしい。
そんな企業にも紆余曲折あったらしく(別にその辺の事情は、俺にはどうでもいい。別にこの企業に入るわけでもないのだから――企業研究など不要なのだ)、最近ようやくホワイトな企業とやらを目指し、完全退社時刻を決めてそこまでには帰るようにということを決めたらしい。巷間で流行りの感冒も影響しているのかもしれないけど。その甲斐というか
……本当に幽霊でも出て来そうだ。普通なら、尻尾を巻きつつ泣いて逃げ出すかもしれない。
だが、俺はもう知っている。ここにいる幽霊がそんな害をなすようなものではないということを。
『癒しの幽霊』――疲れた人の心を癒す、彼岸の存在にして悲願の存在。
だからむしろ、早く出て来てほしかった。早くこの疲れ切った心を癒してほしい。折角現実から逃げて来たのだから。
それより、静かな空間にいる方が耐えられない。このアルバイト、朝まで続くんだぞ――。
ごとっ。
……物音。
それ程遠くない場所からだ。胸を弾ませながら、俺は音の鳴る方へとカツカツ歩く。
幽霊、幽霊、幽霊! 恐怖ではなく期待に心臓が早鳴る。
どんな顔をしていて、どんな声を響かせるのだろう。別にどういう姿であってもそれはそれで楽しそうだが――そんな想像を胸に辿り着いたのは給湯室だった。
コンロと流し、そして冷蔵庫。想像している以上に簡素な場所だった。そう言えばちゃんと会社の給湯室を眺めるのはこれが初めてかもしれない。社会人になったら何度でも目にする光景なのだろう。
……でも真夜中、社員が誰もいない会社にて、冷蔵庫の前で1人の女性がしゃがみ込むのを見るのは流石に社会人とてそういない筈だ。
背丈的には若い――高校生くらいだろうか? 床にまで届きそうな程の長く、黒い髪。全身白い服を着ていて、冷蔵庫に照らされた肌も病的なまでに白い。
幽霊少女は近づいた俺に振り向きもせず、何かをぶつぶつと呟いていた。
「……」
抜き足差し足近づいて、少し耳をそばだててみる。
「……ふ、ふふ」
笑った。
確かに落ち着く声だった。可愛らしく、あどけなさがまだ抜けていない。棘も角もなく、しっとりと心に染み入るような声。
一体何を笑っているのか。内容が気になるので、可愛らしく癒される声にもう少し澄ましてみると。
「こ、これで……ようやく私も――」
……私も?
こういうセリフの後に来るのは大体、会社を滅茶苦茶にしてやろうとかそういうことだろうか。しかし、この幽霊に限ってそんなことは言うまい。何せ会社の癒しになっている、という噂があるんだから。
一体、この言葉の先には何が続くのだろうか――?
「――
「……はい?」
……しまった、思わず声に出てしまった。
俺の声にびくぅっと体を震わせる幽霊。幽霊が驚くとか新鮮過ぎるな。
恐る恐る、ホラー映画のようにゆっくりと彼女は俺の方を振り向く。
可愛らしい顔立ちだった。心を捕えるような愛らしい目で俺の姿を捉えると、冷蔵庫からくすねたらしい『桜見だいふく』というアイス――大福生地に苺アイスを包んだものだ、とても美味い――を持ったまま、口を開いた。
「な、なななな」
声が震えてる。震えすぎて、どっかのラップ芸人のようになっていた。
幽霊がここまで人間に動揺するってのは、何だか面白いものがあるが――。
「何でっ! 人間がいるのよ!」
……。
……うーむ。
まるで、
まあ別に傷つきはしない。会えただけでもめっけものだ。色んな意味で話のネタになるだろうし。
しかし、癒しは得たい。大変手前勝手で恐縮な限りではございますが、『俺』様はひどく心が疲れ申しているのであります。その疲れている理由が自分勝手なことは棚上げしているのだけど。
とは言えこのまま率直に「癒されに来たからな」と言うと、何というか、逃げられそうな気がした。仮にも『癒しの幽霊』と呼ばれている存在が人間を嫌うような発言をすること自体、異常事態なのだ。
様子を探ってみるか――俺は、真実の方便を口走ってみることにした。
「何でって、仕事だからな」
すると、それはそれで幽霊がビックリした。やばい、言葉を間違えたか――。
「仕事!? そんなの嘘よ! だってだって『早く帰りましょう月間』なんでしょ! 前のおじさんだって、転職するから辞めてもう来ないはずだったでしょ! 帰ってよー!」
「……そんなこと言われてもなあ」
……逃げられることはなかったが、あからさまに帰って欲しいと言っている。しかし、そんなことしたら今度は俺が社会的に抹殺されて『幽霊』になってしまうから勘弁して頂きたいところだ。
にしても、何かあったんだろうか――と思っていると、幽霊は『桜見だいふく』をぎゅっと胸に抱いたまま上目遣いで見てくる。
「……あの、さ」
「ん?」
「私に、癒されに来た、とか?」
「……」
……推測が確信に変わった瞬間だった。
はいそうですと答えたら、この幽霊はそのまま去ってしまうことは明確だった。ので、今度は正々堂々と嘘の方便を弄した。
癒されるのは、後でもいい。
今は信頼を勝ち取ることが先だ――我ながら屑野郎だ。それはそれで自己嫌悪に陥ったが、今更だろう。
本当に――何を今更。
自己嫌悪に陥れば人生は闇で病みなのだ。
「違うよ」
「……そうなの?」
「そうだぞ。俺は警備のアルバイトで見回りに来た、善良で勤勉なる大和男子なのです。オーケー?」
「……お、おーけー」
適当に誤魔化したところ、桜見だいふくで口元を隠しながら恥ずかしそうに返してくる幽霊ちゃん。何とか切り抜けたらしい。
「ごめんなさい……あの、ここの会社の人達とか、前の警備員さんと同じなのかと思っちゃって……。うぅ、恥ずかしい……」
「癒されに来た、って?」
「は、はい……。でも、『善良で勤勉な大和男子』の方、なのよね。うん、ごめんね」
……改めて言われると、善良で勤勉でない部分を思い出して何か辛いものがあるが。適当に『善良で勤勉な』なんて言葉を出すんじゃなかった。
とは言えひとまず、この幽霊ちゃんに逃げられることはなくなった訳なので、気になってることを尋ねてみる。
「あのさ」
「うん」
「こんなところでアイスくすねて、どうしたの?」
「……ええと」
幽霊ちゃんは少し躊躇った後、質問を返してきた。
「…………あの、笑わない?」
「……?」
……笑わないか、って?
怪訝に思うのでそのまま質問を再度
「笑わないか、ってどういう――」
「笑わないっ!?」
うおっ、ビックリした。
とうとう質問を
「わ、笑わねえって。わかったから、落ち着こう、な?」
とりあえずそう答えると、「それなら」と幽霊ちゃんは理由を言った。
「あの、ね。私……」
「……うん」
「……
……。
……ああ~。
駄目だ、これ。
そんな顔真っ赤にして一生懸命言われちゃうとさ。
笑いはしないけど、どうしてもにやけてしまうよな。
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