カイリ怪奇譚
白鳥真逸
プロローグ
怪0
ある夏の午後の話。俺、黄泉坂カイリは汗だくになりながらアイスを食べていた。そこへ不思議な猫が現れた。
「にゃー、こっちへ来い馬鹿者」
俺はしゃべる猫と小動物に罵倒されたことに驚き、猫の後を追った。
猫は黒い毛並みだが、どこか高貴さを持っている葵い瞳をしていた。その猫は塀をよじ登り、人家の窓を横切り、屋根と屋根を飛び移り、ようやく狭い空地に辿り着いた。そこで俺は猫の話を聞く。
「この辺りで怪異が起きた。お前はそういう奴らを追い払えるだろう?」
「ああ、たしかに俺は陰陽師の末裔だから、そっち系の奴らに強い。だが、何でもかんでも祓えばいいというものでもない。とくに、怨霊はな……」
「心配するな。怨霊ではない。おそらく土地神の変異、人間の何かが気に入らないのだ。それをお前が満たしてやれば、この土地は安らかになる」
俺は猫の言葉に頷きつつ、いつの間にこの土地は殺伐としていたのだろうか? と疑問に思った。しかしまあ、人間には人間の世界、猫には猫の世界があるのだろうと勝手に納得してしまった。
その後、黒猫に連れられて、ポツンとした社へ案内された。猫はその社の前で『にゃー』と一声かけた。すると……。
ゾワッ!
総毛立つとはこのことか、全身の毛穴から汗が噴き出すようだ。恐怖で背中が凍り、肩にズッシリと何かがのり移った気配がした。俺は恐る恐る右肩を覗いてみた。そこにいたのは黒くドロドロの油に赤い充血の目が張り付いたバケモノだった。
「オマエ、ダレ?」
「俺はその猫に頼まれて、お前を鎮めに来た者だ」
ここで重要なのは名を名乗らないこと。化け物や霊はなにかと名前を覚えるもので、姿形より、名前や魂といった変わらないものにマーキングしているものだ。俺はその化け物に憑かれないように細心の注意をはらった。
「にゃー、その人間ならお前の願いを叶えられるだろう。遠慮なくいいたまえ」
いつの間にか俺は猫の子分になってしまったようだ。まるで社長の風格を持った猫は偉そうに部下をこきつかうのに慣れているのだろうか。
「ワレは、ここの土地神。人間を守ってきた。人間は優しい人間がいる。社の掃除、いつもしてくれた。でも、もうその人間来ない。ワレ、キレイ好き。汚いの嫌い」
なるほど。つまり、この社を毎日小まめに掃除してくれいた人が来なくなったから、猫に悪さをしたという訳か……。その人はどうしたのだろうか。病気か? それとも引っ越し? とにかく、まずはその人を探すことだな。
「その人の特徴は分かるか?」
「アダチ。善い人間」
流石は土地神だ。だから嫌なんだ。こいつらは見た目を重視しない。いつも名前と善悪で判断しやがる。俺はこの辺りのアダチさんを探すしかないということか……。毎度のことだが骨が折れる……。
「安心するにゃ、私がその人間の家を知ってるにゃ、ついてくるにゃ」
どうした突然。お前そんな喋り方じゃなかただろう? 猫特有の気紛れなのだろうか。俺は黙ってその猫の案内に従った。右肩に奇妙なドロの化け物を乗せて……。
「ここにその婆さんがいるにゃ」
「いた! あの人間、なぜ掃除に来ない? ワレ、嫌われた? ならもう、ここ守らない!」
「いたいいたい! 騒ぐな化け物!」
その化け物は俺の右肩で憤怒していた。ドロドロの液体が肩で動き回る度に針で刺されるような痛みが走る。頼むから静かにしていてくれ。
「婆さん、寝てるにゃ」
「そうだな……たぶんもう……」
そのお婆さん、足立幸恵さんは布団で仰向けに寝ていた。そして……周りには親族らしき人たちが顔を下に俯けていた。足立さんは死んでしまっていた。だから、土地神の社に行けなかったのだ。俺はこういう場面は何度も見てきた。人が死ぬと何かがすっぽりと抜け落ちる。それは、重大なことだったり、代わりがきくものだったりする。このケースは前者。土地神は人を選ぶ。おそらくこの土地にいるただ一人の善人だったのだろう……。猫には気の毒だが、ここはもうすぐ荒れ果てる。
「アダチ! アダチ! アダチアダチアダチアダチアダチ~!!!!」
「いたいいたい! だから騒ぐなってのッ! 解ッ!」
化け物の暴れようは凄まじかった。俺は肩の痛みに耐えられず、すぐさま陰陽術を行使した。印を結ぶと化け物はドロっと地面へ落ちていった。そこでのたうち回るように怒り狂っている。
「足立さんは死んだ! お前を嫌いになった訳じゃないんだ! また、誰か別の人が掃除すればいいんだろ!?」
「違う違う違う! それじゃダメ! アダチがいい! アダチ以外いない! アダチがいなくなったらワレ、ここ守らない!」
「だったら、さっさとどっかいけよ! 他の土地神になったらいいだろ!」
俺は出来る限り、時間を稼いだ。猫に目配せを送り、早く仲間と一緒に別の場所へ逃げろ、と。それを察したのか、案内猫の黒猫は一目散にその場を逃げ去った。
「ワレの居場所が無くなった! もうここ守らない!」
「だから……」
化け物はそう言うと黒い泥を伸ばして電柱をへし折った。守らないから破壊するって……。神に道理は通じない。人間の道徳を無視して勝手に周囲を巻き込む。俺は懐にしまってある札を投げつけた。
「束ッ、呪ッ、戒!」
印を結び、化け物を鎖で縛りつけると、土地神はその場から動けなくなった。
「ウグぐッ、動けない! お前なにした!」
赤い瞳の瞳孔が開く。化け物はすでに我を失い、この周辺を守ることから破壊することへ切り替わった。俺はいつものように印を結び、化け物を浄化させる準備を始めた。札の鎖で縛り上げ、九字の印を結び、浄化の術をかける。それが陰陽師の常識。俺は淡々と九字を結び、浄化の念を込めた。
「ぶつぶつぶつ、これで終わりだ。お前は少しこの世の理を歪めた。黄泉平坂で悔い改めろッ! 浄化術! 清ッ、呪ッ、じょ……」
ブツンッ!
景色がぐるぐる回った。俺が自転しているのか? それとも公転? ともかく、赤い鮮血と共に地球はぐるぐると回っていた。
ボトリ……。
意識が遠のいていく。目の前では赤い瞳の化け物が笑っていた。塀が壊され、家が壊され、電信柱から電気がほとばしる。
俺は死ぬのか……?
陰陽師の末裔として生まれ、いくらかの死線を越え、最近では一人前になった気でいた。驕りだ……、油断だ……、まさか、こうなるなんて思わなかった……。ダメだ……瞼が重くなってきた……意識が遠のく……スマン、黒猫。スマン、親父……。俺……しくじったわ……。
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