2-5話



「さあ、早く見に行こう」


 華の肩を抱いてホテルのロビーに入った狛夜は、支配人らしき男性と一言かわすと、カウンターを素通りして隣の建物へ抜けた。

 そちらはモダンな雰囲気の商業施設になっていて、ブティックや呉服店といった高級志向の店が並んでいる。

 案内板を見ると、インテリアショップやドラッグストア、クリニックもあるようだ。


「ここなら必要なものが一度に見られるよ。ホテルに滞在するついでによく利用するんだけど、気に入らないなら路面店に行こうか?」

「いえっ。ここで平気です」


 下心がないならホテルに隣接した店でも構わない。

 問題は、華の手持ちで買える物を売っているかどうかだ。


「でも、買い物は難しいかもしれません。お恥ずかしい話ですが、お金がなくて……」

「女の子に払わせるわけがないでしょ? 支払いは僕がするよ」

「え!? ま、待ってください!」


 狛夜が進んだ先には、老舗しにせの看板を掲げた呉服店があった。


「鬼灯組の若様、よくいらっしゃいました」

 出迎えたのは、友禅の訪問着を粋に着こなした女店主だ。つり上がった目元が涼やかな美人で、パッとしない華にも麗しい笑顔を向けてくれる。


「可愛らしいお連れ様ですこと」

「この子の着物と帯を一通り見立ててくれるかな。草履やかばん、着付けに必要な一式も忘れずにね。予算は気にしなくていい」

「あの、若頭さん? わたしは量販店の安い洋服で十分です」

「かしこまりました。お連れ様の本性を教えていただければ、仕立ての参考にしますわ」


 困り顔の華を無視して、狛夜は棚の反物を見定めていく。


「仕立てに工夫する必要はないよ。その子は人間だからね」

「まあ」


 驚いた店主の頭に、狐耳がぴょこんと飛び出した。

 他の従業員も釣られて狸やイタチの耳を出す。


「皆さんも妖怪なんですか?」

「ええ。このビルの従業員は、ほぼすべて化生の者ですわ。若様のおひざもとですので、どんな妖怪も安心して働けますのよ」


 店主が視線を向けた先には、床をモップで磨く清掃員がいた。野暮ったい制服のすそからもふもふの毛皮がはみ出ている。よく見ないと分からないが、彼も妖怪だ。


「ここは僕が社長をやっている会社の持ち物なんだ。俗に言う極道のフロント企業だね。妖怪に仕事をあっせんする事業がメインだったんだけど、こういった場所を自前で持っていた方がやりやすかったから買っちゃった。ちなみに隣接するホテルも僕のだよ」


 華はびっくりして、近くにあるビルの案内板に目を凝らす。

 そこには『HOZUKIグループ』と載っていた。


鬼灯ほおずきって、どこかで聞いたことがあると思ったら!)


 高級ホテルチェーンや商業施設、和食レストランなどを運営しているグループ系大企業だ。ローマ字表記のせいで今まで気づかなかったが、鬼灯組の一環だったらしい。

 目の前の妖怪がそんな有名企業を率いていたとは。思わず華は目を見張ってしまった。


「この柄がいいな」


 狛夜が手に取ったのは、花びらと丸いフォルムの兎が染め抜かれた桃色の反物だった。

 店主が持ってきた若草色の帯にも兎がいて、こちらは唐草と組み合わさってダマスク模様のようだ。


「帯の方は『花うさぎ』っていう古典柄だね。兎は月にいることから転じて、ツキを呼ぶ縁起物なんだ。鬼灯組にこの化生はいないし、何より君にぴったりだ」

「わたしに兎のイメージはないと思いますが……」

「あるよ。組に来てから、ずっと寂しそうに震えてる」

「…………そんなことは」


 ない、とは言い切れなかった。

 平気な顔をして反物や帯を見ている今だって、まだ混乱している。

 スカートを握りしめて黙る華の髪に、狛夜はさりげなく手を伸ばす。


「ここには僕しかいないんだから、気を抜いていいんだよ?」


 いたわるように触れた手が離れた時には、ボサボサだった髪は、青色の飾り玉がついたかんざしで留められていた。

 姿見に映してみた華は、表情がこわばっていたことに気がつく。


「わたし、こんな怖い顔をしていたんですね……」

「今日は組でのことは忘れてゆっくりしよう。僕は若頭の地位にいるけれど、君の前ではただの男。気安く名前を呼んでくれたらうれしいな」


 狛夜は、そう言って表情をほころばせた。人間にも友好的で、おうような性格のようだ。

 ちょっと距離が近いのは気になるけれど、頼っていい相手かもしれない。

 華は、警戒心を解いて、ふわっとした笑みを返した。


「お言葉に甘えて、狛夜さんとお呼びします。わたしのことも好きに呼んでください」

「そうするよ。ありがとう、華」


 にこやかにこたえた狛夜は、他の反物と帯も買い上げた。

 日常着から訪問着、真夏に着る薄物や道中着まで一式だ。

 仕立て上がりの着物で、華の背丈に合うものがあったので、その場で着付けてもらう。

 クリーム色に紅梅があしらわれたあわせに、花模様が浮きあがる赤い帯を締める。

 狐の帯留めは、店主が選んでサービスしてくれた。

 パンプスから赤い鼻緒の草履に履きかえて試着室から出てきた華を、狛夜は手放しで褒めてくれる。


「目が覚めるくらいれいだよ。どうせだから華のものは全部、兎で統一しようか」


 いつの間にか会計を済ませていたようで、次は生活雑貨の店に連れて行かれた。

 ふかふかの今治いまばりタオルや天然毛の歯ブラシ、江戸きりのグラスなど、狛夜が選ぶ品々には必ずワンポイントで兎がついている。

 とても可愛い。でも、どれもお高くて、華にはもったいないくらいの高級品だ。


「バスタオルが一万円に、歯ブラシが五千円……わたしの知ってる物価と違います。狛夜さん、本当に安いのでいいんですよ?」

「これでいいの。僕が華に買ってあげるんだから。次はサロンに行こうね」

「ひゃー」


 ぐいっと方向転換して美容院に連れ込まれた華は、カットとトリートメントを施され、簪の似合うハーフアップにセットされ、薄く化粧までしてもらった。

 手を入れられるごとに美しくなっていく自分にれてしまう。

 きちんとお金をかければ、えない自分でもそれなりに見えるのだ。

 だが、美容には体力も必要だった。

 高層階にあるレストランの個室に落ち着く頃には、華はすっかり疲れ果てていた。

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