獅子の思惑 2

 強い揺れに、物憂げに目蓋を上げる。厚手の布から漏れる、ぼんやりとした光が、ラウドの目を射た。いつの間にか、ラウドの身体は船から幌をかけた馬車へと移されていたようだ。ゆっくりと辺りを見回すと、隣国の王への貢ぎ物らしい、固定された木箱が、馬車の揺れにあわせて微かにがたがたと揺れているのが見えた。その反対側は、馬車の幌が絞られており、小さな丸い穴からレーヴェらしき人影が馬に乗っているのが見える。レーヴェと一戦交えずにここから逃げ出すことはできないな。ラウドはあっさりとそう判断すると、再び馬車の床に横たわった。再び嵌められた手枷は、魔法を使えば外すことが可能だ。だが外す気力が、湧いてこない。ラウドは腕を持ち上げて手枷を見、そして溜息をついて手枷を下ろした。


 船上でレーヴェから聞いた、新しき国が『悪しきモノなど幻想に過ぎない』と考えている理由が、ラウドの心を何度も刺し貫く。レーヴェの言葉が本当ならば、古き国の騎士達の行動と努力は、無駄なことになってしまう。いや、有害なことですら、あるのだ。空虚な思いが、ラウドの心を苦しめた。その無駄で有害ですらある物事の為に、リディアは命を落とした。その考えが、ラウドを苦しめて離さない。


 否。ラウドの思考の一部が、異を唱える。ルージャが歴史を変える前、レーヴェが女王リュスを弑し、ラウドを始めとする古き国の騎士達を悉く惨殺した後の未来でも、古き国の騎士達によって封じられる恐れが無くなり、自身を守る為に力を付ける必要が無くなったはずの悪しきモノ達は新しき国で静かに猛威を奮っていた。悪しきモノの為に、レイは青白い顔で部下の首を刎ねなければならず、悪しきモノに深く魅入られた新しき国の第三王子は暴虐の限りを尽くして新しき国を混乱させた。古き国の騎士達の介入が無くなっても、悪しきモノの脅威は無くなってはいなかった。それは、ルージャによって改変される前の歴史が示す通りだ。しかし。……ルージャがラウドを助けて歴史を変え、女王リュスと多くの騎士が生き残った後の未来でも、悪しきモノは確かに猛威を奮っていた。どちらの未来が、良かったのだろうか? ラウドは正直途方に暮れた。


 と。


「起きたか?」


 馬車の幌が、大きく開かれる。どうやら休憩をするらしい、いつもより更に白く輝いてみえる新しき国の騎士の制服を身につけたレーヴェが、止まった馬車に馬を近づけてラウドの方を見ているのにラウドは気付いた。


「外を見てみろ」


 言われるままに、馬車の端を両手で掴み、首を伸ばす。おそらく小麦だろう、一面の黄金色に、ラウドは思わず感嘆の声を漏らした。小麦畑の向こうには牛や馬や羊がのんびりと草を食んでいる放牧地、様々な形の葉が見えている野菜畑、そして枝振りの大きい果樹園らしき場所が見える。本の記述と、人々の言葉通り、隣国は豊かな土地であるようだ。ラウドは深い溜息をついた。


「新しき国も、これくらい豊かであれば良いのだが」


 レーヴェの言葉に、素直に頷く。荒れ地の多いあの大陸では、多くの人々を生かす為の食物を得ることは難しい。古き国の女王が住まう城の地下に設置した装置と同じものを使って作った肥料を用いてやっと、旧隼辺境伯領では余分に作物が実るようになったと、前に会った時にローレンス卿は言っていた。古き国と新しき国が歩み寄ることができれば、この地と同じように豊かな国を作ることができたのかもしれない。レーヴェに見えないところで、ラウドはふっと息を吐いた。女王がまだ生きていることも、古き国の騎士達がまだ大勢居ることも、レーヴェに知られてはいけないこと。だから、装置のことも、……話すわけにはいかない。話せば、装置を壊され、地下での潜伏生活ができなくなってしまう。だからラウドは、疲れたふりをして、再び馬車の床に横たわった。実際、様々なことを考え過ぎた所為か、それともレギナという名の古き国の女王から受けた傷がまだ治っていないのか、身体の怠さがまだ抜けていない。


「大丈夫か?」


 もう少しすれば、隣国の王城に辿り着く。レーヴェの心配する言葉に、ラウドは気怠げに頷いて目を閉じた。


 レーヴェが馬車から離れ、幌が再び下ろされてから、手枷に苦戦しつつ腰のベルトに配されたポーチを探る。有った。ポーチの中の二つの留め金に、ラウドはほっと息を吐いた。古き国のことも、そしてリディアとレイのことも、悪しきモノのことも、考えなければいけないことはたくさんある。そして。手枷に隠れて見えなくなっていた、左薬指の指輪を、右手の指でそっとまさぐる。女王リュスに結婚の報告をしたとき、女王の前でラウドとアリは、それぞれの母の形見である指輪を交換した。ラウドの左薬指にぴったりと嵌まっている白い幅広の指輪は、アリがずっと大切にしていたもの。これを外すのは、忍びない。だが、これから行く場所で、指輪を嵌めていることで何か面倒なことが起こるかもしれない。その所為で、古き国へ、アリの許へ帰れなくなるのは、嫌だ。寝転んだまま、ラウドは魔法で手枷を外すと、指輪をそっと外し、留め金と共にハンカチに大切に包んでポーチに仕舞った。

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