共有される思い出
聰は困惑した。いや、困惑というよりも、恐怖に近い感情かもしれない。まさか、あか里の口からそんな言葉が出るなんて。
「…なんでそんなことを言うんだ?ここはあか里の家だろ?」
しどろもどろになりそうな自分を抑え、努めて平静を装って聞き返した。
「そうだよ?さとくんも来たことあるから知ってるよね?」
あか里は、肯定とも否定ともつかない、曖昧な言葉を返した。
「…当然だろ。ここはあか里の家だ」
「じゃあ、さっき何であんなこと聞いてきたの?」
「あんなことってなんだよ」
「ここは昔からあるお宅ですか?って」
「…っ!」
言葉に詰まる。図星だった。
「来たことがあるんなら、そんなこと聞く必要ないよね?」
「そ、それは…俺が5年ぶりに帰ってきたから、ちょっと混乱してたんだよ」
言い訳がましい言葉が、口をついて出る。
「違うね。だって、さとくんさっき言ってたじゃん。思い出に浸ってたって、そんな人がここは昔からあるお宅ですか?なんて聞くわけないでしょ」
「…そんなことわからないだろ」
「わかるよ。だって、さとくんじゃん」
「なんだよ、それ…」
あか里の言葉が、まるで呪文のように、聰の心にまとわりつく。
「さとくんさ」
「…」
聰がじっと黙っていると、あか里は真剣な眼差しで聰を見つめた。
その瞳は、まるで聰の心の奥底を見透かそうとしているかのようだ。
「車出せる?」
「…は?」
突然の問いかけに、思考が停止する。
「だから、車運転できる?って」
聰は面食らってしまった。予想もしない方向からボールが飛んでくるので上手く処理が出来ない。いきなり160キロの速球を投げられたかのような気分だ。
「車?車ってあの車のこと言ってる?」
「あのもそのも無い!車!自動車!CAR!ハイブリッド!EV!」
「最後の二つはちょっと違うだろ!…い、いや、そうじゃなくって、俺、免許持ってないんだよ」
「えー!そうなの?!」
「そうだよ。都会じゃいらないだろ?」
「そうだけど、身分証代わりに取るとかもしなかったんだ…?」
「俺は社員証あったし、保険証で十分だったんだよ」
「あー、なんてことだー」
「なんなんだよ」
「もー、仕方ないですね。私に任せなさい!」
「なにを?」
「私が車運転するから」
「え、免許持ってんの?」
「たしなむ程度ですが」
「どんな程度だよ」
「というわけでお任せなさい。ほら、行くよ!」
「行くってどこに?!」
「良いから良いから!」
「えっ、今からかよ?!」
「今行かなくっていつ行くの。ささっ、乗った乗った」
あか里に追い立てられるように車へと乗り込んだ。
助手席のシートに深く腰掛けると、革の匂いが鼻をついた。
窓の外を見ると、あか里が家の玄関に向かって大声で叫んでいる。
「おかーさーん、車借りるねー!」
あか里の母親らしき人物が、窓から顔を出して、何かを叫び返している。
しかし、車のエンジン音にかき消されて、何を言っているのかは聞き取れなかった。
あっという間に車は走り出し、道路を滑るように進んでいく。
「大丈夫かよ」
不安げに呟く。
「大丈夫大丈夫」
あか里は、ハンドルを握りながら、平然と言い放った。
「それで?どこに行くんだよ」
「どこ行こうねぇ?」
「は?決まってないの?」
「それがドライブってもんでしょ」
「そんなの聞いたことねぇよ」
「文句が多いなぁ。じゃあさ、さとくん行きたいところ無いの?」
「俺が行きたいところ?」
「うん」
こんな時、すぐにはアイデアは出てこないものだが、不思議と心に浮かんだ場所があった。
「ダム…かな」
「ダム?」
「そう。ダム」
「良いじゃん。もしかして、あそこ?」
あか里は思い当たる場所があるようだった。
「…うん、同じ場所を思い浮かべてるんじゃないか」
「…かもしんない。行ってみよ」
車は、滑らかに走り出す。
―――――
車は住宅街を走る。まるで失敗した塗り絵の様に、知っている景色と知らない景色が混ざり合い、まだらな風景を作っていた。目的地は決まっているはずなのに車がどこを走っているのか判然としない。
しかし、不思議と不安な気持ちにはならず、むしろ何が出てくるのかとワクワクする気持ちさえ芽生えていた。隣にいるあか里の存在が、聰の心を落ち着かせているからかもしれない。
(あか里のおかげ…か)
移動中はあか里が気を遣ってくれたのか、色々な話題を提供してくれたことで退屈することは無かった。
あか里の家から30分ほど走ったであろうか。車が峠道を走り始める。
木々の間を縫うように進む道は、まるで緑のトンネルのようだ。
窓を開けると、ひんやりとした風が車内に流れ込み、森の香りが鼻をくすぐる。
間もなく目的地に到着するようだ。
「お待たせー。着いたよ」
「…変わらないな」
聰には馴染みが深いダムへと着いた。水がたっぷりと張ったダム湖は、巨大な鏡のように、周囲の山々を映し出しており、釣り人の姿も見える。高校の頃はよく友人とここへ来ていたものだ。その中にはあか里もいた。
「ここ以外にもダムはあるのに、よくここだってわかったな」
「凄いでしょ?」
あか里はニッコリと微笑んだ。その笑顔は、 満開のひまわりのように明るい。しかし、次の瞬間には真面目な顔に変わった。
「さとくんは変わらないものが見たいのかなって思ってさ」
あか里の言葉が、再び聰の心を鋭く突いてくる。
「…そうかもしれない」
「私もここならさ、話せる気がしたんだ」
「さっきの話か?」
「それもだけど…私の話」
「あか里の?」
「うん」
「そっか。それならあか里の話だけで良いよ。俺の話は、余りにも荒唐無稽過ぎて…」
「…そんなことない。きっと、さとくんにも関係あるから」
聰はドクンという心臓の音に気を取られ、言葉が出なかった。
「さとくんはさ、自分の家が自分の家じゃないみたいに感じるんだよね?」
「だから、それは何でもないって―――」
「私もなの」
あか里は、静かに、しかし、はっきりと言い切った。その声は、微かに震えているようにも聞こえた。
「…え?」
「私もそうなの。あそこは、私の家じゃない」
「…本気で言ってるのか?」
「こんなところまで連れてきて、これが冗談に聞こえる?」
「ご、ごめん」
あか里の真剣な目に気圧され、思わず謝った。
「だから、さとくんも同じことを感じたのなら話を聞きたいって思ったの」
あか里は本気で話しているようだ。聰も覚悟を決めねばならないと感じた。
「わかった。でも、話す前に確認したいんだけど、あか里は、俺が知ってるあか里だよな?」
「…そうだと思うけど」
「それなら良いんだ…なんて言ったら良いかな」
「あか里と同じかどうかはわからないけど…自分の家が自分の家じゃないって思ったのは本当だ」
「…やっぱりそうなんだ」
「俺の場合は、父さんがスマホを持ってたり、母さんと話が嚙み合わなかったりって色々と…。後、これは俺の頭がおかしくなったって思わないで欲しいんだけど…」
「思わないよ。何?」
「俺のじいちゃんとばあちゃんが、…生きてるんだ」
「…は?冗談言ってるの?」
あか里の声が怒気を孕む。
「違うって!ほら、だから言っただろ…」
「さとくんのおじいちゃんとおばあちゃんってもうずっと前に亡くなったじゃん」
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