孤独を選べ ―獅子の傍系 4ー
風城国子智
迷い込んだ場所は
柱のような木々に囲まれた、薄ら寒い、空間。白過ぎる木肌の上の、不気味なほど黒々とした樹冠が、風を受けてざわざわと不穏な音を奏でている。
〈ここは……?〉
目や耳に飛び込んでくる、到底現実とは思えない光景に、思わず首を横に振る。確か、自分は、実妹のリディアや幼馴染みのアリ、そして養父である隼辺境伯ローレンス卿に縁のある年下の子供達を引率して、辺境伯が住まう城の近くにある林へ、橅の実や薪を拾いに行っていたはず、だ。城下の林は晩秋らしい、寒々としつつもどこか暖かい色をしていた。この場所のように、来る人全てを拒むような表情では無かったはずだ。……そうだ。リディアは? アリは? 子供達は? 先程まで、リディアもアリも、くっつきすぎだと思うほど近くに居たはずなのに。二人とも居ない、気配すら無いということは、……誰かに、掠われたのか? それとも。……いや、違う。もう一度、首を横に振る。確か、林の中で、人を喰らう無定型の存在である『悪しきモノ』に遭遇してしまったのだ。境界を越え、生きとし生けるものを喰らう悪しきモノを倒すことができるのは、この大陸を支配する『古き国』の女王より叙任された、古き国の騎士のみ。古き国の見習い騎士の端くれであるラウドにも、悪しきモノを倒し、二度と現れないように封じる『血』の力がある。だから、子供達の中では一番年上の、もうすぐ見習い騎士の修行に入る年齢のリディアに指示して子供達を林の外に避難させ、自分は、悪しきモノを封じる為に、悪しきモノが纏う黒灰色の靄の中にある『核』を、見習い騎士としての修行中に教わった通りに、自分の左腕を切り裂き、ラウド自身の血を塗布した剣で破壊した。それで、全て滞りなく終了したはずなのに。何故、自分はこんなところにいるのだろうか? そこまで考えたラウドの脳裏にある可能性が浮かび、ラウドは思わず苦笑した。……そうか。『飛んで』しまったのだ。
古き国の騎士達は、思わぬ時に自身に縁のある過去や未来の人物が居る、現在自分が居る場所と同じ場所に飛んでしまう、ある意味困った『力』を持っている。自分では制御できないその力が発動してしまったのだろう。十七になったこの年まで何度も過去や未来に飛んでいるラウドは、自分を安心させる為にゆっくりと息を吐いた。だが、……ここは何処だ? 戸惑いが、胸をざわざわと鳴らす。こんな淋しい、見たことの無い場所へ飛んだことは、無い。それでも、起こるであろう危難に備えて全身を研ぎ澄ませ、周辺全てを把握しようと構えるのは、戦士としての性。
と。
〈……悲鳴!〉
薄暗い空間に微かに響く高い声が耳に入ると同時に、声の方へ走る。すぐに、ラウドの視界に、普段目にする『悪しきモノ』の数倍の大きさを持つ黒い靄の塊が飛び込んできた。
「これは……」
まだ近付いてもいないのに、小柄なラウドの数倍はあるように見える黒灰色の塊に、一瞬だけ足が止まる。だが、その黒灰色の塊の端に人影を認め、ラウドの足は再び走り始めた。
あれは。人影の姿が鮮明になるにつれ、鼓動が速くなる。黒灰色の塊が放つ触手に巻き込まれ、今にも靄の中に消えそうな柔らかく長い白金色の髪は、アリのものではないのか? そして、アリを助け出そうと、その小柄な身体を左腕で靄から庇うように抱き留めつつ右腕の剣を靄に向かって振り下ろしている濃い色の髪の大柄な女性は、……リディア!
「アリ! リディア!」
叫びつつ、今にも靄に取り込まれそうな二人を靄の外へと最大の力で突き飛ばす。そしてそのまま、ラウドは腰の剣を抜き、靄の中心へと向かった。
視界の無い黒灰色の空間を一歩進む度に、身体の何処かが切り裂かれた悲鳴を上げる。息苦しくなる前に首に掛かる靄の塊を引き剥がすと、ぼうっとした意識の先に鋭く光る黒い小さな塊が見えた。『核』だ。しかしかなり小さい。ラウドの、戦士のくせにぷにぷにした手だとリディアや異父妹のロッタにしばしばからかわれる小さな手で掴んでもまだ余るくらいだ。その小さく鋭利な塊を、ラウドは左手でしっかりと地面に押さえつけた。後は、この塊を左手と一緒に剣で刺せば、古き国の騎士の端くれであるラウドの血の力で悪しきモノを封じることができる。ラウドはふっと息を吐くと、右手の剣を目の前に持ってきた。だが。何時折られてしまったのだろうか、ラウドが持っていたのは剣の柄のみ。刀身が、無い。慌てて、腰を探る。しかしいつもは腰のベルトに挿しているはずの短刀も、無い。これでは、悪しきモノを封じることができない。息苦しさの中、ラウドは正直途方に暮れた。ラウドが思案している間にも、悪しきモノはラウドの全身に擦り寄り、容赦無くラウドの体力を奪っていく。座っていることすらできなくなり、ラウドは地面に身体を横たえた。
と。彷徨っていたラウドの視線が、黒灰色の靄の中で漆黒に光る刃を見つける。何とか気力を振り絞って右腕を伸ばすと、中指にぴりっとした痛みを感じた。ラウドの掌にしっくり収まる、漆黒の刀身を持つ短剣。黒灰色の靄にも溶けないその刃が持つ光に、ラウドはにこりと笑うと、核を押さえつけたままの左手の甲にその刃を叩き込んだ。
左手の痛みより先に、首を締め付けられる痛みが全身を襲う。息が、できない。ラウドの視界は急激に黒く塗りつぶされた。
「……この子は、誰?」
額に触れる冷たくこそばゆい感覚に、薄く目を開ける。黒灰色の靄は既に跡形も無く消え去っている。ラウドの目の前には、白金色の柔らかな髪が揺れていた。
〈……アリ〉
無事だったんだ。ほっと、胸を撫で下ろす。そして。……リディアは、無事だろうか。何とか首を動かしたラウドの視界に、ラウドと同じ濃い色の髪が入り、ラウドは再びほっと息を吐いた。リディアも、無事だ。
しかしながら。楽な姿勢に直されたラウドの視界に入ってきた、人々の影に、はっと息を飲む。ラウドの義父であり、ラウドの力を見越して自分の養い子にしてくれた隼辺境伯ローレンス卿の赤い髪が見えるのは、分かる。幼馴染みで騎士としての先輩でもあるカルの、薄い色の髪が見えるのも。だが、何故、彼らと共に、古き国と敵対している新しき国の王、獅子王レーヴェの黄金の髪が見えるのか。
そうか。ふと、我に返る。これは、現実では無い。現実世界では、リディアは、もう……!
「短剣、抜いた方が良いわね」
リディアが、いや、リディアに似た女性がラウドの傍でそう言うのが、聞こえる。次の瞬間。短剣の刺さった左手から全身に駆け巡った痛みに、ラウドの意識は再び、闇へと飲まれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。