第7話 証拠と投稿先

 僕は堂々と証明書類の提出を要求した。

 ええー、と彼女は眉を八の字にして泣きそうな表情になった。

「なるほど、証拠、か。さすが、僕、慎重だな」

 うーんと腕組みをし、彼女は唇を突き出して考え出した。

 先ほどから、身振り手振りに表情まで加えて実に豊かな表現を用いて会話しているが、これだけを見てもどう考えても現在のこの僕とは真逆であるように思われる。

 現在のこの僕と言ったら、愛想笑いと微苦笑とギリギリ退屈そうにみえない平坦な表情で大部分が構成されているのだ。

 これを真逆と言わずに何と言おうか。

 もっとも、明日、雷に打たれて性格が一変する可能性もゼロではない。

 さらに言えば、10年間とはこれほどの大きな変化が容易に起こるほどの年月であるのかもしれない。

 そんなふうに僕が考えていると、

「つまり、あれだな」

 ぽん、と彼女は手を打つ。

 その動きで、彼女はイスごとゆあんと揺れた。

「なにか、『僕たち』にしかわからないことを言えればいいわけだな」

「基本的にはそうなんですが」

「ん?」

 僕にしかわからない秘密を披露する。

 確かに本人確認には有効な手であり、それだけで話がすむなら簡単なのだ。

 ちょっとややこしいのはこの先だ。

「今現在は僕しか知らない秘密でも、今後10年で僕が酔った勢いで露悪趣味に目覚めた時か、心を病んで心療内科を受診した時か、取調室で情の厚い刑事さんにほだされた時か、まあ、とにかく、どこかでしゃべっているかもしれないじゃないですか? そうなると、『10年後から来た他人でもその秘密を共有している可能性がある』わけです。その可能性を前提にしなくてはいけませんよね?」

「細かい性格してるなあ」

 少し引いた様子の彼女にショックを受けたので、僕は冷徹に追撃を加えてみる。

「おや、同じ僕とも思われない発言ですね?」

 む、と口をつぐむ彼女。しかしすぐに、

「あのねー」

と、再び諭すような声で彼女は言った。

「君は過去の僕だ。今の僕とは違う。それとも、なんだい? 君は生まれてこの方、首尾一貫した言動でもって生きてきたと言えるの?」

「少なくとも性別は首尾一貫してましたけれども」

 もちろん今後10年間のどこかで女装癖に開眼する可能性もまったくないとは言えないが。

 しばし彼女は口を四角にして珍奇な生物を見るような目で僕を見ていたが、かくっと彼女は首を落とした。

「んまっ、いいや」

 どうやら、何かを諦めてしまったようである。

「えーと、じゃー、僕が、絶っ対に、絶っっ対に、たとえ親兄弟が人質にとられようとも、工作機関に拷問にかけられようとも、口にしないような、そういう秘密をここで言えば、僕が君だと納得してくれるわけなのね?」

「そうですね」

「これは念のために訊くんだけど」

 彼女は疲れた顔で言った。

「君には、そんな秘密の心あたりはあるんでしょうね?」

「思いつきもしませんね!!」

 僕は即答した。

 ゆあん、と大きくイスが揺れると彼女は地面にずぺーと顔から落ちた。

 もう、スカートがめくれようがおかまいなしの動きの効果に徹したオーバーアクションである。

「お前な~~~~」

 古式ゆかしきリアクション芸のおまけとして顔面にちりばめられた砂粒も払わずに、彼女はぶるぶると震えながら立ち上がる。

 盛大な頑張りを見せていただいてから申し上げるのも恐縮だが立証責任は先方にあるわけなので僕の方から何かを言うのも筋違いというものであろう。

「あーっ! もういい」

 彼女はイスに座り直すと、あっさりと努力を放棄した。

「もう知らん。時間もないんで、用件だけすまさせてもらいますっ!」

 本来なら、彼女が立証を断念した時点でとっとと帰ってしまってもよさそうだが、かわいい女の子とお話しできる機会などそうそうない自分の現状を踏まえてもう少しだけちょっと困った性格の彼女に付き合ってあげることにする。

「どうぞ。聞くだけならばうけたまりますよ」

 そうか、と彼女はうつむいてつぶやいた。

 そこから数瞬、彼女は逡巡しゅんじゅんした。

 果たしてこれを告げてよいものか。

 告げる内容はこれでよいのか。

 告げるタイミングは本当に今が最適なのか。

 あらかじめ吟味を重ねたであろう「その言葉」をもう一度口の中で反芻はんすうするような、リアルな『間』である。

 ひょっとして彼女は、言わないかもしれない、と僕は直観したが案の定はずれてしまう。

 彼女はすぐに顔をあげた。

 そして、まっすぐな瞳で僕を撃ち抜きながらズバリと用件を言い切った。


「今、バイスと描いている漫画は、甚大社じんだいしゃに投稿するな。消力社しょうりきしゃに投稿しろ!」


 今度は、僕がその言葉の意味をはかるために『間』をとらなくてはならなかった。

 彼女の発言は端的で多くの情報が削ぎ落されている。

 しかし、それゆえに、そこには確かに『僕ら』にしか理解できないものがあったのだ。

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