踠く者 ~足掻く者達 外伝~
とぶくろ
第1話 出発の評議国
甘かった!
薬草でも摘んでくるだけのつもりだったのに。
三又の
必死に体を捻って避けるが、素早く引き寄せた銛が続けて繰り出される。
武器も何もない状態で必死に攻撃を避けるが、逃げ出す隙さえ見出せない。
こんな攻撃を、いつまでも避けつづけられはしない。
死を今更感じる。恐怖に体が硬く委縮する。
「あっ……」
濡れた岩場に足を滑らせる。
無理な体勢で攻撃を躱した直後、硬くなった体は耐えられず無様に倒れる。
仰向けに倒れたところへとどめとばかり、
大陸北部にある評議国。
その東の街の孤児院から、一人の少年が卒業しようとしていた。
一年という概念がなく、年齢を数える事もない大陸だったが、見た目は10代半ばくらいで背も高くない、痩せた大人しそうな少年。
特にいじめられる訳でもないが、誰にも相手にされない、いつも一人な少年。
それでも彼はそれが心地よかった。
人とふれあいたくない。
一人でひっそりと静かに暮らしたい。
そんな少年クロエが孤児院を出て、一人で暮らす事になった。
女の子みたいな名前だけど、僕は一応男のクロエ。
今日で施設を出て一人で暮らす事になった。
仲の良い孤児もいないし、誰も見送りには来ない。
「仕事の紹介くらいはしてやれるからね。いつでも来なさい」
「はい。お世話になりました」
表向き一応心配してくれるが、僕の名前も覚えていない院長に挨拶だけする。
孤児院を出ても、商人にも職人にもなれない。
特別器用な訳でもないし、体が丈夫でもない。
字も自分の名前くらいしか書けない。
何よりも人が恐い。
他人の目が恐い。
基本一人で居たい。
もう仕事は決めてある。世界を跨ぐギルドに入って
ギルドに寄ったら、まずは南へ。東の帝国へ行ってみるつもりだ。
その前に何よりも金を稼がないといけない。
数枚の着替えが入った小さなザックを背負っているが、持ち物はそれだけだ。後は身ひとつ。すぐにでも仕事をしないと食事も出来ない。
土壁の大きな建物ギルドに着いた。
中に入ると、足を止めて目を閉じる。
目が慣れると、昼間でも薄暗い建物内が見えてくる。
この時間は割の良い依頼もなくなり
受付カウンターを見ると、若い女性の職員が座っていた。
「すぅ~……はぁ~……よしっ」
大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。小さく気合いをいれて、その
「あ、あの……登録……あの……」
緊張で声が出ない。
いつもそうだ。モジモジしていると怒鳴られる。早く話さないと怒られると思う程声が出てこない。今、怒鳴られたら泣いてしまいそうだ。
「新規のご登録ですか」
受付の女性は不快も見せずに声を掛けてくれた。
僕は勢い良く何度も頷く。
「字は書けますか?」
「な、名前だけ……なら……かけ、書けましゅ」
噛んだ。泣きそうだ。優しく接してくれているのに泣きそうだ。
「では、ここに名前を記入してください」
怒りも見せず、バカにもせず、変に笑顔も見せず淡々と、事務的に話してくれる。
「は、はい」
お蔭で少し落ち着いた僕は、何かの皮のような物に名前を書く。
「クロエさんですね。冒険者の登録でよろしいでしょうか」
女みたいな名前だと笑いもせず、仕事を進めてくれる。
学がないので
低ランクだと依頼を受けるのに保証金が必要らしいけれど、銅貨すら持っていないし、人と接するのが苦手な僕は依頼を受けるのも辛いので、
街中で働けないので
少し怖いけれども賞金稼ぎのような
犯罪者相手は無理だけど、薬草の採取などもあるらしいし、弱い魔物なら僕でもどうにかなるかもしれない。
弱い魔物なら討伐依頼も出ないという事に、この時は気付いていなかった。
「あ、あの……狩人……で、あ、あの……お願いします」
「狩人ですね。出身はどちらですか」
「あ、あの……この街の、孤児院です」
「はい。分かりました。暫くお待ちください」
まだ若く見えるのに、プロフェッショナルなお姉さんだ。
ギルドに登録するなんて、まともな人間の方が少ないのだろう。変わった人の相手は慣れているのかもしれない。
「お待たせしました。こちらがクロエさんの認識票です」
戻って来たおねえさんが、ドッグタグを渡してくれた。
これで僕もギルドの狩人なんだ。
「人か魔物か、どちらを狙いますか」
「ぇ……あ、あの、マモノで……お願い、です」
「はい。ではこちらが近辺の手配魔物です。街ごとの手配もありますので、別の街へ行ったら手配書の確認をお願いします。……それと、こちらはギルドで買い取っている薬草類となります。よろしければ御確認ください」
羊皮紙のような物の束を受け取った。手配中の魔物の名前、特徴が書かれていた。
その姿も描かれたものもあったが、描かない方がマシな気がしなくもない、個性的な絵だった。さらに、何かを察してくれたお姉さんは薬草類のリストもくれた。
「あ、ありがと、ございます」
たった一言だが、礼の言葉を必死に絞り出す。
ペコペコと頭を下げながらギルドを出る。
「あぅ……」
薄暗い建物内から出て、外の強い日差しが目に刺さる。
でも、これで狩人になれたんだ。
早速、薬草のリストを確認する。
街を出て荒野を東へ向かい、海辺まで行くと自生しているものがあるようだ。
少し遠いが、取り敢えず海へ向かう事にした。
出た事のない街の外をなめていた。
魔物と戦う気がなかった僕は、戦闘を想定していなかった。
当たり前の事だったのだが、こちらにその意思がなくても魔物は襲ってくる。
海辺で薬草を探し始めると、海からナニカが飛び出してきた。
ソレは人型に近いが全身を魚のような鱗に包まれていた。短い尾ヒレと魚のような頭、その口には鋭い牙がならんでいる。どこを見ているのか分からない大きな魚眼。
水かきのついた手には、大きな三又の銛を掴んでいた。とてもじゃないが、友好的には見えない。魔物は体の割に細い脚で地を蹴り、飛び掛かってきた。
必死に抵抗するが、転んで倒れた僕に銛が迫る。
初めて見た海、初めて歩いた荒野。そして初めて感じる死の恐怖。
いやだ。いやだ!
死にたくない!
「わぁ、うわぁあああっ!」
生まれて初めてかも知れない程の叫び声をあげる。
死にたくないなら、踠くしかないじゃないか。
右側へ無理矢理捻った体の脇を銛が突き抜ける。
銛が左腕をかすり抉っていくが、痛みはなかった。二の腕から血が飛び散るのも構わず右手に触れた硬いものを掴む。
運良くそれは、こぶし大の石だった。
碌に確認もせず振り上げ、殴りかかる。
「ギョイィ!」
振り回した石は銛を掴んだ魚人の指を潰した。痛みを感じた悲鳴なのか、奇妙な音を漏らす魚人が怯んだ。そんな気がする。
「うわぁああっ!」
短い雄叫びと共に起き上がり、魚人に突撃する。
夢中で抱き着き押し倒した魚人へ跨り、手にした石で殴りつける。
全て勢いと運だが、倒れた魚人の潰れた手から銛がこぼれる。
狙いも何もなく叩きつけた石が魚の目に沈み込む。
息をする事も忘れ、無我夢中で叩き続けた。
大きな魚眼が潰れ顔から飛び出し、牙も折れ、顔の硬い鱗も剥がれて飛び散る。
気が付くと頭の潰れた魚人は動かなくなっていた。
「ぶはぁ~……はぁ、はぁ……生きてる。生き残った……」
大きく息を吐き出し、忘れていた呼吸を始めながら、魚から離れて尻を着く。
今更抉られた腕が焼けるように痛みだした。
「いたた……でも、生きてる。生き残ったんだ」
狩人となった僕の初戦闘は、何をしたのか覚えていないけれど、僕の勝利で生き残れた。海の魔物が一匹だけな訳もないのに、力が抜けて体が震えだす。
仰向けに大の字になったまま空を見上げる。
「は…はは……雲一つないや。……おなか空いたなぁ。腕痛いし……」
空を見上げながら、何故か涙が溢れ出していた。
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