きっとこれは恋でもないし愛でもない

キノハタ

きっとこれは恋ではないし

 生きることを辛いと想ったのはいつからだろう。


 誰かに失望された時だろうか。


 誰かに叱責された時だろうか。


 誰かが僕のことを見放して無視し始めたときだったろうか。


 でも、学校を休んだところで、引きこもったところで、心さえ閉ざしたところで。


 僕のことを否定する言葉はどこまでも止まなかった。


 未来が苦しくて。


 過去が疎ましくて。


 今が辛くて。


 先なんてどこにもなくて。


 救いなんて当てもなくて。


 何をしてもダメで、何時までもたってもダメで、何処に行ってもダメだと想った。


 いつからか、僕は僕を見放した。


 努力しない自分を見放して。


 頑張らない自分を見放した。


 結果の出ない自分を見放して。


 綺麗じゃない自分を見放した。


 過去に受けた傷と自分の変えられない性格が、僕を縛っていた。


 ただ、悩み続けたそんな頃に、それすら前に進まないための、ただの安っぽい言い訳だと言うことに気が付いた。


 自覚すればするほど、自分を見つめ直せば直すほど。


 こんなクソのような奴は死んで当然と想えてしまう。


 死にたいといつからか呟くようになった。


 消えてしまいたいといつからか願うようになった。


 明日なんてくるなと、もう二度と目を覚まさなければいいのにと、そう何度も請いながら眠りについた。


 当然だけれど、そう都合よくことが運ぶことなどありはしなくて。


 だから、そう僕に遺された道はたった一つだけだった。


 ※


 僕とそいつが出会ったのは、ある総合病院の精神科での待合室。


 突発的に自殺を行って、無理矢理、親に引っ張ってこられた、そんな頃。


 もしかしたら、最初はなにか運命的な出会いがるかもと期待した。


 なにせ、周りは年寄りや大人ばかりの中、ほぼ唯一の同年代、後から知るけど同い年の高校生、おあつらえむきに異性でもあった。


 でもそんな期待は、形どる前にあっけなく崩れ去った。


 というか、ぱっと顔を見た時に、これはダメだと確信した。


 都合のいい相手が、苦しんでいる自分を助けてくれる。


 行き場のない閉塞に、先の見えない未来に答えを与えてくれる。


 このどうしようもない心を救ってくれる。


 そんな期待、まあ抱えるだけ無駄だったみたいだ。


 だってまあ、そりゃそうだろ。


 ここに都合のいい救いなんてあるわけがない、なにせ、そこは精神科なんだから。


 そもそも、ここは誰かに助けて欲しい人たちが集まる場所だ。


 他人を慮る余裕があるやつは、そもそもこんなところ来やしない。


 うつむきがちだった顔が、そっとあがる。


 覇気のない顔、今にも死にそうな顔。


 苦しんで、辛くて、もうどうしようもなくて、死にたくて。


 そんな他人様を救ってる余裕なんて微塵もない、そんな顔。


 そいつの瞳の中に映る、僕とそっくりな、そんな顔。


 それが、僕とそいつの出会いだった。





 連絡先を交換しようって言ったのはいつだったかは覚えてない。どちらから言ったのかさえあやふやだ。


 突発的な症状も大分落ち着いて、薬の量も随分減って、もう親の同伴も無くなった頃だったから、多分、三年生にになってからだ。


 なんとなく、携帯を出していたら、向こうも携帯を持っていた。


 なんとなくお互い目配せして連絡先を交換した。


 そうして僕らは何の声も交わさぬうちに、高校と精神科を卒業した。


 死にたいと想うことは相変わらずあるけれど、実際に死のうとすることはなくなった。


 卒業できたのは、たった、それだけの理由だけれど。


 そうやって、僕らは何の解決も得ないまま、何が自分の中の問題なのかすら誰にも明かさぬまま。


 なんとなく、続きの人生を歩み始めた。


 


 僕らはお互いのことは何も知らない。


 語らないし聴きもしない。ついこないだ、こいつの友達に言われるまで、左利きだということすら知らなかった。


 好きな食べ物は知らない。


 よくするゲームも知らない。


 好きな音楽も知らない。


 好きな漫画や小説も知らない。


 何が趣味かも知らない。


 知ろうとも思わない。


 ただ、なんとなく示し合わせて、位置が近い大学を受験した。そして、下宿はすぐ隣にした。


 まったく別日に下見に行って、まったく別日に引っ越しをした。


 引越しそばは無造作に郵便受けに突っ込んであったから、代わりに僕はクッキーを突っ込んでおいた。


 あいつがどんな病名であそこにいたのかを、僕は知らない。


 あいつがどんな過去を持っているかも知らない、興味もない。


 名前すら実は怪しい、表札をみないとたまに忘れてしまうくらいだ。


 携帯の登録名も『あいつ』で充分事足りるし。



 ただ、僕たちはお互いにしんどくなったら、なんとなく相手の部屋に行った。



 別に性行為をする仲じゃない。



 別にキスをする仲でもない。



 触れ合うことすら別にしない。



 ただあいつは時折、僕の部屋の隅で泣いていて。



 ただ僕は時折、あいつの部屋の隅で倒れていた。



 恋愛感情は微塵もない。



 性欲も一ミクロンだって湧くものか。そんなもの、健康な心身と一緒に捨ててしまって久しいんだから。



 親愛もない。



 同情もない。



 共感もない。



 そもそもあいつに何があって泣いてるのかすら、僕は知らない。



 あいつは泣き疲れて喉が渇いたら、勝手にうちの炭酸水を飲む。



 僕もしんどい時は気を紛らわせるために、勝手にあいつの家のコーヒーを開けたりする。金は代わりに置いていくけど。



 ただどうしようもない夜の時間を、何もかもを考えて考えて止まらないそんな時間を。



 誤魔化して、紛らわせる、ただそのためだけの存在だった。



 お互いにだから、きっとそう。



 これは―――この気持ちは恋でもないし―――愛でもない。





 ある日の深夜のこと、もう夏も近いそんな頃。


 僕が下宿で独りでスマホを眺めていたら、ブーンと通知が飛び降りてくる。


 あいつ 『助けて』


 ただ、それだけのメッセージ、あとついでに位置情報。


 息を吐いて、僕はそっと腰を上げた。


 夏が近いからそこまで寒くはないけれど、半袖だと少し心許ない。だから、薄手のパーカーを羽織ってから、僕は自分の部屋を後にした。


 部屋を出るときに、ペットボトルに水道水だけを詰めてから。


 示された場所は、歩いて二十分ほどの近所の飲み屋……から少しだけ外れた路地の隅。


 小走りで行けば、十分くらいでつくだろうか。


 そんなことを考えながら、僕は学生街の少しざわついた夜の街を駆けて行った。


 風は少し涼しくて湿っている。そんな感覚を頬に感じながら。


 そうやって、少し息を荒らしながらスマホの示す場所についた。


 視界に入ったのは三・四人ほどの人。


 その下で蹲るあいつ。


 一瞬、暴行を警戒したけれど、女性が座り込んであいつに水を差しだしていたから、どうにも介抱されているみたいだ。


 アスファルトには吐き散らした跡があった。まあ、状況はお察しといった感じだろう。


 なんとはなしに近づいた。


 周りの二・三人がこっちを見て、あいつもぼんやりと僕を見上げた。


 ただ、僕は、周りを全部を無視して、あいつの傍に座り込む。


 ぱっと見には吐いた跡があるだけで、殴られたりそういうことはないみたいだ。


 多分、酒の飲み過ぎだろう、何が原因かは知らないけれど。


 そっと、水道水のペットボトルを差し出した。


 あいつは受け取って、そのまま口の中を洗い出した。


 ちらっとあいつの吐しゃ物が眼に入ったから、靴でさらって排水溝に流しておいた。


 周りの人がうえって少し引いたような表情をするけれど、どうでもいい。


 昔から、こういう人が汚いと想うものを、あまり汚いと感じない質だった。


 軽く息を吐いて、あいつが水を飲み切るのを待っていたら、隣にいた女の人が少し、遠慮がちに僕に水の入ったペットボトルを差し出してきた。


 「えと……靴、よかったら洗って?」


 随分、親切な人だなと半ばあきれながら、僕ははあ、と思わず気の抜けた返事をした。


 そしてそのまま、ペットボトルを受け取って、言われた通り足についたあいつの吐しゃ物を軽く流す。


 それから、軽く頭を下げて、そっとあいつに目配せした。


 あいつは今にも死にそうな目で、僕を見てぼんやりと頷いた。どうやらちゃんと意識はあるらしい


 どちらがいうでもなく、僕はあいつを背負って、あいつは僕の背中に這い上った。


 少し、首元が濡れた感覚がした。口元にまだ吐いたものがついていたかな、まあ、どうでもいいか。



 「よかったあ、倒れてからどうしようかと想って。えと、彼氏さん?」



 恐らく親切な女の人は、そう言ったので。



 僕は軽く首を横に振った。



 「違います」


 思わず苦笑いを浮かべながら。


 それから、集まっていた何人かに頭を下げてから、僕らはゆっくりと夜の学生街を歩き出す。


 随分と冷え切った体温だけをパーカー越しに感じながら。



 そう、僕らはずっとこんな感じで暮らしてる。



 これは勝手な妄想にすぎないのだけれど。



 もし僕が自殺してしまったら、こいつは死んじゃうんじゃなかろうか。



 後追いとかじゃなくて、「折角だから私も」くらいの軽い勢いで。



 まあ、妄想だけどね



 僕が死んだところで、もしかしたら、別に何も気にせず生きてるかもしれない。



 むしろで鼻で嗤うかもしれない。僕の喪失を糧に、逆に前を向いて生きていくかもしれない。



 でも、もしかしたら、勘だけど、万が一くらいには死んでしまいそうだから。



 だから、僕はとりあえず生きている。



 軽い命を同じように軽い何かの重しにして。



 僕にとってこいつは何かな。



 生きる意味? そんなにたいそうなもんじゃない。



 いうなれば、そう、映し見みたいなものだろう。



 こいつからしたら、勝手に役づけられて迷惑甚だしいだろうけど。まあ、妄想の中なので勘弁してもらおう。



 こいつは僕で、僕はこいつだ



 僕が生きてるから、こいつは生きていて。こいつが生きてるから、僕は生きてる。



 ただそれだけの関係だ。それ以上も以下もない。



 だから僕はこいつのことを何も知らない。



 こいつの幸せは願わない。



 具体的に協力も援助も何もしない。



 愚痴聞きすらしたことはない。



 ただそう、きっとそう。



 誰にでもはないけれど、世の中全体で見れば、そこまで珍しくもない、そんな夜。



 ふと、死んでしまいそうな、そんな夜。



 その時に隣にいる、ただそれだけの役割を。



 お互いに、粛々と黙々とこなしているんだ。



 本当にただそれだけの関係。



 僕はこいつを助けない。こいつは僕を助けない。



 だからこれは愛じゃない。



 こいつを僕を求めない。僕もこいつを求めない。



 だから、これは恋じゃない。



 自己憐憫とか、自己愛とか、そういう類の感情だ。もちろん綺麗でもなければ、尊さの一かけらもない。



 誰のためでもないことを、誰のためでもないように。



 ただ自分のためだけに。



 ただそのためだけに。



 肩に触れる涙がじわりと滲む。腕時計で隠された向こうに見える傷跡がふらりと揺れる。



 夜の街を僕はこいつと歩いてく。



 お互い、明日生きているかな。



 それすらうまくわからないけど。



 多分、今日はこのまま、うちで泣き伏せるコースだろう。まあ、寝袋は買ってあるし構やしない。



 言葉はひとつも交わさない。



 無言のまま、夜の街をただ引きずるように歩いてく。



 うまく生きていけない半人前を二人分、ふらふらと足取りを揺らしながら。



 きっと恋でも愛でもない、そんな思いを蹴飛ばしながら。

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