第56話

「え? なんでお前がいるんだ?」


 職員室から戻ってきたここの教室6-3組の担任の先生が、部外者の私に驚きながらも怪訝そうに質問する。


「あらあらまあまぁ。丁度近くを通りかかったので久遠帯々の代わりに久遠九々の荷物を回収しに来ました。それと~……世間体? の会話を少々。――あ、後ろのコレなんですけどこのまま私と一緒に帰ります。校門の外でお父さんが待っておりますので」


「そ、そうか」


 連れて帰ると言ったら眉を顰められたので、外で私達のお父さんが待っている事を伝える。案の定顰めた眉ごと引き下がってくれた。


「では――ん?」


 軽く――ほんの軽く、挨拶以外の何物でもないただの会釈。それが私に既視感を覚えさせた。


「――んっ? ――……あっ! 先生!?」


 既視感の直後、突如として小学校の卒業式の日の記憶が蘇る。それは卒業証書授与で壇上に上がる前、教員席に座っている担任の先生に頭を下げて挨拶をしているシーンだ。


 そして私――六出梨は思い出した。目の前にいるこの先生が、かつての私の担任の先生でもあった事を。


「お前……もしかして今思い出したのか? 前に二宮達と来た時じゃなくて」


「あらあらまあまぁ……はい、本当に全く全然思い出せませんでした。あの頃のままの見た目だったのに。――あぁでも良かった」


 心の底からホッとする。本当に、ホッとした。


「あぁそうだ! 後日、山形県にご住まいの久遠九々の祖父母から”彼女を当分休学させる”旨の連絡があるので対応の方をよろしくお願いいたします」


「は?」


 何言ってんだコイツ? と、声だけでなく表情でも語ってくる。確かに肉親でも親戚ですらない人間からこんな事を言われたら誰だってそうなりますよね?


「あー少し前にですね? 貴方達のお孫さんが学校でイジメを受けている事をやんわりと伝えたんです。そしたら即決でこっちに転校させると言ってました。それはもう凄い剣幕で」


 ふと当時の事を思い出す。――いやはや凄かったよ? 凄い訛だった! 一緒に来ていた淳兄さんも『あれは凄い。日本語なのに日本語じゃなかった』と、滅茶苦茶驚いてた。


「まぁなんとか転校出来ない事情を説明して一旦はやめて貰いましたけど、今回の件と彼女が受けているイジメに金銭が関わっている事、それを担任の先生が知って容認――失敬、黙認していると知ったら……子供や孫を持っていなくてもどうなるかは分かりますよね?」


「っ、証拠が――」


「証拠なら此処に。お金を出したと認めた六出雪兎が居ます。それに、そこの実行犯の男の子三人も兄姉の務め次第でちゃんと認めるんじゃないかな?」


「なっ!」


 現在の教え子でもある六出雪兎が口を割ったという事実に予想以上に狼狽える先生。狼狽え方的にお気に入りの生徒だったのかな?


「あぁ安心して下さい。今回のイジメの件は大事にならないと思います。久遠九々本人がそれを望んでいませんし、今回の……喧嘩? で、心変わりしているとも思えませんので」


「! そ、そうか……」


「――ん?」


 あらあらまあまぁ、ホッとしている? この先生、良かったって安堵してる? 被害者側から校外に漏れる心配がなくなったって思っていらっしゃる? それはそれは、


「あぁ……本当に良かった」


「? 何がだ? そう言えばさっきも言ってたよな? 良かったって」


「えぇ」


 私は先ほどの先生以上の安堵と笑み浮かべて言う――。


「だって――先生は一度生徒を見捨ててちゃんと最後まで見捨て切ったんだ。なら今回だって同じように見捨てて見捨て切れるはずでしょう?」


「あ」


「? あらあらまあまぁ」


 先生の表情が真顔で固まって口元と目元が小刻みに痙攣していらっしゃる。どうやら今度は私が地雷を踏んだらしい。


「ん? 先生どうしたんですか? 私はただ先生の過去の実績を誉めつつ確認をしただけですよ? たったそれだけ。たったそれだけなのに――どうして? 嗚呼どうして? 堂々として不満げェ……? なの?」

 

「やめろ」


 小刻みに震えていた先生の口元と目元が更に震えだし、真顔で固まっていた表情が歪んでしまって沈痛そうな面持ちになる。


 でも言われた通りにはせずに続ける。思った事はちゃんと言葉にして伝えなきゃね? 


「いやぁ今回の件をキッカケに、もしかしたら先生が教員職を辞めてしまうんじゃないかと思ってしまいましてね? ほら学校の先生はブラックだってよく聞きますし、教員職を辞めるには丁度良い言い訳になるじゃないですかイジメなんて?」


「――やめろ」


「でも先生ならその心配はいりませんよね? だって一度は見捨ててるんですもの。ちゃんと最後までそれをつき通したんですもの。その姿を教え子である私達に魅せてくれたんですもの」


「や、やめろって」


 身じろいして後ろに下がる先生。私はその後ろへ下がるテンポに合わせながら前に進む。先生と同じ方向へ進んでいく。


「あらあらまあまぁ……ねぇ先生? 一度出来たのに――」


「やめ、あっ――」


 下がり続けた末に、先生は久遠九々の席に躓いてそのまま落ちる様に椅子に座り、先生にかつての教え子である私はそっとかつての先生の肩に手を置いて続きを言う。


「二度は出来ないなんて言いませんよね? えーと……あっ! 屑助先生」


 言葉の最後にようやく思い出せた先生の名前を呼び、私はそっと離れようとする。


「っ、お前だって一度見捨てただろうがッ! お前だってあの頃の二宮を見て見ぬふりをして見捨てただろうがッ!!」


 と、先生は精一杯に言い返す。まるで自分に言い聞かせるように。守るように。だからこそ私の手は先生の肩から離れる事なく逆に力が入った。


「えぇ……えぇっ! だから私は後悔しています。だからこそ二度は御免なんですっ」


「!? ぁ――」

 

 約5年越しの後悔を吐き出して、唖然としている先生から今度こそ離れる。


「定年退職までおよそ40年。ちゃんと最後までやり通して下さいね? 例え犯罪者であろうと、教員免許を持っている間は立派な先生なんですから。――では、失礼します」


 そうかつての教え子である私は、記憶に残り辛いかつての担任の先生に心からの声援を言い残して教室から出て行ったのだった。

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