第2話 お勉強してみました
お父様のご友人からのご紹介というカリーナ夫人がわが家に来たのは、私が家族に相談して三週間くらいしてからだった。
手紙と馬車という状況を考えるとなかなか素早く対応してもらえたものだと、喜んでいる。
カリーナ夫人は五十歳になる気品溢れた御婦人であった。なんと、マナーも手習いもダンスもカリーナ夫人が教えてくださることになっている。
「俺も学園に行く前にダンスとマナーくらいは習っておこう」
チレナドお兄様は私と一緒にカリーナ夫人の指導を受けることになった。
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ここバスチザード王国には、貴族学園がある。十五歳から十八歳の貴族子女が通う全寮制の学園だ。
元々は男子のみの学園であったが、十年ほど前、当時王女だった御方が、『女性も学ばなければ、夫の役にたたない』とおっしゃり、ご自身が学園へ行くために共学にした。その御方は、現在は隣国の王太子妃になっており、外交にもたいへんお力になっているという素晴らしい方だ。来年にはその王太子様が国王様になり、その方は王妃様になられるのだ。
隣国の話を子供の私がなぜこんなに詳しいかというと、うちの領に接している国なので、お父様は商人たちから情報を得ているそうだ。家族間でも隣国の話はよく話題に上る。
「あと少し早ければ私も学園に行けたのに……」
私のお母様は今でも残念がっている。マナーをそこそこしかできないと言っているお母様は、辺境伯夫人として王城の年始パーティーに行くとニコニコして過ごすだけだそうだ。
「王都で生活するわけではないから社交なんて必要ないんだけどねぇ。
ふふふ、王城の食事って美味しいのよう!」
毎年王城の年始パーティーでの話は確かに食事の話しか聞いたことがない。
チレナドお兄様は私より二つ上なのであと三年で学園へ行くことになる。
お兄様は領主になるべく勉強と武道については幼い頃から厳しく教育を受けている。
私は『何もできなくてもいいから、明るく朗らかに』と育てられてきたので何も習っていなかった。
だが、ここ二週間、お兄様の領主教育に同席させてもらったが、今の知識はなくとも、前世の学習能力で、今からちゃんとやればどうにかできそうな気がしている。記憶は少しでも能力的には残っているようだ。
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カリーナ夫人は厳しくとも優しい素晴らしい先生だった。私達はどんどん上達していった。私の刺繍以外は……とほほ。
私は仮初であるにせよ、マナーや仕草は完璧となった。
え? 完璧なのに仮初かって?
だって、私の性根は、天真爛漫、明朗闊達なのよ。完璧な仮面の下は元気に暴れたくてウズウズしているのだもの。
私は前世ではどちらかといえばおとなしめだったので、そのような気持ちになることを不思議に思っていた。強制力の一部かもしれない。
とはいえ、今の自分を結構気に入っている。
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「どんなにお心の中で生気溌溂・精力旺盛であっても、仮面を被ることが淑女の基本。
今のアンナリセル様にでしたら、淑女の合格点を差し上げられますわ」
カリーナ夫人は学園入学のために王都へ行く私をギュッと抱きしめてくれた。
私はカリーナ夫人と両親に馬車の窓から思いっきり手を振りながら、王都で待つチレナドお兄様のいる館へと旅だった。
お兄様の学園入学に合わせて、両親は王都にタウンハウスを購入してくれた。学園は全寮制だが、休日に帰れる場所があるのは嬉しい。
タウンハウスになら私を幼い頃から見てくれているメイドたちや執事もいてくれるのだ。
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全寮制ではあるが、お高い料金を払い広い部屋を自室にするのなら、メイド一人をお付きにすることができる。王家、公爵家、侯爵家のみなさんはほとんどそうしている。伯爵家は半々くらいがそうしている。
チレナドお兄様と私もそうしていいと両親には言われたが、カリーナ夫人が「王都生活をするつもりがないのなら、社交より、実生活をできるようになった方がよい」という意見に全員が納得し、私達は学園にはメイドを伴うのを止めた。しかし、少しだけ高いお部屋にして、一人部屋にはしてもらっている。
私にとって一人部屋はとっても嬉しかった。なぜなら、誰にも見られてはいけないノートを作ったからだ。
私が前世を思い出し、それまでの生活と全く違うこと―お勉強―をしたのは、ちゃんとした理由がある。
この世界は、私が日本という世界で楽しんでいたゲームに大変類似しているのだ。「君の笑顔〜学園ドキドキ恋愛シュミレーション」というゲームだ。
絵とキャラボイスの良さで人気を博した。
はぁ……。
私はそのゲームの主人公なのだ。
主人公ならいいじゃないかと思うなかれ。素直にそのゲームの主人公ならまあまあ良いだろう。だが、このゲームは、人気を博しすぎて、二次制作小説や二次制作マンガまで出ていた。
二次制作で『もし、主人公が陰キャなら』とか、『もし、主人公が男爵令嬢なら』とか、そういう内容の読み物も出た。
まあそれならありかもみたいな読み物ならまだいい。
二次制作にありがちな『でも実はすべて冤罪で、悪役令嬢だと思っていた方にコテンパンにされる』なんていうものが、それはもうたくさん出回ったのだ。
攻略対象によって婚約者は変わるから、悪役令嬢役も変わる。悪役令嬢が変わればしっぺ返しも変わる。そんなこんなでたくさん出回っていた。
もし、この世界が二次制作の世界だったらと思うと私は怖くて堪らない。
というわけで、ゲームのようにならなければ二次制作的に怖いこともなくなるわけだ。
つまりは、攻略対象者など私にはお呼びでないのだっ!
と考えた私は、ゲームの内容をぶっ壊すべく、ゲーム内容について覚えていることをノートに書き留めておいた。
このノートは何があっても誰にも見せられない。この学園を無事に卒業し、その日に自分で焼却炉へ入れようと決心している。
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などなどを考えながら馬車に揺られること、五日目の昼過ぎ。やっと王都のタウンハウスへ到着した。
「アンナリセルお嬢様。お疲れさまでございました。今夜はチレナド様とお食事をなされましたら、ゆっくりとおやすみくださいませ」
「シンリーも、長旅、ご苦労さま。貴女もゆっくりと休むのよ」
私は天使の笑顔と言われる私の笑顔を専属メイドのシンリーに惜しげもなく披露した。シンリーは頬をほんのりと染めにっこりとしたまま俯く。
『うわぁ。いつものことながら、主人公の笑顔力。こっわぁ』
私は自分の暴力的な魅力に恐れをなしていた。
カリーナ夫人に習った仮面。きっちり被ってみせましょう!
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