イキビキ

成屋6介

ある体験談

 今から書くのはとある女性――A氏の体験談だ。彼女は現在一人暮らしで地元の文具問屋で事務員として働いている。去年まで東京に住んでいたが以下に記すある体験をきっかけに仕事を辞めて引っ越してきたそうだ。蒸し暑い時期だったにも関わらず、取材中彼女の腕から鳥肌が消えなかったのを覚えている。

 体験談は彼女の言葉をそのまま使用しているわけではないことにご留意頂きたい。また本作を読んだ後、読者の皆様の周囲で何かしらの奇妙な偶然が起きたとしてもそこに本作との因果関係は無いものと理解してほしい。



 リナに会ったのは半年ぶりでした。彼女は大学で知り合った友達で、在学中はいつも一緒にいました。でも就職してからはお互い忙しく、SNSで近況をぼんやり把握する程度になって、それもだんだんチェックする頻度が少なくなって、なんとなく疎遠になってしまっていました。

 リナはもともと明るく社交的で喜怒哀楽の激しいタイプでした。だからS駅の改札口で弱々しい笑顔で手を振る彼女に戸惑ったのを覚えています。

 駅で合流してから私たちは近くのカフェに入りました。席について、お茶とケーキが運ばれてきて、私がリナに近況を訊ねるとすぐに原因が分かりました。

 ペットロスでした。リナは大学1年生の頃から自宅マンションで小型犬を飼っていました。パピヨンという犬種の耳が大きくて小さな犬で、名前はペペ。学校に通いながら一人で世話をするのは大変そうでしたが、リナの実家が裕福なこともありなんとかやっていけていました。リナはとても寂しがり屋だったので、たぶん一人暮らしに耐えられなかったんだと思います。ペペを飼うまでは毎日のように私の家に泊まりに来てましたから。そんな寂しがり屋なリナだったのでペペのことは本当に可愛がっていました。ペペの誕生日にリナがペットショップから犬用のケーキを買ってきたことがあります。二人でハッピーバースデイを歌っていると興奮したペペがリナの腕から抜け出してケーキの上に飛び乗って、そのままクリームまみれで部屋中を走り回ったことがあって……すみません、話が逸れました。

 ペペが死んでしまったのは私たちが会う一月前のことだったそうです。リナが仕事から帰ってくると部屋の電気が点かない。いつもなら駆け寄ってくるはずのペペも来ない。不審に思いながらスマホのライトで部屋を照らすと空気清浄機の傍にペペが横たわっていたそうです。空気清浄機のコードを噛んでいたずらしたせいで感電、してしまったんです。リナは朝日で明るくなるまでブレーカーを上げることもできずに泣いていたそうです。

 それから会社を休み、食事も喉を通らない状態が続いていると言っていました。今日だって私から誘われなければまだ一人で部屋に籠っていただろう、なんて言っていました。

 そんな事情を聞いて私も思わず泣いてしまいました。リナも話しているうちに涙ぐんできて、結局お昼のカフェで二人してわんわん泣きながらペペの思い出話をしました。変ですよね。大人の女が二人で。で、その日は結局服やカバンを見に行くんじゃなくて、渋るリナを半ば強引にペットショップに連れて行きました。彼女は寂しがり屋なのでこのまま一人きりだといつまでもペペのことを引きずってしまいそうだなって思ったんです。ペットショップから帰るころにはリナもだいぶ元の調子を取り戻していました。帰り際にはもう少し気持ちが落ち着いたら新しい子をお迎えしたいなんて言ってたので私もほっとしたのを覚えています。

 それからしばらく経った頃でした。リナのインスタに子犬の写真が投稿されたんです。こげ茶色の日本犬でした。子犬らしい短い脚なのにしっかり踏ん張って立っている様子が可愛いかったです。コメントには「ひとめぼれ」みたいなことが書いてありました。

 投稿から数日後、二人で仕事帰りに会いました。前回とは打って変わって溌溂とした様子のリナを見てとても安心しました。私の知っているリナだって思ってとても嬉しかったです。

 その日はそのままレストランに入ってお互いの近況報告をしました。他愛もない話でひとしきり盛り上がった後、インスタに上げられていた子犬のことも聞いてみました。リナが言うには気持ちが落ち着いてくるとまたペットが飼いたくなって市内の里親募集で検索をしてみたそうです。すると何件かヒットして、一番近いところを見に行ったら運命の出会いだった、と。生後半年の豆柴だそうです。

 ペット自慢になるともうリナは止まりません。あの仕草が可愛い、この表情が愛らしいと写真を見せながらマシンガントークをしてくれたのですが、一つだけ気になることがありました。その、新しく飼った子犬の名前です。


 ここでそのA氏は私に「ペンを貸してください」と言った。怪訝に思いながらも私はメモを取っていたペンと用紙を渡した。彼女はそれらを受け取り少し時間を空けてから「イキビキ」と書いた。以降彼女はこの名前を口にする必要があるときはメモを指さすのだが、分かりやすくするために今後の文章では彼女の口から「イキビキ」と語られた体で記すことを許してほしい。


 これが子犬の名前です。何度も聞いたので間違いはありません。リナの口からその言葉が出てきたとき、なんだか嫌な発音だなって思いました。妙に唾液の音が響いて水っぽくて、それでいて金属を引っ掻いたときみたいな軋んだ音がするような、そういう印象を受けました。もちろんその時はそんなことは言わずに変わった名前だねくらいで済ませたんですけど、やっぱり変ですよね。

 これ、ペットの名前とかじゃなないですよね。なんとなく。でもリナが名前の事に特に触れないので私も何となく聞けずにその日は終わりました。

 しばらくリナのインスタはイキビキの写真ばかり上がっていました。名前はともかく見た目は普通の子犬で、リナもとても可愛がっているようなので私もそんな二人の様子を見たくて更新を楽しみにしていました。だけど終わりは突然やってきました。ある日、黒っぽい染みのあるアスファルトの写真がぽつりとアップされてコメントに一言、

「イキビキは死にました」

 写真を見た時にとてもショックを受けました。リナは冗談でそんなことをするような人ではないし、本当に死んでしまったのならあまりに早すぎる、そう思ったからです。今思えばコメントもなんだかそっけなくて不気味なんですが、当時はリナがだいぶ病んでるなって思ったんです。だからすぐにDMを送って会う約束を取り付けたんですけど……。

 前と同じカフェで待ち合わせしました。「お待たせ!」と笑顔で席に着いたリナを見て私はあの投稿が質の悪い冗談だったんだと思いました。店員さんに注文が終わってからすっかり騙されたと伝えるとリナは

「ううん。イキビキは死んだよ」

と真顔で言うのです。部屋で遊ばしている最中に開いていた窓からベランダに出て、そのまま柵の隙間から落ちてしまったそうです。リナの部屋はマンションの7階、即死だったそうです。突然すぎるお別れ、しかも自分の過失を責めてしまいそうな状況にも関わらずリナは平然としていました。私がもう大丈夫なのかとおそるおそる訊くと

「大丈夫、もう次の子飼ってるから」

運ばれてきたアイスティーのストローをストローで混ぜながらリナは笑顔で答えました。

「へえ……どんな子?」

聞きたかったのはそんなことではありません。でもなんとなく口にしてしまいました。たぶん理解が追い付いていなかったのでしょう。リナはスマホで写真を見せてくれました。でもその写真が私をさらに混乱させました。12畳のダイニングキッチンでリナと一緒に写っているそれはゴールデンレトリーバーの、おそらくは成犬でした。どうかすると華奢なリナよりも大きく見えるそれとリナは仲良さげに座って寄り添っていました。そこから先はあまり話が頭に入ってきませんでしたがイキビキが死んでしまった後、SNSで県内のブリーダーを探して譲ってもらったとか、今度は柵の隙間から落ちる心配はないとか、抱きしめると安心感があるとかいろいろ言っていました。


「それでね、この子の名前もイキビキにしたの」


 その言葉で急に現実に引き戻された感じがしたのを覚えています。私がもう一度聞き返すとリナはもう一度ゆっくり「イキビキ」と繰り返しました。新しく飼ったペットの名前に昔のペットの名前を付けるという行為は2DKのマンションの室内で大型犬を飼う行為に比べればまだ理解できるはずです。ですがその名前を聞いたときに私はその場からすぐに離れたいほどの嫌悪感を感じました。その後は適当に相槌を打ってペットの話題を切り上げました。それ以外のリナはいたって普通で、散々遊んだ後に来週も会う約束を取り付けてから

「あ、そろそろイキビキのご飯の時間だから帰るね。今日はありがと」

なんて言われるまでは異様なペット生活の事なんてすっかり忘れてしまっていました。思い出してから遊ぶ約束をしたことを少し後悔しました。


 ここで私はリナさんのインスタを見せてもらえないか頼んでみた。こういった体験談を聞くことはままあるが(本件の内容の異様さはおいておくとして)物証が残っているケースというのは滅多にない。少しためらった後A氏は私にリナさんのアカウントを教えてくれた。彼女は既にリナさんをブロックしているらしい。この後に語られる出来事をきっかけに彼女はリナさんを完全に自分の生活から排除したそうだ。


 約束の日の前日、ロフトから垂れ下がった首輪とリードの写真に

「イキビキは死にました」

と添えられた画像がインスタに投稿されました。きっとリナは落ち込んでいると思いました。いえ、今思えば落ち込んでいてほしかったのだと思います。もしリナと会った時にいつも通りの明るいリナだったら、何かすごく気持ちが悪いからです。

 いつものカフェで覚悟を決めて待ちました。約束の時間から5分遅れて、入口の扉が開き、リナが入ってきました。店内を見回して私を見つけるとこちらにやってきます。私はその時リナと会うのはこれを最後にしようと決意しました。こちらに歩いてくるリナは満面の笑みを浮かべていました。心底楽しそうに。昨日ペットを失ったはずの彼女は席に着くなり口を開きました。

「ねえ聞いて、新しい子飼っちゃった」

 インスタに投稿があったのは昨夜の20時過ぎでした。今はお昼の1時。選ぶどころか立ち直る時間すらないはずです。私は曖昧に返事をしながら帰る口実を探し始めていました。目の前のいつものリナが理解の範疇を超えた気味の悪い異様な存在に思えたからです。

 リナは私の様子などお構いなしにテーブルの上にスマホを取り出して写真を表示しました。籠に入った小鳥でした。インコだったと思います。

「朝一でペットショップに行ってね、すぐに買えそうなのがこの子だけだったの」

リナが写真を探し始めた時点で大型犬の次は何がくるかと身構えていたので、その常識的なペットに少し安心しました。四角い籠の真ん中に止まり木が渡してあって、そこに立つ黄色い小さな鳥。「可愛いね」と口に出そうとして私はあることに気付きました。

「リナ、車持ってたっけ?」

写真は車内で撮られたものらしく、籠を助手席に置いているようでした。

「ううん?新しい子を買うために予約して借りたの」

予約は昨夜の内にネットで済ませたそうです。時系列がおかしいような気もしましたが、深く考えるのが怖かったので何も言いませんでした。

 それからしばらく小鳥の話題は避けて話しました。深堀りすればするほど気味の悪い思いをしそうだったからです。頃合いを見て私はアイスティーを飲み干して席を立ちました。まだ日も落ちていませんでした。

「そろそろ行こっか。リナが元気そうでよかった」

思わず口から皮肉がこぼれてしまいました。リナはまだ話したりないと渋りましたがこの後用事があると嘘を吐くとすんなり引き下がりました。

 リナと別れて電車に乗り、座席に座るとどっと疲れが押し寄せてきました。そのまま目を閉じてひと眠りしようとしたところで、スマホにLINEの通知が来ました。リナからです。遊びの約束なら断ろう、そんな風に思いながら通知を開くと写真が送られてきていました。先ほど見た車内で撮った籠の中の小鳥の写真……ではありませんでした。車内で撮ったことに変わりはありませんが先ほどの写真とは違うところがあります。小鳥は止まり木に止まっておらず、籠の底に落ちていました。羽を固く縮めて虚ろに目を開いたその写真はどう見ても。そして私が既読をつけるのを待っていたかのようにメッセージが送られてきました。

「イキビキは死にました」

小さく悲鳴を上げてスマホを落とした私に視線が集まりました。


 その件を切っ掛けにA氏はリナさんをブロックし、関係を絶ったそうだ。推測するに車は日なたに停められており、インコは熱中症か何かで死んだのだろう。これだけ聞くと単なる不注意による事故だが、一連の話と繋げて聞くとリナさんの故意である可能性も否めない。

 そしてつい最近、偶然にも彼女はリナさんと出会ったそうだ。


 あれからリナと会わないで、インスタもLINEもブロックしました。S駅の周辺にも近寄らないようにして接触することを避けました。それなのに先月、リナと偶然出会ってしまったんです。

 その日私は仕事帰りにスーパーに寄ったところでした。お惣菜を買ってお店から出たところで声を掛けられました。振り返るとリナが立っていました。食材の乗ったカートを押しながら笑顔で手を振っています。

「やっぱり○○だ!久しぶり!」

懐かしいテンションで話しかける彼女のお腹は大きく膨らんでいました。私の視線に気づくとリナは愛おしそうにお腹に手を置き

「そうなの、私もついにお母さんデビューしちゃった」

優し気に微笑むんです。

「え、知らなかった。結婚したの?」

と私が聞くとリナは静かに首を横に振りました。まずいことを聞いてしまったかと私が少し焦るとリナはそのままお腹を撫でながら

「夢でね、会いに来てくれるの」

奇妙なことを言いました。

「夢でね、今まで死んじゃった子たちが会いに来てくれるの。みんなで私のところに来て、顔をなめたり足にすり寄ったりして甘えてきて、可愛いな可愛いなって皆を撫でてたらその内私の足の間に入ってくる子が出てきてね。最初は私に甘えてるのかと思ったけど違うの。足の間に入ってそのまま私のことを舐めたり啄んだり、顔の周りにいた子たちも耳を甘噛みしたり、口の中に舌を入れてきたりして。毎晩そうだったの。新しい子を飼ってもすぐに死んじゃって、死ぬ度に夢に出てくる子が増えてみんなで私をよってたかって。だからね、このお腹の子はみんなの子なの」

何を言っているのか分かりませんでした。分かりませんでしたが、その不気味な夢の話をしているリナの表情がすごく穏やかで優し気で、そのギャップのせいかなんだかとても忌まわしいものに触れているような気がして鳥肌がおさまりませんでした。

「だからね、私大切に育てるよ」

リナはお腹に向かって語り掛けます。そして、次の言葉を私はもう忘れられないのだと思います。


「元気に生まれてきてね。――イキビキ」


 そこからの事はあまり覚えていません。リナと会わないように仕事も辞めてここまで引っ越してきました。


 A氏と別れた後、リナさんのインスタグラムのアカウントを確認してみたが凍結されてしまっていた。また、実際にリナさんの住んでいたというマンションも訪れてみたがこちらも既に退去済みだった。得られたのはリナさんが何らかのトラブルを起こしてしまい出て行ったという情報だけだった。リナさんの実家への取材はA氏に強く止められたため、本件に関して追加情報はない。


 令和4年6月14日、本稿執筆中にエアーポンプの事故により筆者が飼っていた金魚が全て死んでしまった事を追記しておく。

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イキビキ 成屋6介 @jituwaningen

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