第11話 実践と鍛錬

 このようにして準備万端整った頃から、僕らは放課後に集まってつけペンの使い方の練習をしながら応募作のストーリー内容を話し合う日々が始まったのだった。

 件の新人賞の締め切りまで半年もなく、余裕もチュートリアルもないただただ鍛錬の日々が幕を開けたのである。

 やっていることは文化系このうえないが精神的には体育会系、さらにバイスは弱音や泣き言などのネガティブ発言は冗談でも許してはくれなかった。

 僕が手を休めがてらとりとめのない話を始めようとすると、バイスは作画時のみ装着される茜色をしたフレームの眼鏡のブリッジをくりっと右手人差し指の腹で上げ、

「手元が留守だぞ、タケオ」

などと容赦なく言い、作業へ帰還させられた。

 僕は日に日にその大きさと痛みが増していくペンだこに目を落としながら、何とかして離脱をしてしまおうかと考えた。

 だがしかし、ここから逃げてもどのみちバイスとは教室で顔を合わせてしまう。

 そこで毎日気まずい思いをするなんて、器の小さい僕には想像するだに恐ろしいことであった。

 ゆえに、なす術もなく僕は粛々と作業に戻らざるを得なかったのだが、人体というものはその鍛錬が厳しければ厳しいほど、それを達成した際に爽快な脳内物質が飛び出すという非常な便利な仕掛けになっている。

 僕は途中からバイスに、

「ペンの使い方がうまくなったな!」

とか、

「生きた線が引けているぞ!」

とか、

「その話の展開はいいな!」

といった言葉をかけられるたびに、奇妙な心地よさを覚えてしまい、ついにはパブロフのなんとやらよろしく、そのたびに脳内快楽物質が出てくるようにすっかりリプログラミングされてしまったのである。

 こうなっては、もうすでにここを去る理由は消え失せ、僕はひたすらに紙に同じ長さで同じ太さの線を引き続けるという作業に、日々、没頭することとなってしまったのだった。

 自分のことながらその単純さには苦言の一つも言いたくなるが、そんな苦言を聞かされるのは嫌なので、あまり深く考えないことにした。

 ちなみに、僕は漫画描きについては素人以下の能力しか持ちえず、基本的にはストーリー補助及び作画補助見習いという立場でいた。

 一方、バイスはなんと言ってもとにかく絵がうまかった。

 もっとも、田舎の高校生のものさしで計ったところで、その度合いもたかがしれようものだが、それでも手放しで賞賛するに値する才覚にあふれていたのである。

「ふん」

 僕の指摘にバイスはさらりと前髪を揺らして、小首などをかしげた。

 そして、シャハッと枠線を引き下ろすと、

「ちょっとばかり絵がうまいだけではダメだ。漫画と言うのはそれほど単純なものではない」

となんでもないことのように言った。

 確かにそういうものだろうなと思ったが、そうあっさりと言い切ってしまうこともないのではなかろうかとも思い、

「かもしれないけど、僕はバイスの絵はいいと思う!」

などと無駄に力を込めて言うと、何故かバイスはわずかに赤面などした。

 そんなバイスを見ていると、僕も非常にうなじがくすぐったくなった。

 二人でもぞもぞとしていると、バイスは少しいらだったような声で、

「いいから、はやく紙面に真円を描く作業に戻るんだ」

 と僕にうながし、しばしペン先が紙の繊維を削り取る音だけが部屋の中に響くだけとなった。

 まったく恥ずかしい話だが、僕らはほめることにもほめられることになれていなかったのだ。

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