第10話 ヒンヌー教団

「神前!……来い!」 


 階段を上がって機動部隊の詰め所の前まで来た誠達はランの怒鳴り声にカウラも責任を感じたように誠を呼びつける。誠も走り出す彼女にしたがって機動部隊の詰め所に飛び込んだ。そして目の前にある黒い塊を仁王立ちしている小さなランが睨みつけている様が二人の目に飛び込んできた。


「オメー等!馬鹿だろ!ここは幼稚園でも遊園地でもねーんだってのがわかんねーのか?追いかけっこが好きなら東都警察の警邏隊に行け!すぐ転属願いの書類を作れ!作り方教えてやるから!」

 

「なんじゃ?ワレ等もおったんかい」 


 その様子を眺めているだけの、明石清海中佐が大判焼きを頬張っている。彼は気楽そうにニヤニヤと笑っている。


「クバルカ中佐。お姉様達に学習能力が無いのはわかってることじゃないですか?」 


 そう言いながらこれも司法局実働部隊のあるこの豊川八幡宮前のちょっと知られた大判焼きの店『松や』の袋を抱えながらかなめの妹である日野かえで少佐が言った。傍観を決め込む隊員達の姿を見て立ち上がる姿もあった。


かえでの部下の渡辺リン大尉はあまりのランの剣幕に口をつぐんでかえでの袖を引いている。


「あーあ。何やってんの」 


 のんびりと歩いてきたアメリアがこの惨状を見てつぶやいた。


「モノが壊れてないだけましじゃないですか?お姉様方の起こすことでいちいち目くじら立ててたら身が持ちませんよ」 


 他人事のようにそう言ったかえでにランがつかつかと歩み寄る。誠はどう見ても小柄というよりも幼く見えるランの怒った姿に萌えていた。


「おー、言うじゃねーか!だいたいだな、オメーがこいつを甘やかしているからこんなことになるんだろ?違うか?おい」 


 椅子に座っているかえではそれほど身長は高くは無いが、それでも110センチ強と言う小柄なランである。どうしてもその姿は見上げるような格好になった。その拍子にかえでが抱えていた大判焼きが床に落ちる。


「あ!僕の大判焼きが!」 


 突然の叫び声に一同は小柄な少年兵に目をやった。司法局の十代の隊員の二人目、アン・ナン・パク軍曹だった。


「お……お……オメー……!」 


 ランは下を向いて怒りを抑えている。その姿を見て後ずさる誠の袖を引くものがいた。


「今のうちに隣の管理部に配ってきちゃいましょうよ」 


 こう言う馬鹿騒ぎに慣れているアメリアの手には嵯峨の作ったアンケート用紙が握られていた。


「じゃあ後できますね」 


「おう、その方がええやろ」 


 二人に手を振る明石を置いて、誠とアメリアは廊下に出てすばやく隣の管理部の扉を開けた。


 カオスに犯された機動部隊の詰め所から、秩序の支配する管理部の部屋へと移って誠は大きくため息をついた。


「ああ、神前か。隣は相変わらずみたいだな」 


 そう言って笑うのは管理部部長高梨渉参事だった。目の前の書類に次々とサインをしていく彼の前には、明らかに敵意を持って誠を見つめる菰田邦弘主計曹長が立っていた。


 誠はこの菰田と言う先輩が苦手だった。第二小隊隊長カウラ・ベルガー大尉には、菰田達信者曰くすばらしい萌え属性があった。


 胸が無い。ペッタン娘。洗濯板。


 かなめはほぼ一日にこの三つの言葉をカウラに浴びせかけるのを日常としていた。だが、そんなカウラに萌える貧乳属性の男性部隊員を纏め上げた宗教を拓いた開祖がいた。


 それが菰田邦弘主計曹長である。彼と彼の宗教『ヒンヌー教』の信者達はひそかに隠し撮りしたカウラの着替え写真や、夏服の明らかにふくらみの不足したワイシャツ姿などの写真を交流すると言うほとんど犯罪と言える行動さえ厭わない勇者の集う集団で、誠から見て明らかに危ない存在だった。


 しかも、現在カウラは誠の護衛と言う名目で誠の住む下士官寮に暮らしている。誠がその特殊な能力ゆえに誘拐されかかる事件が二回もあったことに彼女が責任を感じたことが原因だが、菰田はその男子寮の副寮長を勤める立場にあった。誠の日常は常にこの変態先輩の監視下に置かれていた。


「なんだ、神前か。またくだらない……」 


 誠を嘲笑するような調子で言葉を切り出そうとした菰田の頬にアメリアの平手打ちが飛んだ。


 誠の護衛は一人ではなく、アメリアとかなめも同じく下士官寮の住人となっていた。菰田達の求道という名の変態行為への制裁はいつものことなので高梨も誠も、管理部の女性隊員も別に気にすることも無くそれぞれの仕事に専念していた。そのような変態的なフェチズムをカミングアウトしている菰田達が女性隊員から忌み嫌われているのは当然と言えた。


 いくらアメリアは女性の司法局の隊員ではもっとも萌えに造詣の深いオタクとはいえ、目の前にそんな変態がいることを看過するわけも無かった。しかも菰田は誠に敵意を持っている。戦闘用の人造兵士の本能がそんな敵に容赦するべきでないと告げているようにアメリアの攻撃は情けを知らないものと化していく。


「あんた、いい加減誠ちゃんいじめるのやめなさいよ。そんなに誠ちゃんがカウラちゃんと一緒にいるのが気に食わないの?それと……」 


 そう言うとアメリアは口を菰田の耳に近づけて何かを囁いた。菰田はその声に驚いたような表情をすると今度はアメリアに何か手で合図をする。それにアメリアが首を振ると今度は手を合わせて拝み始めた。二人の間にどんな密約が結ばれたのか定かではないがそれまで敵意をむき出しにしていた菰田がにやりと笑って恍惚の表情に変わるのを誠はただいぶかしげに見つめていた。


 そして誠と同じように二人のやり取りに呆れているこの部屋の主が口を開いた。


「おい、その紙を配りに来たんだろ?人数分俺が預かるから隣の騒ぎを止めてきてくれよ」 


 管理部部長の肩書きの高梨が誠に手を伸ばす。誠は用紙を高梨に渡すと部屋を見回した。


「まあしばらく俺もまとめておきたい資料とかあるから」 


 高梨はそう言いながら苦笑いを浮かべた。

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