第20話 男の人

 暗闇の中で私は膝を抱えてじっとしていた。

 すると、遠くの方から小屋に近づく足音が聞こえてくる。


 私は驚いた。

 何回もこの小屋に通っているが、自分以外にタカナシさんの小屋を訪れる人に出会ったことがない。


 小屋の扉の開く音がして、男の人の声が聞こえた。

「どうしたんですか?急に。新しい本なら3日前に届けたばかりでしょう」


 私はその人の声を知っていた。

 有村さんだ。

 若いが力持ちで腕の良い氷川家の庭師だ。


「新しい本が欲しいわけじゃない。本を処分したいんだ」

 

 聞こえてきたタカナシさんの声に私は耳を疑った。

 いつも笑っていて優しいタカナシさんからは想像できないような、ゾッとするほど冷たい声だった。


「はあ、やっとですか。ああ、あの台車の上の箱ですか。わかりました、もっていきま……」


「その箱に触るな!!」

「なんですか、急に大声出して……。触るな、って俺が持っていかなかったらこの箱をどうやって処分するんですか!? 森の中にほっぽり出すんですか?

 奥様がなんておっしゃるか」


「そんなことするわけないだろう。この箱の中身は私の大切な家族だ。最後まで丁寧に見送りたい」


「見送るって、まさか」

 何かを察した有村さんに、タカナシさんはキッパリと言った。


「私はこの箱を自分で運んで、古本屋に自分で本を売りに行きたいんだ」


「何言ってるんだ」

 有村さんは呆れたようだ。

「そんなこと出来るわけないだろう。あんた自分の立場わかってるのか?」


「そんなこと私が一番よくわかっているよ。ここに積み上げられた本の数だけね。

 なに、そんなに難しい話じゃない。あんたがほんの5分間だけ正門の見張りの気をそらしてくれれば」


「やるわけないだろう!? 俺は旦那様にお仕えする身だぞ?そうでなきゃ、そもそもここに来ることだってないんだ」


「勘違いするな」タカナシさんが静かに言った。

「私はあんたに命令してるんじゃない。取引を持ちかけているんだ」


「取引って…」


 そのとき、バサバサという物音。おそらく本の山が崩れた音だろう。

 その音に続いて「お、おい!やめろ!」という焦ったような有村さんの声。


 無機質なタカナシさんの声が響いた。


「安心しろ。これから私とあんたする取引に関して、あんたのご主人様はあんたを責めることはできない。あの人はとうの昔にその資格を失っているからな。あんたはただ楽にしていれば良い。そして、5分間だけ私のために働いて欲しい」


 有村さんは戸惑っているのか返答をしない。重ねるようにタカナシさんの声。


「もう一つだけ頼みがある。どうか小屋の外に出てくれないか?」

 小屋の扉が開閉する音が聞こえた。

 そして、しばらく何の音も聞こえなかった。

 私はその間、小屋の外に出て行ったタカナシさんと有村さんが何をしているのか全く知る術がなかった。

 それでも私はタカナシさんの言いつけを守って暗闇の中でただ、じっと膝を抱えていた。

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