あやかし極道「鬼灯組」に嫁入りします

来栖千依/富士見L文庫

第一章 ぶつかったのはあやかし極道

1-1話


 課長のスチール机に、口の開いた集金袋と小銭が散らばっている。

 机の前に立って追及を受けるはなは、緊張でスカートを握りしめた。


「送別会で贈る花束の集金が、くずさんのロッカーから見つかったそうだ。君は集金の担当ではないだろう。どういうことだね?」


 後ろの方からクスクス笑う声が聞こえる。

 コールセンター業務の部署は女性が多く、ちょっとした意地悪は日常茶飯事だ。


「弁解できないのか? このままでは、君が盗んだことになるがいいのかね」

「も、」

「も?」

「申し訳ありませんでした! 盗んではいませんが、わたしのロッカーのかぎが壊れているのを放置していました!!」


 その場で勢いよく土下座すると、疑いの目で見ていた課長がぎょっとする。


「盗んだんじゃないなら、なにも土下座しなくても」

「いいえ、わたしが悪いんです。一年前から鍵の調子が悪かったのですが、言い出せなくて。放置した結果、盗人ぬすっとの共犯にされてしまいました。かくなる上は、切腹しておび申し上げます……!」


 チキチキとカッターの刃を出す華を、課長は腕を振って必死に止めた。


「もういい! いいから、カッターはしまって! とはいえ、窃盗の疑いのある人と一緒に仕事をするのはね……。みんなも不安がっているし、その、言いづらいんだけど……」


 そう言いながら課長はチラチラと周りを見た。

 若い女性が多い部署なので、気を使えないとハラスメントですぐに訴えられる。だから、華を救わず犠牲になってもらうことを選んだのだろう。

 ──いつかこうなる気はしていた。

 華は先を見越して用意していた退職願を懐から取り出し、課長に渡したのだった。




「今までお世話になりました」


 深く一礼して業務室を出る。

 退職願はそのまま受理され、一カ月後の本日、華は退職することになった。


 とぼとぼと廊下を歩いていると、複数の足音がして呼び止められた。

 振り返れば、嫌がらせをきつけていた同僚グループがいて、「泥棒がいなくなって、やっと安心できるわぁ〜」とあざけられる。

 大人しい性格のせいか華はいじめられやすく、彼女たちから面倒な仕事を押しつけられたり、部門の飲み会に一人だけ誘われなかったりと、たびたび標的になっていた。


 今回の集金の窃盗も、もちろん華はしていない。

 ただ、自分のロッカーの物の位置が時折微妙に変わっていることに気づいていたのに、それを利用されるとは思わず警戒を怠っていた。それは自分の落ち度だと思う。


 でも、そんな日々も今日で終わりだ。

 彼女たちにくるりと背中を向け、早足でロッカーからスプリングコートとトートバッグを回収して会社を出る。

 ぽかぽかした春の陽気に、張りつめていた気がドッと抜けた。


「明日から無職かぁ……」


 解放されてすがすがしい気持ちになった一方で、先の不安がぼんやりと襲いかかる。

 この会社に入ったのは高校を卒業してすぐのこと。

 それから二年弱、朝も昼も夜もなくクレーム処理に追われ、不満を募らせた通話相手から大声でののしられる生活だった。


 でも、華が学生時代から自然と身につけていた謝るスキルが、ここでは大活躍した。

 相手の意見を否定せずひたすら謝る。どんなにつらい状況でも、にこやかに笑みを浮かべ続ける。そうすれば大抵の怒りは、嵐のように過ぎ去ってくれた。

 どんな目に遭っても笑顔を絶やさないのは華の処世術だ。

 なぜ高卒で職に就いたかというと、幼い頃に両親を失い、育ててくれた父方の祖母も高三の冬に亡くなったからだ。母方の祖父母は音信不通で、他に頼れるしんせきもいない。友達もいない。正真正銘の天涯孤独だ。


(これからどうしよう……)


 コンビニの前を通ると、ものの見事にくたびれた姿がガラスに映った。

 淡い茶色の髪は伸びっぱなしでつやがなく、貧相なほどせた体にまとうブラウスやタイトスカートは、安物なだけあって頑固なしわができている。

 目がうつろなのは、長時間にわたってパソコンモニターを見続けたせいだ。

 これだけ体を酷使しても給料は雀の涙だった。みなし残業が当たり前に存在していたので、勤務時間のわりに薄給。カツカツの生活を送っていたがゆえに貯金はあまりない。

 明日から何をして食べていこう。来月の家賃をどうやって払えばいいのだろう。次の仕事は見つかるだろうか。不安で頭がぐるぐるする。

 気持ち悪くなった華は、口を押さえて裏路地に入った。


「きゃ」


 曲がり角のすぐ近くに黒塗りのドイツ車が停まっていて、角張ったボンネットに顔から倒れ込んでしまった。

 手で覆っていた鼻は守れたものの、ぶつかった額がゴンとすさまじい音を立てる。


「待てやコラ!」


 怒号に顔を上げると、走って逃げる少年の背中が見えた。

 追っていくのは、リーゼントヘアにニッカポッカをはいた男性だ。

 車の脇には、白にも金にも見えるきらびやかな長髪を結い、しゃた白いスーツを身に着けた美青年が残された。

 青年は、だるそうに群青色のひとみを華へ向けて、途端に目を見開く。



「──見つけた」



 そして、うれしそうにつぶやいた。

 みつけた?

 不思議がっていると、青年はこちらから一切目をらさずに近づいてきて、華をがばっと抱きしめた。


「こんなところでえるなんて……。夢みたいだ」

「え、えっと、どちらさまでしょう?」

「僕が分からないの?」


 青年は、そう言って体を離し、悲しそうにまゆを下げる。

 思わず罪悪感を抱くが、華には本当に覚えがないのだ。

 くっきりした二重が印象的な目元や高い鼻、淡い色の唇まで一分の隙もなく端整な、どことなく夜の匂いがする絶世の美形なんて、一度見たら忘れるはずがないのに。

 そこに、リーゼントが「すんません、びゃくの兄貴ー! 取り逃がしました!」と大声で言いながら戻ってきた。

 兄貴? それに、取り逃がすって?


(これ、巻き込まれちゃいけないやつなんじゃ……)


 華の頭から血の気が引いた。しかし、今更気づいたところでもう遅い。

 リーゼントは、少年を逃がした怒りの矛先を華に向けてくる。


「テメエ、なに邪魔してんだコラ!」


 名乗ってもらわなくとも雰囲気で分かる。ぶつかったのはヤのつくご職業の車だ。トラブルになると、きにされて海に沈められたり、臓器を売られたりするらしい。

 命を守るためにも逆らってはいけない。


「申し訳ありませんでした!」


 華は、腰を九十度傾ける最敬礼をした。けれど、またもやボンネットに頭をぶつけてしまい、ゴウンと先ほどより重たい音が鳴る。


「痛っ!」

「おいテメエ、車を傷つけやがったな!」


 リーゼントは、前に大きく突き出た髪を揺らしながらすごむ。


「どう落とし前つける気だ!? おれらが天下の鬼灯ほおずきぐみだって分かってんだろうな!」


 ……ほおずき?

 どこかで聞いたことがあるような名前だが、考えを巡らせている暇はない。

 今は、とにかく謝罪して許しを乞うべきだ。


「あの、本当に、どうお詫びしていいか」

「テメエの謝罪なんか犬も食わねえ! 山に捨てられるか海に沈められるか選べやあ!」

「待ちなさい」


 狛夜と呼ばれた男が口を挟み、華を突然、横抱きにした。


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