第17話 発端

 待ちに待った週末の朝、なぜか私は嫌な予感と共に目覚めた。

 そして、この手の予感は概して当たる。



 着替えを済ませた私は父に挨拶をするために家中を探しまわった。しかし、休みであるはずの父の姿は屋敷のどこにも見当たらない。


『お父様は東京にいかれましたよ』

 赤々とした炎が揺らめく暖炉の前で洋書を読んでいた母が素っ気なく言った。

 会社でトラブルがあったそうだ。

 花火大会に回されるはずだった人員は皆東京に向かった。

 氷川の長女を警護もなしに雑踏の中に送り込むなど不可能。

 よって、今日は中止。


 母は証明問題でも解くかのように淡々と言った。

『そもそも、花火なんで絵に描いたような刹那主義ではありませんか。それを火に群がる虫のように見物するのはあなたが思うほど良いものではありませんよ。

 美冬さん、あなたは将来、氷川を支える人間になる必要があります。だから、どうか氷川の人間として……』


 そこから先は私の耳に入らなかった。

 耳に入らずとも母が何を言うかははっきりとわかっていた。


 私は北の森に向かった。


 最初からわかりきっていたことだ、と自分に言い聞かせながら木立の間を行く。

 私には、私がどんなに願っても叶わないことがあると。

 私が氷川の人間であるかぎり絶対に無理なことがあると。

 そして、それらを見えないふりをすることが傷つかなくてすむのだと。


 耳の奥で無邪気にはしゃぐ自分の声がこだました。


『タカナシさん、お洋服は何を着て行けば良いのかな?あー冬の海は寒いから暖かい帽子もいるな』

『双眼鏡はいるかな?え、いらない?そんなに大きいの?だって空高くに打ち上げるんでしょう?』

『タカナシさんはいかないの?仕事があるから無理?私、一緒に行きたいな』


 父が花火大会に行く許しを出して以来、私はずっと浮かれていて、タカナシさんに会う度に興奮して花火大会のことを語った。タカナシさんは毎回楽しそうに聞いてくれた。


 粗末なプレハブ小屋にたどり着くと、私はいつもの通りトントンと扉を叩く。


 私はここに来るまでずっと我慢していた。

 母の前を立ち去る時も、

『お母様の言うとおりです。ご無理を言って申し訳ありませんでした』

 と頭を垂れた。

 けれど、その我慢も続かなかった。

 扉が開いてタカナシさんの姿を見た瞬間、私の視界はぐにゃりと歪んだ。

 鼻の奥がつんと痛んだ。


 私は子供のように声を上げて泣いた。

 氷川の人間でも何でもなくて、ただの幼子として泣いた。


 いきなり私が泣いたものだから、きっとタカナシさんはびっくりしたことだろう。

 しかし、タカナシさんは何も言わずに私の背中をさすってくれた。


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