ヤンデレ殺人鬼は今日も俺を殺せない

パーシー

第1話



 そもそも現実にラブコメなんてものはない。恋愛にコメディが加わったとて、現実はうまくいかない。平凡だが好かれる主人公、クラスにぽんぽんと湧き出るヒロイン、嫉妬も憎悪も関係のない平和な世界。当然だ、コメディにそんな暗い要素なんて要らない。いつだってご都合でシアワセな世界がラブコメだ。


 しかし、だからこそラブコメの物語は面白いのだ。


 物語とは現実にない人間に夢をみて、現実にない世界に興奮し、現実にない出来事に憧れるものだ。ラブコメとは物語であるからこそ、その恋愛模様に意味を成すのだ。


 さて、話を戻そう。今、俺の目の前に『』なんて言ってきた制服の少女が現れた! 右手には鋭利に光る包丁! 左手には俺の家の扉ががっしり掴まれている! すなわち絶体絶命だ。


 え? 話が戻ってないし、わけが分からないよって? いいや、俺の言いたいことは変わってない。現実にラブコメなんてものはない。だからこそ今この状況で言えることがあるんだ。



 あっ、これガチでやばいやつだ。





***



「はぁっ、はっっ…」


 速く走る比喩表現に風のように走るという言葉があるが、たとえ風のように走ったとしてもあの怪物には全く意味がない。あの少女は風を切るように走っている。文字通り切られちゃう。ちらちら見える包丁が事の重大さを底上げしている。


「…なんで逃げるの?」


 怖い怖い怖い。男子高校生の全力疾走に平然とした顔で並走する一人の制服を着た少女。右手に包丁を持ちながら死のバトンを渡そうとしてくる。なにこれ、なんていうB級ホラー映画?


 玄関から不意を突いて飛び出したのは良かったものの、公園に逃げ込んだのは失策だった。出入口が二つしかなく、周りは柵で囲まれている。ここは腹を決めるしかない。


「分かったっ、一回落ち着こう、話し合おうか…。包丁を、逆手に持たないで」


「そうね、あなたの答えを聞かせてほしい。返答次第では明日の東京湾に水死体が二つ発見されることになるわ」


 目の前に立つ少女は息一つ荒げずに恐ろしい言葉を口にする。淡々と言う彼女ならば今言ったことも本当にやってしまう光景が目に浮かび、今日何度目かの背筋の凍る感覚が襲う。




 …いや待てよ、改めて見ると顔は良いよなこいつ。玄関にいたときは暗くてよく見えなかったが今は公園の街灯の光が直に当たってはっきりと分かる。


 とんでもないレベルの美少女だ。目は切れ長で黒晶の瞳は宝石のようで、鼻から口のラインは綺麗な比率で整えられている。背中までかかる黒髪はまるでシルクのよう…


「沈黙は拒否ということかしら。分かったわ、あまり痛くしないであげる」


 はっ、俺としたことがこいつに見とれてしまったというのか。狂気に満ちた少女を足りない頭で描写している場合ではなかった。


「ま、待とうか。一つの問答だけで人殺さないでね? ほら、もうちょっと仲良くなってからとか……。いや、逆手包丁やめよ? 無言で頭の上で構えないで?」


 どうやら『はい』か『いいえ』の時間制限付きの選択肢らしい。目のハイライトはとうに消えて完全に闇に染まっている。何かの映画と思うくらいのすさまじい迫力だが残念ながらこれは現実。しかも第一被害者というただただ怪物を際立たせるための配役である。


「そもそも、お前が俺をが分からない。お前は誰なんだ。まずは自己紹介からすべきっ、じゃない、かなぁ~、なんて…」


 途中で彼女の鋭い眼光に怯えたが、言いたいことはちゃんと言うことができた。偉い、偉すぎるぞ俺。なんたって本当に命にかかわるから洒落にならない。


「それもそうね。私は綾瀬日和あやせひより。好きになる理由、ね…。なるほど、あなたのことを少し知ることができたわ」


 街灯に照らされながら微笑する彼女の姿はまるで慈愛の女神のように見えた。実際は包丁を片手に一般人を脅迫するやべーやつなんだが。


 綾瀬日和の続く言葉はまるで聖歌を唄うように、しかしその内容は衝撃的なものだった。


「一言でいえば一目惚れよ。今朝、学校へ向かうあなたを視認した瞬間に気づいてしまったわ。私はあなたなしじゃ生きられないって…」


「重っ」


「あなたの名前も教えてほしいわ。私が名乗ったのだからあなたも返すのが道理でしょう?」


 思わず心の声が出てしまったが華麗にスルーされてしまった、のはいいのだが、どうやらこの綾瀬日和は俺の名前を知らないらしい。一瞬名前を教えない方がいいかと思ったが、すでに家がバレているのでどうしようもない。


「お前に道理を言われる筋合いはないが…。名前は須藤カイだ」


「須藤…、須藤日和。なかなか悪くないわね」


「なんですでに嫁になる気満々なんだよ」


「じゃあ綾瀬カイ? いい響きね」


「そういう意味じゃない。婿入りしたいってわけで言ったわけじゃねえよ」


 いやちょっといいかもって思ったけどさ。


「というか、今朝といったら俺は遅刻しそうになって走ってただけだぞ? それのどこを見て一目惚れって…」


 そう、彼女のが分からない。たとえこういう形ではなかったとしても、突然好意を告げられて疑いを持たないわけにはいかない。ほら、美人局とか怪しい勧誘とか、危なそう。


「全部よ。須藤君の顔、身体、オーラ、背後霊、存在自体の全てが好きになったの。理由なんて要らないわ」


「い、いやいや、なんか理由があるだろ。ほら、幼いころ会ったことあるとか、実はいつの日か助けてあげたとか、パン咥えてぶつかったとか…。あとお前背後霊見えんの?」


「それを言うなら、もし須藤君に幼いころに会っていれば付き合ってくれたの? 例えば須藤君は助けてくれたらその人を絶対に好きになるのかしら。須藤君とパン咥えてぶつかったら付き合えるのなら今からでもするわ。あと背後霊は冗談よ」


「……」


 上手いように言っているが結局肝心な理由は見つからない。はぐらかしているのか本当に理由がないのか判断がつかない。


「そうね、好きになる理由が信じられないというのなら、私と付き合うメリットを挙げるわ。須藤君は意外と打算的な男だったのね」


「…別に打算で付き合いたくないなんて言ってねえよ。ほら、こういうのはもっと互いの気持ちが重要っていうか、なんというか…」


 意外と乙女なのね、とつぶやく黒髪美少女。うるせえ。



「まずはそうね、私の胸を揉ませてあげるわ」


「はぁっ!?!?」


 おいおいおい、いきなりぶっ飛んだことを発言するな。思わず真夜中の公園で大声出しちまったじゃねえか。


 爆弾発言をした彼女はさも当然とすました顔で淡々と言葉を続ける。


「私が言うのもあれだけど意外とあるのよ? こう見えて」


「ち、痴女かよ、こいつ」


 黒髪美少女は純情って相場が決まっているだろ。こういうのは金髪ギャルとかそういうやつがやりつつ、恥じらいながら黒髪美少女が真似をするのがいいんだろうがぁ! いやそういうことが言いたいんじゃなくて。


「やっぱりお前おかしいよ。まずは精神科に行った方がいい。いい病院知ってるから一緒に行こ? な?」


「きっと私に異常は見つからないし、須藤君への愛が証明されるだけよ。そんな目に見えたことに時間を割いてられないわ。ほら、そこに座って? すぐ終わるから」


 話を聞かないで俺に包丁を向けてくる。綾瀬日和は本当に殺してくるのだろうか。好きになった人を殺すなんて俺には全く理解できないが、彼女には彼女の価値観があって殺すに至った価値観があるのだろう。


 じりじりと歩み寄る彼女を前に、俺は後ずさりもできなかった。ただ息を止めて、その瞬間が来ないように祈るしかない被食者。


 制服をひるがえしながら彼女がナイフを振りかぶった姿が見えたとき、俺の視界が真っ白になる。空っぽの頭の中で、二度と聞くことはない懐かしいフレーズが浮かぶ。


『あなたは、あなたを大事にしてくれる人を大切にしなさい』


これは俺の嫌いなやつの言葉だ。走馬灯のように思い出す景色がこれだなんて最悪だ。まあでも、こんな俺だから最期はこんなもんなのか。




 勢いの付けたナイフの痛みを知らぬまま、俺の意識は暗闇へと沈んでいった。

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