第10話 兄の実力を知りました

 そこには防具を棚に片付けていた赤毛のエリアウスがいた。エリアウスが私の気配でこちらを振り向く。


 私は逃げ出すのもおかしな状態なのでペコリと頭を下げた。


「エリアウス様。わたくし、クラスメートのアンナリセル・コヨベールですわ。すごい音がしましたが、お怪我はございませんの?」


 エリアウスは自分の名前を言われたことに驚いたようだが、それは一瞬で、すぐに真顔に戻った。


「そうか。では、改めて。エリアウス・ギーゼルトだ。よろしく頼む。

木剣がすっぽ抜けてしまってね。防具棚にぶつかりこの有様さ。怪我はない。

心配かけてすまぬ」


 私はホッとした。


 しかし、エリアウスの顔を見て『おいおい』と、ツッコミたくなった。ホッとした程度の微笑でエリアウスが頬を染めたのだ。私は思わずその場で蹲りたくなった。淑女の仮面でそんなことはしないけど。


 私は視線を外すためまわりを見るふりをした。そこで並べられていた木剣に目が止まった。木剣の握り場所には布が巻かれていたが、すでにボロボロだった。


「これでは滑ってしまいますわね」


 私が木剣の近くで考えを巡らせている間にエリアウスが隣に来ていた。


「これはこういうものだ。俺の手の力が未熟だから滑っただけのことだ」


 エリアウスの言っていることに間違いはないのだろうが、エリアウスが未熟だというなら他の一年生はみな未熟だろう。

 エリアウスの武術は見たことがないが、団長子息なのだ。鍛錬は他の生徒より厳しく受けているに違いない。


「わたくしの知識では何もできなそうなので、兄に相談してみますわ」


「君の兄上はチレナド・コヨベール殿だなっ?!」


 エリアウスが興奮したようにまくし立てる。私は訝しんでエリアウスを見た。そんな私の様子は見ておらず、エリアウスは朗々と語る。


「チレナド殿の武術はすごいっ! 去年、この学園の武術大会に見学に来たのだ。チレナド殿は二年生であったが、三年生を差し置いて優勝なさった。あの素早さを止められる者はなかなかいない」


 エリアウスのあまりの嬉しそうな顔に、私はプッと吹き出した。エリアウスが真っ赤になった。


『あちゃあ! やってしまったよ』


 私は開き直った。ここまで攻略対象者3人とは面識を持ち、顔を赤らめられてしまっている。今更エリアウスだけ逃げても意味がない。

 とはいえ、これ以上好感度を上げるような真似をするつもりはないが。


「兄はまあまあ楽しかったと言っていましたが……。そうですか、優勝していたのですか」


 エリアウスは目を丸くした。


「家族に自慢もしないのか?」


「母にはしたかもしれませんね。母にズタボロにされていた日があったので。もしかしたら、鼻っ柱を折られたのかもしれません」


 私は年末に王都から領地へ帰ってきた日の夜に見た兄の様子を思い出した。


「お母上から……ズタボロ……」


 エリアウスはショックだったようで、目は空を見ている。というか、何も見ていないようだ。


「我が家は特殊なのです。お気になさらないでくださいませ。とにかく、兄に助言をもらって参りますわ」


 私は軽くペコリとして出口へ向かった。


「あ、待ってくれっ!」


 私は足を止めて振り返る。


「俺も同席したいっ! チレナド殿と一度話をしてみたかったのだっ!

頼むっ!」


 エリアウスが深々と頭を下げた。誰の目もないことを踏まえて、私は思いっきり顔を顰めた。だが、男に頭を下げさせて無視もできない。

 顔を淑女の仮面に戻してエリアウスに声をかけた。


「わかりましたわ。明日のランチを一緒にできないか兄に聞いておきます。

では、また、明日」


 私は再び頭を下げて今度こそ鍛錬場を後にした。


 男子寮の寮監様に兄への手紙をお願いし、女子寮へ戻った。


〰️ 〰️


 朝、女子寮の寮監様から兄からの手紙を受け取った。了承の返事だった。

 教室でエリアウスにそれを伝えると大喜びであった。


〰️ 


 そして、昼休み。

 私達のテーブルは、今、微妙な空気になっていた。


 私の分のランチも精算してくれたエリアウスと向かい合って座り兄を待っていると、兄はなんと女性を伴ってやってきた。濃い緑色の髪はゆるくウェーブしており、オレンジの瞳は優しげに弧を描き、私から見ても『お姉様』と呼びたくなるような余裕を感じさせる女性だった。

 その女性は私達のテーブルの近くになると、私達を見てびっくりし、エリアウスもその女性を見てびっくりしていた。


 兄が連れてきたのは、エリアウスの婚約者であるイルザニナ・ヨードルッケ侯爵令嬢であった。なんとなく微妙な空気のまま、私とイルザニナ様が自己紹介をし、私の隣に兄が、エリアウスの隣にイルザニナ様が座った。


 微妙な空気を壊すべく、私が口を開く。


「お兄様、これ―この状況―は?」


 私は平静を装って聞いた。


「俺の木剣は彼女に助力してもらっているんだ。お前から『木剣の持ち手』についての相談という手紙を貰った時、エリアウス君の存在を考えるべきだったな。お前とエリアウス君がクラスメートなのはわかっていたんだ。

浅慮ですまん」


 兄は私でなくエリアウスに頭を下げた。エリアウスはびっくりしていたが、何を発言すべきかわからないようで、口を少し開くが何も言わなかった。


「最初に言っておくが、俺とイルザニナ嬢はクラスメートであり、友人だが、それ以上はない。

なにせ、妹は女性的手習いが壊滅的でね。このような繊細な物を頼めるような女じゃないんだ」


 兄が持つ木剣には、持ち手に組紐が複雑に模様を描いており、パッと見、私には理解できないし、教わってもできる気がしないほどのものだった。


 だが、貶されることとは、別問題だ。

 私は急に貶されたことに眉根を寄せた。兄が隣にいるとどうも淑女の仮面は脆くなってしまう。


「その情報、今、必要ですっ!?」


「お前に必要なくとも、彼には……」


 兄がチラリとエリアウスを見た。あからさまにしょんぼりとした様子で俯くエリアウスがいた。大きな体が小さく見える。


「なぁ……」


 兄は私を納得させようと視線を送ってきた。

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