推しはまだ見ぬ2.5次元
野月よひら
推しはまだ見ぬ2.5次元
「ごめんなさい!」
あたしは謝った。ごめんね、好きなになった子がこんな子でほんとごめん。でもあなたとは付き合えない。別に顔が嫌いだとか、性格が無理とかじゃない。友だちとしては全然アリなんだけど、どうしても付き合えないの。
だってあたし、二次元にしか興味ないんだもん。
「断ったぁー?」
驚いたように声を挙げたのは、親友の
美香もしまったというように口を押さえ、ひそひそと声を潜めながら話を続けた。
「うそでしょ、
「無理無理、あたしは、そういうのいいもん」
「のんちゃんはさあ、顔もかわいいし頭もいいじゃん。なんでそれでパートナー作んないのかなって、告白されたことない私は思うわけよ」
中学三年生の三月中旬。もう受験組もあらかた落ち着いて、短縮授業ばっかりだ。あとは卒業を待つばかりのこの時期を
「だって、あたし、二次元にしか興味ないから……」
「でた。それそれ、ほんと意味わかんない」
美香はふてくされた顔で机に突っ伏した。
「あのね、
「はい」
「あなたは人間です」
「はい」
「二次元は、この世に存在しません」
「そ、そんなことない! だってほら、これ今のあたしの
あたしはスマホに保存していた推しの動画を美香に見せる。今ハマってるのは、恋愛シミュレーションのアプリゲームだった。その中に出てくるキャラクターの一人、ユージーンっていうキャラクターにめちゃくちゃハマってるんだよね。
影があって、メインキャラクターの王子の
まくしたてるように言葉を重ねたあたしに、美香は呆れたようにため息を吐いた。
「……のんちゃん」
「……はい」
「……まあ、いいけどさ。考え方は人それぞれだから、いいけどさ」
美香はそう言ってクシャっと笑った。
「なんつーか、私はね、あんたが自分で世界を
「……そうかな」
「うん。まあ、今はその推し? に夢中なのはわかったから。あんたが幸せならそれでいいや」
本屋に寄るっていう美香と別れて、あたしはぶらぶらと
夜には真っ暗になるこの土手も、昼間なら怖くない。犬の散歩やジョギングをしている人とすれ違いながら、あたしはゆるゆると歩く。
もう学校も終わっちゃうんだな、なんてセンチメンタルな気分になっていた時だった。
「――だって、言ってるだろ!」
緊迫感のある声に、あたしは声のする方を見る。ケンカかな、だったら怖いなと思ったけど、予想に反して声の主は一人だった。
「……
河原のグラウンドで、一人。何やら声を挙げていたのは、クラスメートの
「だから、俺はお前が好きだって、言ってるだろ!」
え、なに、これ、公開告白!?
あたしは思わず周りを見渡した。でも、誰もいない。グラウンドには河村だけだ。
河村は頭をかき、スマホを耳に当ててしかめっ面をする。舌打ちをしてもう一度。
「だから、俺はお前が……好きだって言ってるだろ!」
うそ、まじで。
あたしは驚いた。さっきと全然声が違う。
……ううん、声は一緒なんだ。でも、その空気というか、声の持ち主は確かに河村なのに、まるで別人のような雰囲気に聞こえたんだ。
あたしは心底驚いたものだから、自分の手からカバンが落ちたことにも気づかなかった。ドサッと小さくはない音がして、河村がハッとこちらを見た。
「く、倉橋……」
気まずい。
「あ、ううん、あの、ごめん!」
思わず
「いや、違うんだ、これは……!」
「あ、あたしすぐ消えるからさ、だからその、頑張って!」
「いや、だから違うんだって、俺、別に告白とかしてるんじゃないから!」
「へ……?」
「ちゃんと話すから……こっち、来いよ」
河村は恥ずかしそうに頭をかき、手招きをした。
「えっ……声優に!?」
グラウンドに降りるための階段に腰掛けて、あたしは河村の話を聞いていた。
「声優って、あの声優? アニメとか映画とかの!?」
「そうだよ! くそ……なんで倉橋がここに来るんだよ……しくったわ……」
そう言って河村は手で顔を
「誰にも言うなよ。……実は、この間、事務所に入ったんだ」
「声優事務所?」
「そう。で、オーディションに送るためのサンプルボイスってやつを
なるほど、とあたしは手を打った。
「さっきのはセリフの練習だったってこと?」
「そう」
「そっか……! すごいじゃん、河村!」
本音だった。だって河村、普段と全然違ったんだもん。
「一回目に聞いたのと、二回目に聞いたのとで印象が全然違ったもん。すごいよ、河村! オーディションも絶対合格するよ!」
あたしはついはしゃいでしまう。身近な人が、あたしの大好きな二次元の世界に飛び込んでるんだよ。こんなの、興奮しないわけがないじゃない。
あたしがそう言うと、河村は疲れたみたいに笑った。
「……いや、無理だよ。このセリフ、これじゃダメなんだ」
「ダメ?」
「そう。今度のオーディションさ、恋愛アプリゲームのやつなんだけど。俺が受ける予定のキャラのイメージがまだつかめてないんだ。だから、なんか
恋愛アプリゲーム?
「ねえ」
あたしはワクワクが止まらなかった。
「あたし、手伝えるかもしんない」
「は?」
「あたし、今、三度の飯より恋愛アプリゲームが好きだから! どんなキャラなの!? 王子系? やんちゃ系? それともかわいい系!? 大体のキャラならやりこんでるから、意見とか言えると思うよ!」
そう高らかに宣言すると、河村は一瞬ぽかんとした顔になる。そのまま体をくの字に折って笑い始めた。
「……っく、はは、お前、すげえな」
「笑うことなくない!?」
「悪い、熱量が……。いや」
河村はまだ
「ごめん、そうだな、俺はお前みたいにゲームが好きな人に楽しんでもらいたくて、オーディション受けるんだ。笑ったりしたらバチが当たるな」
「なんか、急に真面目じゃん」
「最初から真面目だっつの。……じゃ、悪いけど、意見聞いてもいいか?」
もちろんですとも!
河村が見せたスマホには、細かなメモが書いてあった。そっか、キャラビジュアルとかは見せちゃいけないんだろうな。
「えっと、ちょっと影があって、真面目で、主人公のことを好きになっちゃいけないと思っている。でも本当は
あれ、このキャラクターの感じ、もしかして。あたしの今の推し、ユージーンとおんなじタイプなんじゃない!?
「わかるか?」
心配そうに声を挙げる河村に、あたしは自信満々で頷いた。
「任せて!」
「じゃあ、さっそく」
そう言うと、河村は立ち上がった。階段を数段降りて、あたしと同じ目線になる。
「だから、俺はお前が! 好きだって言ってるだろ!」
姿勢を正して、力強い目で河村は叫ぶ。
「……どうだった?」
「うーん」
悪くない。というか、むしろかっこいい。でも、さっきのキャラクターの感じとあっているかと言われるると……。
「ちょっと激しすぎな気がする」
「激情家ってところを出してみたんだけど……」
「うん、まっすぐなキャラだったらいいと思うんだけど、今回のキャラは影があって真面目で、主人公のことを好きになっちゃいけないって思ってるんでしょ?」
「ああ」
「そしたら、もうちょっとこう……言っちゃいけないのに、
「よし、やってみよう」
河村の声が耳に届く。なんだか不思議な感じだ。こうしてクラスメートの声に真剣に向き合ったことがないからかもしれない。なんだか心の奥がむずむずして、そわそわした気分になる。
河村は真剣だった。あたしの言うことに納得してくれて、それを自分の声で表現しようとしている。何度も何度も言い方を変えて、そのたびに声の印象がどんどん変わっていく。
少しずつ、陽が落ちてきた。
金色の太陽の光が、ゆっくりグラウンドを染めていく。あたしは河村の声に
いったい何度目のトライだろう。河村はカバンから取り出したペットボトルの水を飲み干し、手の甲で唇を
真剣な目であたしを見つめる。
ひと呼吸。
あたしも思わずごくりと喉を鳴らす。
「だから俺は! お前が……好きだって、言ってるだろ……!」
体中の血が湧き上がるみたいな感覚にあたしは思わず口を押えた。信じられない。胸がどきどきして、のどがカラカラに干上がって、今にも叫び出したいくらい。
「……やば」
思わず声に出る。河村は不安そうに、でもまっすぐあたしを見ている。その視線がなんだかとても恥ずかしくて、思わずうつむいた。
「どうだった?」
顔、上げらんない。うつむいたまま、あたしは何度も
「そっか、ああ、よかった……!」
その
「つかめた気がする。めっちゃうれしいわ」
胸がドキンと跳ね上がった。なんだろう、まるで推しを初めて見たときのような、興奮と感動が入り混じった感覚に、あたしは
河村はすっと片手を差し出した。
「倉橋のおかげだ。まじ、ありがとな」
おずおずとその手を握った。掌越しの温度の熱さに、あたしはなんだか涙が出そうになった。
遅くなったし、送るわ。と言って、河村はあたしの
夕陽に照らされた土手に、あたしと河村の影が長く伸びている。
「あのさ」
河村が声を挙げる。
「……俺、頑張るわ」
「うん」
河村の声が耳にやさしく届く。さっきの、ユージーンみたいな声じゃない。いつもの河村なのに、なんでこんなにドキドキするんだろう。
「オーディション、落ちたらごめんな」
「そんなの関係ないよ」
あたしは思わず声を挙げる。
「あたし、河村のファン一号だもん」
そう言うと、河村は「ありがとな」と言って嬉しそうに笑った。
「のんちゃん、またアプリなの?」
ファーストフード店のイスにもたれかかりながら、美香は呆れたようにため息を吐いた。
あたしは息をつめながら、アプリのダウンロード画面に食いついている。今日は待ちに待ったアプリの先行配信の日なんだもん。これだけは絶対に譲れない!
「やった、百パーセント! あ~楽しみ! ほんとたまんない!」
「あんたね……」
美香は苦笑しながらあたしを見た。
「高校生になっても、二次元かぁ」
「……ううん、ちがうよ」
タイトルコール。
「しいて言えば、二・五次元かな」
スマホの向こうで、あたしの推しの声が聞こえた。
推しはまだ見ぬ2.5次元 野月よひら @yohira-azuma
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