第74話 悪魔人間

 薬を飲んだルコラは、全身から大きな音を響かせて変質していく。


 正直このタイミングで斬りかかろうかなと何度も思ったが、どうなるかを確認しておきたいので止めた。


 ルコラは小さい羽と角を生やし、目の色が茶色から赤色に変わった。


 感じる圧力は、確かに先ほどのルコラとは比べ物にならない。

 人間の範疇ではないようだ。


 特に魔力の総量が跳ね上がっている。


 だが、忘れていないか? 冒険者が相手にするのは、常に人間よりも遥かに強い化け物たちだという事を。


 そしてその化け物を狩るのが冒険者だ。


「どうだマステマ?」

「……違う。こいつじゃない」


 マステマからは否定の言葉が出た。

 ルコラが黒幕なら色々と話は早かったのだが。

 セナか、もしくはこいつが爺といった人物か。


 この程度とは、舐められたものだ。


「何をごちゃごちゃと。余裕なのも今のうちだけだ!」


 ルコラは俺の態度が気に障ったらしい。

 しょうがない。相手をしてやるか。


 天剣ではなく、火剣を取り出す。

 熱により白化した剣身が周囲を照らした。


 まるで灯りをつけた時のような明るさだ。


 ルコラが飛び掛かってくる。

 右腕を大きく振りかぶり、そのまま殴打を狙ってきたので右腕を火剣で斬った。


 ルコラの右腕が地面に落ちる。

 火剣が斬った際に焼き切ったので出血もない。


「あが!?」


 ルコラがよろめいた。

 右腕を左手で押さえている。


「うぅ、再生しない。なぜだ」


 俺はため息を付いた。

 これでは、薬を飲む前のルコラの方がよほど脅威だ。

 冒険者があんな見え見えの攻撃をしてどうする。


 どうにもあの薬は頭を悪くするらしい。

 再生を防ぐために火で傷口を焼くのは、それこそ冒険者の常識だ。


 別に狙った訳ではないが。


「そもそも、前提が間違っている。天使と悪魔が強いのはその超常の力じゃない」


 火剣を構える。


「絶対的な防御力だ。確か魔導士的に言えば空だな。人間では決して届かない領域こそ、天敵足りうる」


 攻撃が効くなら倒しようは幾らでもある。

 それこそ、凄まじい力を持つ竜の群れをたった3人で狩ったように。


「お前にはそれがない。まがい物め」


 ルコラが変質した際、マステマと相対した時に感じた恐ろしさはまるで感じなかった。

 こいつは見た目が悪魔になっただけの、いわば悪魔人間でしかない。


 ルコラの目に動揺が走ったのを、俺は見逃さなかった。


「う、嘘だ。確かに私は聞いたぞ、この薬で悪魔の力を手に入れれると」

「お前は……本当に馬鹿だ。美味い話を信じた冒険者がどうなったのか、忘れたのか」


 他人から聞いた美味い話を信じた冒険者は、皆死んだか、再起不能になった。

 ルコラはそれなりの冒険者だった筈だ。


 魔道学園の教官になれるほどの、魔法を扱える前衛になるのは苦労しただろう。

 だから対価を欲しがったのかもしれない。


 恐らく魔道学園の教官というぬるま湯に漬かり、堕落した。


 冒険者の本質も忘れてしまうほどに。

 自分の力を信じる事こそ、冒険者の矜持だ。


 悪魔の力が手に入るという口車にのせられ、手を汚し、こうして捨て石にされているルコラはもう冒険者ではない。


「あ……ああ!」


 ルコラは何かを考えようとしたが、薬の影響で頭が回らないようだ。

 考えることを放棄し、こちらに向かってきた。


 哀れだった。

 この様子では思考力もあまり残っていないようだ。

 情報も引き出せまい。


 火剣で首を落とす。

 目を見開いたまま、ルコラは死んだ。


 ルコラの身体が灰になって消えていく。


 俺は少しばかり悲しくなり、ため息を付いた。


 ルコラは恐らく元々は悪い人間じゃなかっただろう。

 堕落がルコラを弱くしてしまったのだ。


 その直後、風の魔法を応用したささやきが耳に届いた。


「アハバイン様、セナの部屋の様子が変です。うぅ、気持ちが悪い」


 アーネラの声だ。

 ノエルとアーネラにセナの部屋の監視をさせていた。

 どうやらセナの方で動きがあったらしい。


 マステマは向こうにつければよかったか。

 警戒しすぎた。


「あっちだ」


 マステマが指をさす。セナの部屋がある方向だ。

 どうやら何かを察したらしい。


 ここにはもう用はない。

 早速向かおうとすると、誰かがこちらに歩いて来た。


 担当だったルコラ以外に誰かがいるとは思えない。

 誰かと訝しげに見ていると、姿を現したのは右目に片眼鏡をつけた老年の教官だった。

 ……爺、か。

 名前は確かエヴァンス教官だったか?


「悪魔とは、強い存在でなくてはならないと思う。そのような存在だからこそ、目指す価値がある」


 だが、エヴァンスの様子がおかしい。

 上半身がどうにもアンバランスのような。


 いやこれは……筋肉が膨れ上がっているんだ。


「ルコラめ。セナが儀式を始めてから飲めとあれほど言ったのに。仕事は出来るのにいい加減な奴だった」


 エヴァンスの服が破れていき、姿を現したのは肥大化した筋肉だった。


「マステマ君。君の授業態度は酷いものだった。なんど落第にしてやろうかと思ったか」


 どうやら矛先はマステマに向いている様だ。

 ルコラとは違い、エヴァンスの変化は本物だ。


 あれは悪魔化している。


 アーネラからのささやきも気になる。

 危なくなれば逃げろとは言ってあるが、早く向かうべきだろう。


「こっちは私がやる」


 マステマがその姿を悪魔のものに変化させる。

 黒い羽と角。そして体を最低限隠すだけの衣装。


 マステマが負けるとは思えないが……、エヴァンスから感じる威圧感はルコラの比ではない。


「僅かだけ門を開けたな。身の程知らずの人間め」


 マステマが呟いた。


「地獄の門を制御できると思っているのか……」


 どうやら、地獄からの魔力はマステマには来ていないらしい。

 完全に悪魔としてのマステマに戻っている。

 それだけの相手と判断したのだろう。


「こっちは任せる。俺は向こうへ行く」

「分かった。私はまだ戻るつもりはない。早く閉じさせろ。もし悪魔がこっちに来たら浸食が始まるぞ」


 帰りたいなら交代しても良かったのだが、そうでもないようだ。


 俺はアーネラ達の方へ行く。エヴァンスは止めるかと思ったが、マステマと見合ったままだった。


 2人の悪魔の魔力が空気中でぶつかる。

 どちらも譲らない。


 お互い動いたのは同時だった。


 マステマとエヴァンスの拳が衝突し、大気が揺れる。




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