麻酔(タイトルのみ ちゃんみな「ハレンチ」原題からインスピレーションを得ました)

むきむきあかちゃん

麻酔

 ヘアオイルが肩に垂れた。

 ナギサは、Tシャツにふやけた染みを拭うと、そのままドライアーを握った。

 ドライアーのスイッチをマックスにすると、生暖かい風が長い髪を押し上げてきた。手ぐしで髪をすくと、指にベタついた水が絡みついてきた。

 髪を乾かし終わったあとは、もう一度櫛ですいてからバスタオルで巻く。

 まだメイクを落としただけで洗顔するのを忘れていたことに気づき、洗顔オイルを手に取り鏡を見た。ショッキングピンクのピンと張った若い肌に、姿勢のいい触覚。でも鏡に映る、メイクのない自分の顔は何かふやけて見える。

 洗顔はまたあとでにしよう、とオイルを洗面台に投げ、ナギサはスマホでラジオをつけた。

「今日のギャラクシーラジオは、海王星の謎の覆面アーティスト、KARIAさんにお話を伺います——」

 イヤホンを探しに自室に向かおうとすると、スマホからピコン、と通知の音がした。

 一旦スマホを確認しに戻り、通知のバーナーをタップした。

 職場のボスからのメッセージだった。

『今日のアイデア、めっちゃ良かったよ!実現に向けてチーム全体で頑張っていきましょう!』

『ありがとうございます(^^)発案者として責任を持ってやっていきます!』と返信してラジオに戻し、もう一度イヤホンを探しに部屋を出た。

自室でイヤホンを探していると、イヤホンより先にコンビニのパフェのクーポンが出てきた。期限は明後日だった。急に小腹が空いてきた。

ジャージズボンからジーンズに履き替え、スカジャンを羽織りポケットにスマホを入れてナギサは家を出た。

エレベーターの中でスマホを開くと、彼氏からのメッセージが届いていた。

『最近会えてないな。来週カラオケでも行かない?マジで寂しいわ』

 返信を頭に巡らした。いいね、行こうよ、ウチも寂しい、会いたいね、大好きだよ、今すぐ会いたいよ————。

 なんだか考えるのがめんどくさくなって、そのままスマホを閉じた。

 夜道は空気が重い。ゆっくりした足取りでコンビニへの道を歩く。

 ほの暗い、色んな色に煌めく電灯は、数メートル先にあるはずなのにぼやけてみえる。

 遮断機が近づいてきた。のそのそと距離を縮めた遮断機は、ナギサの目の前で腕を降ろした。赤いランプがチカチカしている。

 ポケットからスマホを出した。が、開く前にふと前を見た。

 そこには未だ遮断機が降りている。カンカンという音が耳に響いた。遮断機の向こうには何もない。ただ虚空を電車が埋めるときを待っている。


 ナギサは、気づかぬうちにその虚空に自分が飛び込む姿を想像していた。

 一歩前に出て、遮断機をくぐる。虚空の真ん中まで走るうちに、自分の身体は自転車になる。タイヤをくるくると回しながら中に飛び込み、そばから来た電車に思い切りぶつかり、ハンドルが取れ、サドルが外れ、ペダルが潰れて————。

 ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ。

 ナギサの手から、震えるスマホが地面に落ちた。電車がものすごい速さでナギサの前を過ぎ去った。

 ナギサは、周りの音が消え、辺りがゆっくりになるのを感じた。

 息ができない。

 まだ遮断機の音が聞こえる。

 カンカンカンカンカンカンカン—————。

 喉を締め付けられるように、ひゅうひゅうという呼吸が喉を掠める。

「あああああああああああああああ!」

 気がつけばナギサは、しゃがみ込んで大声をあげていた。

「ああああああああああああああああ!」

 周りに人が寄ってきて、大丈夫ですか、と話してくる声が微かに聞こえた。

 でも、ナギサは何も応えられはしなかった。

 大声をあげ続ける。

「ああああああああああああああああ!ああああああああああああああ!」

 痛くはない。悲しくもない。疲れてもいないし、辛くなんかない。

 ただ、頭の奥で、もう消えたはずのカンカンカンという音が、どこまでもどこまでも響き続けていた。

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麻酔(タイトルのみ ちゃんみな「ハレンチ」原題からインスピレーションを得ました) むきむきあかちゃん @mukimukiakachan

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