第2話

 どれ程の時が過ぎたのか定かではない。

 未だ定まらぬ意識の中で青年は瞼に光を感じた。そして彼の脳裏にある疑問が湧きたった。

(ワイ、あの事故で死んだはずやんな)

 奇跡的に一命をとりとめたのか。あるいはあれは夢だったとでも言うのか。やや混乱しつつも青年は瞼を開き周囲を観察した。


 彼の目に飛び込んで来たのは、病院でも自室でもなかった。

 美しい大理石で造られた神殿の一室と思しき場所は、何一つ灯りがないのに太陽の下にいるかのように明るい。まるでこの空間そのものが発光しているかのようだ。

「これは……」

 青年が何かを確信したかのように呟いた瞬間、けたたましく鳴く小鳥の様な声が静寂を打ち破った。


「ありがとうございます! ありがとうございます!」

 声の方向に目を向けると、まだ幼さの残る少女がぺこぺこと頭を下げている。淡いエメラルドグリーンの髪に翡翠色の瞳。肌は透き通るように白く艶やかだ。純白のローブを身に纏い、ぼんやりと神々しいオーラを放っている。世間的に言えば人気アイドルクラスの美少女と言えるだろう。


「お前誰や?」

 体を起こして床の上に胡坐をかきながら問いかける。彼女とは面識がないはずなのに堰を切ったように感謝の言葉を連呼している。当然感謝される覚えなどない。訝しがる青年の様子に少女はハッとした表情を浮かべ自己紹介を始めた。


「えっと、私は成り立てホヤホヤの新米女神、シールです。キラリん!」

 不可思議なポーズを取りながら美少女は予想外の答えを返してきた。だがあの事故の後だ。死後の世界で覚醒し、女神と対面していてもおかしくないと青年は考えた。

「そうか、やっぱワイ逝ってもうたんやな」

「はい、それはもう見事な即死でしたよ。脳挫傷、内臓破裂、脊椎損傷etc」

 少女は物騒な単語を平然と並べて行く。

「そんなんどうでもええ。あの嬢ちゃんは助かったんけ。怪我はないんけ」

「はい。命に別状なく、手の甲を少し硝子で切っただけです」

「良かった。安心したで」

 青年は心の底から安堵し微笑んだ。


「本当に有難うございました。もし彼女が命を落としていたら……OMG!」

 オーマイガッってお前も女神だろうがと突っ込みたい所であったが、青年は疑問の核心に迫ることにした。


「ところでさっきから何でワイに礼を言うとんねん」

 一瞬時が止まりシールが首をかしげる。そして両手をポンと鳴らすとゆっくりと話し始めた。

「実はですね、あなたに助けて頂いたあの女の子はすっごい重要人物だそうでして。まあ細かい話は知らないんですけどね。それで先輩女神から彼女が大願成就するまで加護するように仰せつかっていたんです」

 重要人物、大願成就、加護とまたしても予想外のワードが次々と飛びだす。だがそれは一旦置いておき、青年は素朴な疑問を新米女神シールに投げ掛けた。


「女神が加護してる重要人物が何であんな事故に巻き込まれたんや」

 やや語気を強め鋭い眼光で青年が迫る。

「いやあ、あの、その……」

 父に叱られた幼い少女のようにモジモジとしながら口籠るシール。だが青年はグッと身を乗り出し容赦なく詰問した。

「おい、こっちは命張ったんや。シャキッと答えんかい」

 青年が不穏なオーラを漂わせると、シールの額に冷や汗が一筋流れる。彼女は直立不動となり意を決したように話し始めた。


「は、はいっ。実は、最近ハマっているボートレースに夢中になっておりまして」

「はあ? ワイはお前がギャンブルにうつつ抜かしてたせいで死んだんかい!」

「ちょっと、人聞きが悪いこと言わないで下さい。仮にも女神たるものギャンブルなんてしませんから。そこんトコロよろしく」

「一緒じゃボケェ。要はサボっとったんやろがい」

 青年の怒りが爆発し、全身から不穏なオーラが吹き出す。流石に分が悪いと感じたシールは高々と両手を挙げ、そのまま膝をつき深々と頭を下げた。

「も、申し訳ありませんでした」


 目の前で平身低頭になる女神の図。だが見た目はまだあどけさの残る少女。これでは自分が少女をイジメているようではないか。青年の怒りが一気に冷めた。

「止めや、止めや。阿保らし。ホンマ萎えるわぁ」

 彼は諦めの感情を深い溜息と共に吐き出した。

「どっちゃにせえワイの意思でやったことや。後悔はしてへん」

 青年の言葉にシールは胸を撫で下ろす。顔を上げ女神らしい立ち姿へと戻った。


「で、ワイはこれからどうなんねん? かなりヤンチャもしてきたし地獄行やろな。地獄の鬼とチャンバラ勝負でもして過ごすわ」

「と、と、とんでもない、勿論天国行きですよ。本来なら……」

「本来なら?」

 歯切れの悪い発言にすかさず青年が追及の眼差しを向ける。それにしてもこれまでの言動からしてこの少女は本当に女神なのだろうか? だとしたら相当なダ女神だ。


「あの~。普通に天国行きにすると今回の件が天界に知れ渡る訳でして。その~」

「ああん? おいワレ、ええ加減にせえよ。サボっとったんは事実やろがい。きっちりケジメ取らんかい」

 一旦鎮火していた怒りの炎が再び燃え上がった。

「ひぃぃ。それだけは勘弁して下さいよ。それじゃあ精霊へ降格されちゃうじゃないですか。精霊って案外危険なんですよ。魔物は襲って来るし、魔術師は使役しようとするし。あんなのもう懲り懲りです」


「さっきから思うとったけど、ワレかなりのクズやな。このダ女神がっ!」

 青年はついに胸の内をぶちまけた。

「こらぁ、クズとかダ女神とか言うなぁ~。プンプン」

 シールは頬を膨らまし、腕組みをして抗議の意を示す。だがそこには女神としての威厳などかけらもなかった。

 ワイもあの譲ちゃんもとことんツイてないな。こんなダ女神と関わったのが運の尽きや。青年は苦い表情を浮かべた。


「そうそう、あなたお名前何ておっしゃるの? 恩人の名前も知らないなんて女神失格だものね」

 それ以前に女神失格だと言いたかったが、武士の情けと飲み込んだ。

「ワイは神野じんの譲慈じょうじ。ジョージでええわ」

「改めてありがとう、ジョージ」

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